歌のない音楽

前振り

以前、とあるブログで「歌のない音楽は音楽じゃない」という記事をみかけた。

はて、そうかな。

じゃぁクラシックのほとんどって、音楽じゃないの? 揚げ足取りみたいだけどそう思った。

ボーカル(歌)って、確かにね、時にはすごくいい効果を出したりするけど、私は絶対に必要かというとそうは思っていない。

それが私の音楽評を始める前振りになる。

私の音楽遍歴~黎明

すごく昔にさかのぼると、私の場合は母が朝いつもかけていたNHKのFMだった。今と違って田舎はNHKのFMしか入らなかった。だからたいていはクラシック(たまに浪曲だったり民謡だったりすることもあったけど……)。小学校に入る前は、このクラシックの時間が退屈やらなんやらで仕方がなかった。

本格的に音楽に目覚め始めたのは、小学六年生だったかな。その前にも突発的に好きになる曲はあった。例えば、野口五郎の「針葉樹」という曲は大好きだったし、松崎しげるの「愛のメモリー」も大好きだった。だがそこから何かに発展することはなく、一過性のものだった。

小学六年生の時、なぜかはよくわからないのだが、さだまさしに傾倒した。これがドはまり。さだまさしの詩に感動し、時には涙し、そして中学生になった私はフォークギターを手にした。ローズウッドの指板の色がはげるくらいよく弾いた。


中島みゆきにもハマった。あの暗ぁ~い感じがたまらなかった。

ただ、周りは違った。オフコースである。「さよなら」がヒットし、周りの同じ年齢およびそのちょっと上は、アンチもいたもののオフコース全盛だった。私もオフコースを無理やり好きになろうとした。ただ違和感があった。嫌いではない。メロディーは好きだった。だけどどうしてもぬぐえない違和感……。詩が入ってこないのである。小田和正の声は、ある意味すごいと思う。だが詩は別な人に任せたらいいのではないかと思った。ほどなくしてオフコースは活動を休止する。


また、当時は「ニュー・ミュージック」というジャンルのブームがほぼ終焉を迎えようとしていた。八神純子は私にとってちょっと華やかな雰囲気があって好きな存在だった。

私の音楽遍歴~変容のきっかけ

中学三年の時、ある一人の歌手に出会う。吉田美奈子である。たまたまテレビCMで「ブラック・アイ・レディー」という曲のサビが流れていて記憶にあったのか、FMで流れた時にすかさず「エア・チェック」(ほぼ死語?)した。最初はびっくりした。あまりにもクセが強い。拒否感が五割、なんか新しいものだから聴かなければならないという思いが五割という感じ。だがこれが私の音楽趣味に風穴を開けることになった。聴きこむほどに、次第にその力に惹きこまれていった。それが私にとっての大きなきっかけとなった。


私の音楽遍歴~洋楽の洗礼

高校に入ると、私はそれなりに音楽を聴いてきたという自負はあったものの、井の中の蛙でしかないことを思い知らされる。周囲は音楽に詳しい奴らばかりだった。ニューミュージックだけを聴いてきた私はすぐに自分の懐の狭さ、引き出しの少なさに愕然とした。

洋楽の洗礼である。

歌詞なんてさっぱりわからない。だって英語だから。それにどこから手をつけていいかわからない。だって広すぎるから。とりあえず『ベスト・ヒットUSA』を見ることにした。よくわからん。どれがいいんだかさっぱりわからん。困った。

とりあえずリズムが自分に合ってそうなものを選んでみた。Phil Collinsがなんだか良かった。レンタルレコード屋(当時はまだCDプレーヤーを持っていなかった)に行って、Phil Collinsの『No Jacket Required』を借りてきた。最初の「Sussudio」の衝撃ったら……。


これを足掛かりにして、私は洋楽へ少しずつ傾倒していった。

私の音楽遍歴~ジャズとフュージョン

私の母校には、高校のくせになぜか「ジャズ研」があった。ジャズなんて眠くなるもの、退屈なものという感覚しか持っていなかったのだが、ちょっとキャラの濃いヤツに連れていかれて顔を出したら、「おまえ、なんか楽器弾けるの?」と、そこにいた先輩に言われた。「ギターならちょろちょろ」と言うと、「またギターかよ……」とがっかりされ、「手がでかくて腕が長いから、おまえ、ベースやれよ」と、そこに立て掛けてあったボロボロのジャズベースを手渡された。これが運命の出会い。

当時はスタンダードなジャズからはかなり外れたといっていい「フュージョン」が元気がよかった。カシオペアのメンバーもまだ若くていきがよかった。ベースなんか弾いたこともない私だが、弦の数が少ないなら弾きやすいのかなぁと安易な気持ちで始めたが、「カシオペアをやろうぜ」という友人に渡された譜面をみて驚いた。


