くすみピンク#1

はじめにね

 幼稚園児の自我なんぞどれほど信用たるものか。その日暮らしのガキちゃんの好みなんて定かじゃない。今でも私は好きなものに対する輪郭が曖昧だ。そもそも好きと自覚するのが苦手。人に好きなものを好きというのも苦手。部屋の中で探し物をするとき、見つからないのが怖いから、保険かけて最初から本気出して探さないじゃない、それっす。
 そんなこんなで自覚する前に自分に身体化されてしまった「好き」の薄皮をぺりぺりとはがしている真っ最中で。ここはいっちょ地続きの幼稚園児まで記憶をたどってもよいのではないかと思い立ってこのnoteをしたためている所存。

 これは理想に近づきたくないひねくれものの好みの話です。気が向いたときに更新すると思います。合格体験記をついぞ書ききれなかった私の、絞りかすみたいな自己表現です。自分についての散文を書ききらないと、頭の中でぐるぐるしている生焼けの言葉の断片がなんらかの小説の形をとることができないと思ったから書きました。君たちくらいには読んでほしいと思っています。どうかよろしくお願いします。

すきないろ

 今回の#1では、幼稚園時代の私を中心に、好きな色について考察していこうと思う。幼稚園時代なので両親に関する記述が多く、自我も合理性もないが大目に見てほしい。今の私はもうちょっとしゃきっとしている。

 幼稚園に通っていたばぶの頃を思い返してみると、年少ではかわいいからピンクが、年中では活発になりたくてオレンジ、年長では大人っぽくなりたくて水色を、好きな色として挙げていた。

 私がおじいちゃんに会うためにおめかしした時に「かっこいいねー」と言われるのも、管理がめんどくさいからと髪をちんちくりんに切られるのも嫌だった。現在私が定義している「かわいい」の定義は後程述べるが、当時の私は、金髪碧眼のプリンセスになりたかったから本を頭の上に乗せてウォーキングの練習をしていたし、友人のおねえちゃんが腰下まで伸びる髪をランドセルの下からなびかせているのを羨ましがっていた。
 そんな夢見がちな私だったが、幼少期のインプットはとても少なく、文化的資本は乏しかった。視聴可能だったのは「いないないばぁ」から始まるNHKの教育番組。「キッチン戦隊クックルン」が始まる頃には夕飯ができてしまってそれ以上テレビをつけることは叶わなかった。親の検閲の結果、一度もプリキュアを見ることは許されなかったけど、プリキュアごっこではいつもピンクでセンターのキュアドリーム。とはいえ、とってもシャイな私は同年代の子たちと同じように飛んだり跳ねたり歌ったり踊ったりすることはできなかった。でも、頭の中では私はなんでもできた。今でもできるよ、頭の中ではね。
 水をあまり与えられなかったトマトが甘くなるように、制限された生活の中で徐々に想像力が培われていった。ただし、創造力はあまり培われなかったようで、未だに小説や絵をうまく仕上げられたことがない。はぁ。
 想像力が逞しくなると直面するのは現実とのギャップだ。私は父方のおばあちゃんを除いた肉親にかわいいといわれた記憶がない。小さな脳で、私は徐々に、自分がプリンセスにはなりえない、それどころかかわいい存在ではないことを自覚し始めていた。
 幼稚園児には、世間的にかわいいと思われる身体的特徴なんてわからなかった。かわいいを定義するなんてことも思いつかない。その結果、私の持ち物は紺や白や茶色といった無難な色合いが多いから私はかわいくないんだと思い込んだ。けなげだね。「ピンクのお洋服が欲しいの」「ピンクのお靴が欲しいの」「ピンクのスプーンがいいな」こうしてピンクをねだるようになったわけだが、ある日母から衝撃の台詞が飛び出した。
「あんた、かわいくないからピンク似合わないよ。〇〇ちゃんとか××ちゃんとかはいいけど」
 おーまいがっ。ピンクじゃないからかわいくないんじゃなかった。かわいくないからピンクじゃなかったんだ。

 ピンクな女の子になることを泣く泣く諦めた年中さん。私の親は私に文武両道を求めていた。しかし、ハードルの県大会出場経験のある祖母、野球少年だった父の血は全く引き継がず、武に関してはてんでからっきし。親不孝な娘でごめんな……。ただし、両親は人間としての美徳「根気」を持ち合わせていたため、ローラースケートだの逆上がりだの縄跳びだの自転車だのスパルタ特訓を開始した。ばぶの私はびえびえ泣きわめく日々。とはいえ、親の期待にこたえたい気持ちもあり、活発な女の子になりたいという欲求が芽生えてくる。また、年少さんの頃からの一番のお友達、めぐちゃんが生きる喜びに満ちたパワーパフガールズだった影響もあり、持ち前の負けず嫌いが疼いてはいたのだ。
 好きな色がオレンジじゃなくなった理由に関してはお察しください。私にパワフルオレンジ枠は似合いませんでした。

 年長さん。そろそろばぶからませがきにメタモルフォーゼする頃。同級生の好きな色がいつのまにかピンクじゃなくて水色になっていて、おこちゃまだと思われたくなくて水色が好きだと言い張る。因みに明確にピンクが好きだったとは思う。因みに幼馴染のめぐちゃんは薄紫というアイデンティティを確立しつつあり、私は指をくわえてみていた。小学校入学が近づき、ランドセル購入の時、「水色がいい!」とごねたが「目立つからダメ」とピンクにされた。今思うとピンクにされてよかったとは思うが、薄紫のランドセルを背負っためぐちゃんを見て羨ましくなかったとは言えなかった。自我が芽生え始めていたからね。自我とはいっても、自分の好みが確立していたわけではなくて、ただただ自立したいという気持ちが強く、もてあましていただけだけれども。

 なんだかんだ親とめぐちゃんに多大な影響を受けた幼少期だった、というのが19歳の私の見解だ。

 小・中時代については後のnoteで詳しく言及するが、憑き物が落ちたかのように色に対する拘りが薄く、なんかかっこいいから白と答えていた。どちらかというと暖色が好きだった記憶がかすかにある。
 高校になって推しができた。推しのカラーは赤なので、暖色が好きでよかった~~ふんふんっと機嫌がよかった。アイドルの性格とメンバーカラーに関する考察もしていきたいところだが、本筋から逸れるのでまた機会があれば。また、小・中時代に自分に課していた規定がほどけていくにつれ、ピンクが好きという原点復帰を徐々に果たしていったように思える。ピンクの服はあまり持っていないが、この前ピンクのボトムスを買えて呪縛が解けたように感じた。
 

つまりはね

 ここまでつらつらと述べてきたことを要約すれば、私はピンクがそれなりに好きだよ、で終わってしまう。ピンクを好きにさせてくれなかった親への怨嗟みたいになってもしまう。違う、ピンクを好きにさせてあげなかったのは自分だし、このnote群(になる予定)がくすみピンクという題を冠しているのはまたそこそこには別の理由がある。
 今現在、私はピンクな女の子になれる気はしないし、なる気もない。ただし、ピンクがかわいい色だと思っている女の子ではある、とだけは明言しておこうとは思う。



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