映画館デートができない。

 見知らぬ通行人の顔、知人の自慢話、流行りの食べ物、芸能人が趣味で弾くピアノ、友人の彼氏………
 私は様々な事柄に関して基本sage↓から入ってしまう。見下すというか舐めているというか、低く見積もる癖がある。自己保身の成れの果てなんだろう。相手を必死に下げて自分のとろとろ絹豆腐メンタルを保とうとする。そんなことを繰り返していたら、全然自分と関係ないし、全然勝負する気もない事柄にまで低価格見積もりの癖が抜けなくなってしまった。

 さて、好きなもの、の定義の話をしたい。ジャンルは様々であれ、自分にとって好きなものというのは、言語化ができない・する必要のないものだと捉えている。あれこれ言葉を尽くして粗探しをする自分が言葉を失うくらい好き。対象物への主観がどでかすぎて、シニフィエに合うシニフィアンがどうにも見つからない。たまに雨漏りするみたいに語っても、齟齬を感じるばかりでもどかしい。言葉や散文の持つ可能性に縋って生きてきたからこそ、逆に言語から解放された、全く身体化されていない非言語エネルギーに打たれることにこの上ない喜びを感じるともいえる。

 だからおたく気質ではないんだと思う。悲しい。

 本日、母校の学祭、国高祭に行ってきた。自分の思い出をよすがに……というよりは、ただ友人に誘われたのだが。受験を投げ出して三年夏を劇にささげた彼らの熱気に打たれ、国立高校を目指した純真な頃の自分は勿論いないわけだし? 実際自分で行って解像度高くなっちゃってるわけだし? 批評家気取りでsagesage↓な性格悪い女になっちゃうわけですよでも気になるし行くけどさ……と、始まる前から自己嫌悪に陥っていた。
 いやまあ、内装のフローリングの木目調がそろってなくて乱雑に張られているなとか、升目?がでかいステンドは雑さが目立つぞとか、ドアの形歪んでてやすった方がいいなとか、前説が早口すぎるとか、キャラに対して演技が少々くどい時があるとか、滑舌が緩いところがあるなとか、

すき~~~~~

 色々うるさい小姑そこのけでしっかり楽しめてうれしかった。不足があれど、その不足を補って余りある何かが――「何か」と言語化しない怠慢を許してほしい――中二の私の琴線に触れ、大学二年生の今も同じように好きでいさせてくれたのかもしれない。自分の好きだったものを自分で否定するのはつらいから、能天気に「楽しかったよ~ん」って帰ってこれて良かった。3300にはだいぶ感謝している。

 同担拒否というわけでもないが、言語化を求められることが煩わしかったり、表層を撫ぜる感想に無性に苛立ってしまうこともある。

 それこそ劇を見た後「難しかったね~」「わかんなかった~」と出てくる観客に殺意を覚えがちではある。作品をどうとらえるかは観客次第なのはわかっているけど、ずいぶんと誠意がないというか。感情ごちゃごちゃになって出てくる気持ちはわかる、わかるけどその混沌を友人と共有して茶化してしまっては鑑賞した意味がないのではないか。結局考えてもわからないことの方が多いけど、咀嚼しないままなのってだいぶもったいないように思える。あくまで個人の意見だけどね、あくまで。
 友人と連れ立って映画に行った時のことを思い出す。目鼻立ちは控えめだけど配置がよくて、ひそやかな演技がとても好きな女優さんが主演だった小・中規模の映画。小さな出版社で働く女性。両親を亡くす。飼い猫と共に高層集合住宅に引っ越す。隣人である芸能人と一夜の夢を結ぶ。逢瀬。愛の喪失。そしてまた、出版社へ出勤する。空と現代社会の狭間、どこでもない場所で彼女が揺蕩っていた時間が心地よくてとても好きだった。

 「難しかったね~!ラストのあれってどういう意味だったの???」
 金色の泡に包まれてとろとろしていたのに、なんか秒で現代社会に引き戻された。
 見たばっかでうまく整理ついてないし、余韻に浸ってるし、てかそもそも好きなもの言語化して他人に語りたくないし、てか君は鑑賞後のそういった甘やかな葛藤と感傷を全力で放棄してなんなら私のサンクチュアリに土足で入ってきたけど自覚ある………!!?!?????


 初めてのデートは映画館がいいという。映画を見ている間は無理に会話をしなくて済むし、映画を見た後は共通の話題で盛り上がれるから。

 いやいや全然盛り上がりたくないですけど……
 盛り上がりたいなら一週間後に出直してきてもろて……

 ただ、嫌いなものを嬉々としてこきおろす反射神経はあるので、私と映画館デートしたければ、前評判最悪なB級映画にでも誘ってください。

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