新しい結婚のカタチ、シェア婚 〜仕事も恋もがんばったアラフォーの話〜③
予定より2週間早い出産。
夜中12時くらい。よりによってダンナは泊まりの忘年会で家におらず(イマドキの夫婦なら臨月の妻置いて行かないかな)。病院に電話。1人もくもく用意していたバックを確認して、タクシーを呼び病院へ。
お産自体は6時間くらい、叔母が看護師の産婦人科実習で、錯乱する妊婦さんを見て、自分は取り乱さない出産をしたと聞いた影響で、私も比較的静かなお産。目を瞑ると錯乱しやすいんですって。妊婦からの解放と赤ちゃんとの出会いにドキドキ!
で、元気の良い産声が、ない。
あれ? オギャー、はドラマなの?
釈然としない、何か違和感がある。
赤ちゃんには問題がありました。
でも原因がよく分からなくて、ずっと様子見、検査。
授乳も受け付けず、排泄もしない。でも病院の先生は私を心配させないよう、命に別状ないと。生後4日目に、病名が分かり、手術の対応ができる国立病院に救急車で搬送。主人が付き添って乗り、赤ちゃんがいない私は早々に退院しました。
もう、そのときの自分の感情は全く思い出せません。最初の手術は応急措置。子どもだけ1か月程度NICUに入っていましたが、その後付き添いすることに。初めての赤ちゃんとの生活がここからのスタート。しかも、病院は自宅から車で片道2時間半かかるところ。それまでも週に一度しか行けていませんでしたから、離れ孤島に親子島流しに合ったような気分。でも、やっと会える、と嬉しかったです。
付き添いするまでは、何もできない無力感で辛い毎日が、精神的、体力的に辛い日々になりました。たくさんの管に繋がれた我が子を恐る恐る抱く。とにかくよく泣く、寝ない。どこが痛いのか苦しいのか。飲まない、寝ない、排泄回数は多い。全部記録もつけていきます。
病院は同じように難病を抱えた子のママがいましたが、一時期を乗り越えるとみんな少しずつは慣れていきます。最初は降って沸いた出来事を受け止められず、三日三晩泣くママも。会話を交わすうち、身の上話などが始まり、家族がそばにいない寂しさも紛れるものの、看護師さんは検温程度で、予後観察のみ、当然お世話はすべてひとり。
週に一度面会に来るものの、全く他人事の旦那に絶望し、ぐずり続けて眠りが細切れで極度の睡眠不足が続き…。
とにかく眠りたい…。1人になりたい。でも、母親の私が離れるわけにはいかない。
ある夜、泣き止まないわが子を、いつものようにあやしながら、病院の廊下をふらふら、いつのまにか、探していました。屋上への階段を。やっと見つけた小さな階段の上り口が鎖で封鎖されていて。上がれない、死ねない…、そうか、かなりきてるな、私。ナースステーションに行き、助けて、と言いたかった。でも、冷静に考える力はかろうじて残っており、死ぬくらいならいつでも投げ出そう、そう思って乗り切りました。
長い1ヶ月の付き添いが終わり、管が抜け自宅療養。体力がついたら半年後に再手術が決まっていたけれど、初めての家族3人の生活が始まりました。
いろいろ大変なことがありましたが、ここから二人三脚っとなっていれば、全く違う人生になっていたんでしょうか?もはや、タラレバはありません。生活1日、一か月、子どもの回復と成長に反比例する旦那への嫌悪感。とにかく孤独だった。私の境遇が特別だから? どうしたらいいのか?
溝は深まるばかりのまま、再入院。以後も1歳半までは手術入退院でしたね。完全なるセックスレス。無理ですよ、こんな状態では。
で、最後の退院後、ふっとしたとき、100発100中の第2子妊娠。嘘だろ?と思いましたが、もしかしたら、今度こそ、いいパパになってくれるかも…と淡い期待を持ってしまいました。バカです、私。
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