実家の犬の話
実家の犬が死んだ
アフロという名前で、16歳だった
母の腕の中で、ゆっくり息を引き取ったらしい
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小学3年生で愛知県に引っ越してきた時に迎えたトイプードルだった
田舎のペットショップで6万円という血統書付きのトイプードルにしては破格の値段の犬だった
初めて見に行った時は手のひらくらいのサイズだったのに、1週間後に迎えに行ったら急激に大きくなってたのに驚いた
迎えた日のことをよく覚えている
雨が酷く、雷も鳴ってるような日に、車の助手席に犬の入った段ボールを抱えて家に帰った
そこまで大きくない段ボールの中を右に左に行ったり来たりしていて、落ち着きのない元気な犬だと思った
トイプードルだから毛がクルクルするだろうと思って「アフロ」と名付けた
結果的には毛がサラサラな子に育って、毛質に合わない名前になってしまったが
すぐに大きくなって、6キロまで増えて、子供の私には大きな犬だった
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毎日朝に近所を散歩した
他の散歩してる犬と仲良くできなくて、すぐに吠えて、すみませんって言いながら通り過ぎるのがいつもの事だった
暑い夏も、雪の積もる冬も散歩した
サラサラの毛が風に揺れるのが可愛かった
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抱っこがあまり好きではなくて、抱き上げてもバタバタと暴れることが多かった
重かったし、あまり長いこと抱っこすることは無かった
というかあまり落ち着いてる時がなくて、写真もほとんどぶれているものか、眠っている時のものしかない
その割にはドッグランに行ってもあまり走ることはなくて、隅っこで地面の匂いを嗅いでるばかりだった
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一緒に寝ることもあったけれど、寝ている横に寄り添うと目を覚まして離れた所に寝直すし、人が寝ていると手を舐めさせろと吠えて、手を出すとベロベロと舐め回す変な犬だった
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食べ物の好き嫌いがなくて、なんでもよく食べた
きゅうりが好きで、料理に使ったきゅうりの端をあげたり、一緒に食べたりした
お小遣いで買った梨を1玉まるっと食べられた時は酷く怒った
祖母の家で殺鼠剤を食べてしまった時は慌てて動物病院に駆け込んだ
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多分私のことがうっすら嫌いだったんじゃないかと思っていた
抱き上げても母親が抱く時と反応が違うし、私は厳しかったし
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車で遠出する時はいつも大変だった
車の中で落ち着きなくバタバタと動き回って、大人しくなったと思ったら車酔いで嘔吐することもあった
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1年半ほど前に会ったら歩くのがとても遅くなっていた
ご飯も好き嫌いがでてきた
腎臓の病気だった
健康が取り柄で、病院に行くのは年に2回の予防注射の時くらいだったのに
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しばらくしたら「起き上がれなくなった」と連絡があった
慌てて会いに行ったら、めまいのようなものを起こしているらしく、常に世界が傾いているのか、首が傾いていて立ち上がれなくなった犬がいた
この頃から、別れを覚悟し始めた
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ひと月半に1度ほど実家に帰るようになった
起き上がれなくなっても歩く意欲があって、歩行器を買ってもらった犬は、ガラガラとタイヤを回して家中を歩き回っていた
どこかにタイヤが引っかかる度に吠えて、はいはい、と進路を戻してやった
腎臓の病気のためのご飯は美味しくないらしく食べず、とはいえ普通のカリカリとしたご飯も食べなくなって、ちゅーるや母が作ったブロッコリーとささみの蒸したものをあげていた
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足が変な形で固まってしまい、歩けなくなった
それでも歩行器に乗せて欲しい時があるようで、不自由な足で頑張って歩いていた
固形のものを本格的に食べなくなり、人で言うエンシュアのような経腸栄養剤を与えるようになった
夜眠らなくなり、吠えるようになった
母は介護に少し疲れているようだった
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体調が本格的に悪くなったという連絡があり、向かったら、下痢が酷かった
つらいのか、頻繁に吠えていたので、抱き上げたり、隣でお腹をさすりながら横になったりした
経腸栄養剤を自力で飲む力がないため、抱き上げて口にシリンジを差し込んで飲ませた
元気な時は寄り添って寝ることもなかったのにね、なんて言いながら、顔をくっつけてお昼寝した
