初めての自殺未遂の思い出
記憶が正しければ、確かあれは2020年の8月。
記録通りならば、ブロン10錠、トラマドール10錠、リボトリール8錠、レスタミン20錠を缶チューハイで飲んだらしい。
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覚えているのは、薬を飲んだ後に追加でODするための酒と薬を買いにドラッグストアまで行ったこと、
その時フォロワーと通話をしていたこと、
帰りに家のすぐ近くのコンビニの前で倒れていたところを通行人に「額から血が出てますよ!大丈夫ですか?」と声をかけられ、近くを通ったカップルが「酔っ払いかなー」と言っていたこと
この3つだ。
この時点で受け身を取れずに転倒をしたと思うが、如何せんトラマドール(めっちゃ強い鎮痛剤)を飲んでいたため、打撲の痛みは一切感じなかった。
帰宅してまた知らないうちに外に出たのか、帰宅できずに徘徊していたのかは定かでは無いが、次に記憶があるのは家とは逆方向の道で倒れているところを自転車の人に助けて貰ったところだった。
その人は優しく、水を買ってきて僕に渡し、一緒に家まで帰ってくれた。
帰宅してからはちゃんと眠ったと思う。
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次の日、起きてから、右足に感覚が無かったのは覚えている。
虫にでも刺されたんじゃないか?と同居人に言われ、何を思ったか自室でバルサンか何かを炊いたような覚えがある。
虫刺されが原因ならばと思って何故か内科にも行った。
内科では「うちで出来ることは……」みたいな対応をされたが、恐らく支離滅裂な事を言って困らせたのではないかと思っている。
ここまでずっと同じ服を着ていたのだが、帰宅してから来ていた服の太ももの当たりがざっくりと破れていることに気がついて着替えた。
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その次の日のことはもうあまり覚えていないが、やはり右足は動かなかったのを覚えている。Twitterに「新しく買ったカバンとスカート☆」みたいなツイートをバス停の椅子に座りながらした記憶はある。なので外出ができたらしい。
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ここから先の記憶がなく、次に思い出すのは大きい病院で右足が一切動かないまま車椅子に乗っていたものだ。
恐らく、バス停でツイートしたまでは何も無かったが、そこから無理に動いた結果受け身を取らずに転倒した際に強打した右太ももが少しづつ腫れて運動神経も感覚神経もイカれてしまったのだろう。
ちなみに、この時軟骨ピアスを開けていたが、MRIに入るために外したらその30分間で閉じてしまった。
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数日間はベッドの上で生活せざるを得なかった。
元々ベッドの上の住人みたいな人間ではあったが、強制されるとそれはそれで腹の立つものではあった。
トラマドールがちゃんと抜けた辺りから脚がとんでもなく痛み始めて、自殺未遂の後悔もあったが毎日泣いて過ごした。
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数日後、夏休みでゼミに出席しなくてはならなかったがこんな体だったので、教員に「自殺未遂したら足怪我したので出席厳しいっす〜」と言うなどした。
しかし、僕はその時ゼミにオンラインですら1度も出席していなかったため、絶対に出席するように言われてしまい、親に大学まで車で送ってもらい、牛歩でゼミ室まで行って卒業制作の進捗を見せた。
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それから数日後、ある程度歩けるようになったため通院が無くなった。
そして久しぶりの1人の外出で鴨川に行き、同居人たちと花火をした。
あの時が人生でいちばん楽しかったと今でも思う。
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いつか2回目の自殺未遂のことも書いてみたいと思うけれど、2回目の記憶は1回目よりも無いから書かないかもしれない。
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