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ネットラジオを始めてみて、世の中のストレスの状態が見えてきた話。

ネットラジオ「セキヤ泥だらけ。」を公開して1週間たった。先ほど#2も公開になったのでよければ聞いてみてほしい。

現在(5/20深夜)、#0と#1で合計再生回数が450回ほど、チャンネル登録者数は59人。有名YouTuberと比べるととんでもないが、とっても多くの方に聞いていただいたと思う。聞いていただいた方、登録くださった方、本当にありがとうございます。のんびり聞いてもらえたらと思います。

で、ラジオへの投稿含め、多くの人から連絡をもらった。そのやり取りの中で、世の中のストレスの状態の一端が見えてきたので、少し書いてみたいと思う。


「久しぶりに家族以外の人の声を聞いた」

「久しぶりに家族以外の人の声を聞いた」との投稿があった。僕個人にも「仕事(仲間)以外のひとの声を聞いてほっとした」との連絡が何件かあった。色んな方に「”ひと”の声が聞けてよかった」と喜んでもらえている。

ここでいう”ひと”とは仕事仲間や家族以外の人(他人)のことだ。

切実だと思う。コロナな世の中になる前は、電車とか居酒屋とか道端とか色んなところで知らない人の声を聞く機会があったが、それが無くなった。世の中のマスメディア的には、企業が倒産するだの政府の対応がどうだのいろいろ騒がれているが、その影で、このウイルスは確実に人の”精神”を蝕んでいる。


「当たり前」ができなくなることは大きなストレス

認知症の初期の段階でそういったことが起こるらしい。つまり、今まで当たり前に覚えられていたことがだんだん覚えられなくなってくるが、それを自覚してしまうという(症状の進行でそれすらわからなくなる)。その自覚は本人を苛立たせ、大きなストレスが加わるそうだ。また、そのストレスが認知症の進行を早める場合があるらしい。

ラジオを始める前は「こんな世の中になってしまって不安になっている人がいるかもしれない。そういった人にラジオが届けば…。」という気持ちはあったが、正直、ここまで多くいるとは思っていなかった。しかも自分の手の届く範囲に。ほんと失礼な話だと思う。でも始めてよかった。ほんのちょっとかもしれないけど、このラジオが誰かの役に立っているのだから。


浮き彫りになる”ひと”とのコミュニケーションの重要性

直接的なもの、間接的なもの含めて、”ひと”とのコミュニケーションができなくなったことで、不安やストレスを抱えている人がいるということは、逆説的に”ひと”とのコミュニケーションを重要性を浮き彫りにしている。

オンライン化が進み、実際に顔を合わせずに仕事ができるようになっていく一方で、”ひと”とのコミュニケーション、つまり偶発的に他人とコミュニケーションを取る機会は増えていくのではないかと思う。それに対応してまちづくりやデザインに取り組むべきだと思う。電車やバスで席を譲る。街を歩いて出会った人に会釈する、挨拶する。なんとなく広場に行って、遊んでいる子供たちを眺め、視線のコミュニケーションを取る(見る見られるの関係)等…。建築的にはそういったことが起こりやすい建物や街をデザインしていく必要があるように感じた。僕は医療の専門家でもないし、政治家でもないけど、モノを作ったりはできる。自分のできることで、今と未来に応えてみたい。

ラジオはまだ始まったばかりだが、いろんな気づきがある。僕自身もネットラジオを通して、知らない人と繋がりたかったのかもしれない。


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