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この日、帰る時にバタバタしていて、今までは帰る前に頭を撫でて、またねと言ってから帰っていたのに、撫でるのを忘れて出てしまった
帰り道、「次会うまでに死んでしまったらどうしよう」と酷く泣いた
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4月27日
その日の夜になって急に口呼吸をするようになったらしい
両親は明らかにおかしいと思い、抱き上げてひたすら撫でていたそうだ
深い呼吸が少しづつゆっくりになった
「アフロ」と呼びかけると、小さく返事をした
呼んでも返事が無くなり、ああ、逝ってしまったと思ったそうだ
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私はその頃大阪でDJをしていた
ある程度落ち着いた頃なのか、0:49に母から「アフロが虹の橋を渡りました」という連絡が来た
クラブを飛び出して外で母親に電話をかけた
涙が止まらなかった
最後に会ったときに撫でておけばよかったと酷く後悔した
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始発で帰る、と言ったが、母に火葬の予約を11時に入れたから、来るのは難しいだろうから来なくていいよと言われた
一旦はそういうものなのか、と思ったが、クラブに戻ってバーカウンターでショットを頼んだら店長が心配してくれて、経緯を話したら「帰った方がいい」と言ってくれたので、帰ることにした
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家に着くまで、私は不安だった
遺体を見た時、私はどんな反応になるのだろう
葬儀の時は?別れは?骨になった姿を見たら?
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家に帰ると、段ボールの中に犬はいた
触ると保冷剤で遺体が悪くならないように冷やしているのもあるが、ひどく冷たくて少しドキッとした
骨と皮になってしまっていたけれど、暖かかった体がこんなに冷たくなってしまったと
目は閉じられなかったらしく、開いたままだったのが少し可哀想だった
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遺体にそえる花を買いに行った
母は百合とかを勧めてきたが、わたしはあまり百合が好きじゃないのもあったし、そんなに寂しい花じゃなくて、かわいい明るい花がいいと言って、小さなひまわりとその他黄色い花、濃いピンクのガーベラを買った
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葬儀場に行った
元気な時は6キロもあった体重が、3キロになっていた
どうりで軽いわけだった
骨壷の袋を青にしたり、お布団のオプションをつけてあげた
段ボールから出してお布団に寝かせてあげた
お花を添えてあげた
お別れの時間ギリギリまで撫でてあげた
手紙も書いてあげた
そして、別れを告げた
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しばらくして、火葬が終わったという連絡があり、迎えに行った
骨壷を受け取った
ずっしりとしていたが、こんなに小さくなってしまったと思った
車に乗って膝の上に骨壷を乗せながら、お迎えした日、車に乗った時のことを思い出した
もう動くことは無いんだね、静かで小さくなっちゃって
家に車を停める時に、ふと元気な時のくせで家の窓を見てしまった
もうカーテンを捲って外を眺めて、車を見つけて玄関に走ってくる君はいないんだね
おかえり、と言って骨壷を昔ケージのあった場所に置いた
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夕飯を作りながら、食材を床に落としてしまった
慌てて拾うけれど、落ちた音に反応してすかさず走ってくる君はもう居ないんだね
料理中足元をウロウロすることもないし、料理できゅうりを使っても端をあげる相手もいない
美味しいところを切って骨壷の前に供えてあげた
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家族でアフロの最期の話をした
正直、犬の最期は痙攣しながら亡くなるとかを聞いていたから、そんなのではなかったのが救いだったね、といった
また、2人が見守ってる中息を引き取ってよかったとも話した
比較的安らかな死だったのでは無いだろうか
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書きながら涙が止まらないが、いつかこの気持ちに区切りがつくのだろう
一人っ子で、きょうだいのように育ってきたから、居なくなってしまったら本当に心に穴が空いたようだ
私たちより歩く速度が早いことは分かっていたはずなのに、実際に別れが来ると受け入れられない
今になって思えば、最後会った時に4人で家族写真を撮っておけばよかったとか、元気な時の写真をもっとバリエーション豊かに撮っておけば良かったとか、後悔は尽きない
これから先、歩く隣に君はいないのだ
でも先で待っていてくれるということ、必ず会いに行くということ
それだけは約束したい。
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