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一般入試での入学者が半数を割りました
大学入学者、一般入試の割合が50%以下に
先日のニュースで見たのですが、一般入試の割合が半数以下になりました。つまりAO入試や推薦入試、国際バカロレアなど様々な特色選抜での入学者が増加し、偏差値とは異なる様々な指標や評価軸で大学へ進学することがマジョリティになったと言えます。
大学の門戸が広く開かれた と考えるといいことのように聞こえますが果たして実態はどうなのでしょうか。
背景
背景として子どもの絶対数の減少が挙げられます。少子化社会と言われる日本では2023年の出生率が1.2と過去最低となっており、世界的に見ても子どもや若者の割合が少ない国になっています。そして今後もその流れは変わらないどころか加速していくと予想されています。
大学側は減り続けている子どもという縮小し続ける市場の中から、より多くの人に選んでもらう必要があります。そこで多種多様な入試形式を取り入れて学生数の確保を図っているのです。
また、学校教育の多様化も考えられます。ICT教育やオルタナティブ教育、ホームスクーリングなどなど、ここ十数年で教育には様々な理論が取り入れられて来ました。
多様化した教育により多様な価値観を持つ若者が増加した事で、偏差値では測れない個人を評価する必要性が考えられた結果、このように多様な入試形態が生まれました。
言い換えると大学側は学生の確保という側面と、学生や社会のニーズに応えられる入試形態を増やすという2面で門戸を広めていったということです。
門戸が広がったことでどうなるのか
まずはポジティブな考え方からです。門戸が広がったことで、様々なバックボーンや特性を持つ学生が大学に集うことになります。今までと比較して多様な価値観が交わる機会が増える事で、学生の知見や目を向ける範囲が広がる事が期待できます。
多様な人と関わる機会が増える事で、自分とは違う考えや価値観の人を受容する姿勢が育成されることもあるかもしれません。宗教観や人生観、社会への考え方など多様な価値観を持つ人と関わる中で、1人1人考え方が違う事を受け入れ、自分の価値観を相手に伝えるタイミングも増えるでしょう。さらに今までは当たり前だと思っていた考え方や価値観を見つめなおすきっかけにもなるでしょう。
このように、たくさんの価値観や考えにふれる事で、学生が人としてさらに成熟していく事が期待できそうです。
チャンスの増大
大学進学率は右肩上がりで2023年度は57.7%と過去最高値を8年連続で更新しています。就活でも高卒と大卒では待遇格差が広がっており、経済状況など様々な要因が関係するとはいえ大学進学する人は増えている傾向にあります。
その中で今まで学力的に進学するチャンスが少なかった学生にもチャンスが増えてきたと考えられます。一般入試では偏差値、点数が主導権を握っていましたが、学生時代の部活動やボランティア、学内活動など、評価項目が多様化したことで、学力では劣る人の逆転が可能になります。
入試形態それぞれで重要視される項目が異なる事で、個々の得意や興味のある分野で勝負できるようになることも挙げられます。苦手を克服してバランスの良い人が好まれた時代から、得意という大きな武器を持った人が好まれる時代に加速していくのではないでしょうか。
また、これを受けて中学や高校でも、苦手克服のための勉強をしなければならない学習形態から、得意を伸ばしていく教育を進めていく事で、子どもがもっとのびのびと好きなことに挑戦できる、良い循環になっていく可能性も考えられます。
デメリットはあるのか?
実は特色選抜や推薦入試が拡大されることへの懸念もあります。
1つ目は選考の不透明性です。こういった選考ではその基準が抽象的な場合があり、なぜ落ちたのか分からないケースも多数存在します。自己採点がしづらい事から順位や合格最低点の開示請求も難しく、納得できないまま不合格になる学生も少なくありません。点数という公平公正な尺度ではない事で、担当した面接官によって合否が変わってしまうような事もあるかもしれません。
2つ目は講義の質の課題です。様々な入試形態によって入学した学生の学力には大きなバラつきが生まれます。これによって「この大学に入学出来たならこのくらいは理解しているだろうという」暗黙の了解で展開されてきた知識の足切りラインを下げなければならない事になります。今までは復習程度で済んだ数分の内容に時間をかけるようになれば、自ずと講義の到達目標は下がります。講義の質の低下は日本の教育の質の低下にもつながるので、どのように対策していくかを考える必要があります。
3つ目は研究機関としての意義です。講義の質の低下と類似する所はありますが、研究機関としての大学ではなく大卒の肩書を配る場所になってしまう恐れがあるのではないでしょうか。入学者数が募集定員を下回ったニュースがあるように、今の日本の大学過多は教育の質の視点から考えると、大きな問題だと言えます。就職活動で有利になっるための所謂「大卒カード」を入手する場所としてしか存在意義がなくなってきている大学も多くあるのではないでしょうか。
まとめ
大学の門戸が広くなり、学力だけで学生を計る事が時代遅れといわんばかりの動きになってきています。もちろん勉強がすべてではありません。しかし大学を研究機関として考えると、学力基準での評価方法は適切であるような気がします。
「勉強ではなく他の大事なところを評価してほしい」というのは「車の運転は下手だけど優しい気持ちは持っているから免許欲しい」みたいな事なのではないでしょうか。長所を伸ばすことは大切で、勉強だけがすべてではありません。しかし大学はその分野に興味があって、その為に勉強できる人が入るべきだと思います。
大学は減り続ける学生にたくさん来てほしい、学生は大卒カードのために(そうでない人もたくさんいますが)どこでもいいから大学へ行きたい。歪な需要と供給が一致しているのが現在の大学受験を取り巻く環境なのだとしたら、皆さんはどのように変えていく必要があると思いますか。