「絵心ない芸人」の絵に見るある種の才能
昨日「アメトーーク!」の「絵心ない芸人」を見ていて思ったことがあります。
それは、
「逆にこういう絵は自分には描けないな!」
ということ。
「絵心ない芸人」を見ていなかった人たちのために、彼らの描いた絵がTシャツとなって販売されていますので、そちらへのリンクを貼っておきます。
この「Tシャツ版」は芸人の方々が描いたものにデザイナーが手を加えて“それっぽく”したものなので、正確には彼らの描いたまんまではないのですが、イメージは伝わると思います。
実際の本放送では“もっとすごい絵”がたくさん出ていました。
こういう絵とか、あとは小さい子供の描いた絵というのは、絵の勉強をした者とかイラストを描いていた人間からすると描こうと思ってもなかなか描けないのです。
「下手な絵ってなんとなくこんな感じだろう」といったイメージで描いても、それにはどこか“嘘っぽさ”が見えてしまいます。自然じゃないというか……。
例えば今回出演されていた芸人さんの作品では腕や脚を「ぐにゃ~ん」といった感じに、関節とかがないタコ人間のような絵で描いている人がけっこういたのですが、こういった“発想”がまず出てこないんですよね。絵の勉強をしてたりすると。
こういう絵を意図的に描こうとすると、さんざん考えた末にやっと「関節のない人間を描けばいいかな」とか「腰の部分を描かずに、胴体から直接脚が出ているような絵で描いてみるかな」といったように「アイディア」として出してなんとか描けるようになるものなんです。
この時点でもう“自然なもの”ではありません。
これは決して「馬鹿にしている」とかいうことではなく、「絵心のないとき」「まだ幼くて拙い絵しか描けないとき」に描ける絵というのは、そのときにしかないひとつの才能ではないかなと思うんですよね。
時として子供が描いた絵が妙に魅力的に映ることがありますが、そういうのも大人から見て「自分にはない、自分がもう失ってしまった才能」がそこに表れているのを感じたからではないかと思います。
「絵心ない芸人」さんの描いた絵は確かに“下手な絵、突拍子もない絵”ではあると思います。
しかしちょっと見方を変えると今度は別の魅力が見えてくるかもしれませんね。
今回はこのへんで。
それでは、また。