「知識が足りない」という焦り、ふたたび
ひとつ前のログと、時系列が逆になってしまうのだが。
免許法認定講習 the last (のはず) | 【小学校教員資格認定試験】合格を経て教員になった、五十路おやじの戯れごと第2部第6章 (ameblo.jp)
昨日の午前中は、わが勤務校のある町の「センター的役割」を担う特別支援学校にお邪魔をし、研修を受けることができた。
県内の特別支援学校にお邪魔をできたのは、これで三校目。改めて、いろいろ学ぶことができた。
たとえば、「LDT-R太田ステージ評価」について。
WISCよりもずっと簡便な方法で(結果内容も簡便だけど)、当該児童・生徒の認知の偏りを知ることができるなんて、驚いてしまった。
「こんなの、あったんだー」という思い。
そして、それよりも個人的にショックだったのは、その研修で出た話題のなかで、たとえば、
・WISCⅢまでは特別支援学校の教諭でも検査をすることができた(!)
とか、
・療育手帳を取得できるかどうかのトライは、一度試してダメだったら、向こう三年はリトライできない(!)
ことなど、またしても、
『エ?、それ、われわれはあまねく知っておかなくてはならない知識なんじゃん???』
ということが、いくつかあって、参ってしまった。
しかも悲しいことに、5人組でひとつのテーブルに座ってその話を聞いていたのだけれど、たぶん、各校の「特別支援学級主任」クラスの集まりのテーブルにわたしも座っていたはずで、テーブルのほかのみなさんが、「ウンウン」と頷首するのを、わたしは見逃さず、なんともばつの悪い思いを正直してしまった…。
いま、この文章は、8/8(木)、免許法認定講習の「テスト」の回答を、ものの10分で書き終えて(合格の自信あり!)、その余った時間で、メモとしてつらつらと記しているのだけれど、この七年にわたる免許法認定講習においてだって、先に記したWISCⅢの話も療育手帳にまつわる話も、ちっとも伺えていない。もうこれが6単位目だというのに。今回単位がとれたら、もう免許状取得目前なのに…。
正直、いったい、これ以上、どこでどういう学びを重ねれば、そのような、自分の望む知識を得られるのだろうか。
時間とともに、経験値としてじわじわと身に着けていくしかないのだろうか。
でもさ、WISCⅢの話はさておくことが出来るとしても、療育手帳に関する話とかは、特別支援学級で従事する我々も、保護者と教育相談をするうえで、知っておかなくちゃいけない話なんじゃないのかなー。
後々になって、児童が「生徒」になったあと、『実は…』的なことが発覚し、
「そこまでは当時知りませんでした、すみませんでした」
では済まない情報とか、もうほかにないかなー。不安で仕方ない。
せっかく集中的に学びに来ているのに(ちなみに会場近くの宿に宿泊してて、そこでメモをもとに今タイピング中)、今日の筆記テストのあんばいも悪くなかったのに、なんだかモヤモヤなのです。