「黒い……」

そう、16分音符ばっかり。「弾けるか、こんなもん!」と思ったが、とりあえず原曲を聴いてみた。なんか爽やかなイメージ。うん、悪くない。これが私とフュージョンの出会い。そしてベースを始めるきっかけである。

だがすぐに「歌が無い」ことにも気づく。そう、インストゥルメンタルなのである。だが私はベースを弾くためにひたすら16分音符と格闘する日々。歌が無いことなんか気にしていられないわけである。

だが、洋楽では歌詞が聞きとれていないのに聴いていたわけで、インストにもそれほど抵抗が無くなっていることに気づいた。おまけにとにかく音を聞き分けることに集中していたせいか、歌詞がなくとも別に気にならなくなっていたし、その方がイメージを自由に膨らませられることにも気づいた。

「歌、なくたっていいんじゃないか?」

これが当時の私の気持ちである。

私の音楽遍歴~クラシック的なものと、歌の存在

大学時代は高校時代とそれほど大きな変化はなかった。ジャズ・フュージョンを聴き、洋楽も聴き、たまに友人とインストものの演奏をする、そんな感じである。

次の変化は24歳の時。テレビCMで流れたオーボエ奏者の宮本文昭が奏でる「Meditation」。これが良かった。そのCMにはもう一つ「ボヘミアン・ダンス」を吹くバージョンもあった。


赤貧の日々だったのにもかかわらず私はCD屋へと走る。そして宮本文昭にドはまりする。本流はクラシックなのに、自分のアルバムだといろんな試みをしていることに好感をもった。クラシックも当然ある。ジャズ、映画音楽、イージー・リスニング、ニュー・エイジ、テクノ、まぁいろいろだ。これが良かった。私の聴く音楽の世界が一気に広がった。だが時にはクラシックのアルバムも聴いた。不思議と抵抗がなかった。そう、幼いころに母がかけるNHKのFMで聴いていたからだ。幼い頃の体験とは後からジワジワくることを思い知らされた。

だが私は純粋なクラシックには傾倒していかなかった。それを母はちょっと残念がっていた。

かわりに、私は歌のない音楽へとどんどん突き進んでいくことになった。中心はやっぱりジャズ・フュージョンなのだろうが、「フュージョン」というよりは「クロス・オーバー」なのだろう。いろいろな音楽の要素が融合しているものが好きになった。その中でボーカルの必然性があるならばそれもあり、というわけだ。私にとって、ボーカル、つまり歌は、その音楽を構成する要素の一つに過ぎないものだという位置づけになった。だから歌が必要ないならばインストになるし、必要ならば真中に据える。スキャットやコーラスの場合だってある。曲によっては、ピアノ(キーボード)が無かったり、ギターが無かったり、ドラムの代わりにコンガだったりと、編成はその曲によって変わる。ボーカル(歌)だってそれと同じなのではないか。必要ならば使うし、必要ないならば使わなくていいのである。つまり、歌は絶対に必要な存在ではない、というのが結論なのである。

だが中学時代は歌を聴くことにあけくれた。その理由を考えると、当時の私は「言葉に飢えていた」のかもしれない、というところに落ち着く。そしてある程度ボキャブラリーも増え、表現も少しわかってきたとき、私の中で歌は一つの役目を終えたのかもしれない。だから高校一年の時に、さだまさしのアルバムを聴いた時、私は言いようのない違和感を覚えたのだ。悪いわけではない。だが「もうお腹いっぱい」なのである。同じことは中島みゆきにも言えた。

今の私

我が家のCDライブラリーは実にバラエティーに富んでいる。ロック(ハードロック)あり、ポップスあり、ジャズあり、クラシックあり、タンゴあり、J-Popあり、民族音楽あり、映画音楽あり……。iPhoneには6000曲以上入っている。要するに、良い曲は良い、という考えなので、ジャンルで縛るのはばかばかしいのである。楽器でいえば、やはりベースものが多い。結婚してから妻に教わったものもたくさんある。ライブにもよく出かけた。セッション系のミュージシャンたちの演奏を中心によく聴きにでかけた。

考えてみれば、音楽を聴けば聴くほど、ジャンルなんてどうでもよくなるような気がする。一つのアーティスト、一つのジャンルをずっと聴き続け、愛し続けるのは否定しない。だが私はそういうタイプではなかったようだ。飽きっぽいわけではない。だが興味がどんどん広がっていったのだ。そのきっかけとなったのは、私にとっては吉田美奈子だ。「五割の拒否感」には、新しいものがたくさん含まれているような気がするのである。

そんなわけで、私の個人的音楽評(と言っても、ただの自分の好きなアルバム紹介)は、基本的にジャンルを選ばないつもりである。

今後不定期に気分が乗った時に載せていきたい。

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