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「備前焼のルーツといわれる寒風須恵器」関友美の日本酒連載コラム(リカーズ12月号)

 全国には波佐見焼、九谷焼、有田焼、益子焼などさまざまな焼き物があります。日本酒好きのなかには、酒器にこだわる好事家も一定数いて、語られることも多く、若い時には「へぇ」と右から左へ聞き流していたのですが。ブラタモリの番組内でタモリさんが「花鳥風月の次は、石」と言っていたように、年をとると、段々と動かないものに興味が移ってくるんですね。

各地の特色を持つ焼き物が確立する以前に作られていた、「須恵器(すえき)」を知っていますか?須恵器は、西暦400年頃(古墳時代中期)から平安時代にかけてみられる青灰色の焼き物で、朝鮮半島から伝わった、日本で最初の焼き物だとか。ろくろで成形して、登り窯を用いて1,000℃以上の高温の還元炎で焼き締めます。

 早くから須恵器が焼かれていたといわれる備前地方。なかでも岡山県瀬戸内市牛窓町寒風(さぶかぜ)地域で生産される須恵器は、日本六古窯のひとつである「備前焼」のルーツといわれています。寒風須恵器は、奈良時代の平城宮などで出土しており、高い作陶技術が評価されています。出土した物から当時の暮らしぶりを研究している『独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所』の呼びかけで、日本酒「風の森」をつくる油長酒造(奈良県)と、寒風須恵器制作プロジェクトに賛同する現代作家4名と、発掘された書物に書かれた醸造法をもとに、当時の酒づくりを再現しようとする研究が進んでいます。信楽焼の大甕で醸した日本酒が、油長酒造の「水端(みずはた)」です。「水端 1568」を飲みましたが、現代の日本酒と同列で語ることのできないワイルドな味わいでした。

油長酒造の「水端」ではない、通常商品

日本酒醸造の歴史は、雑菌汚染されることなく衛生的にお酒を醸せるように、と甕→木桶→ホーロータンクと移り変わってきました。なんとか腐造を防ぐよう、研究者も醸造家も苦心した末に、現在の醸造学が確立したのです。安全に醸せるどころか、美味しさを追求し続けられる現代の次なる課題は、酒が画一化してしまったこと。だからこそ今、「この地で酒づくりをする意味は?」と歴史を掘り起こし、アイデンティティを追求する酒蔵が出てきているのです。油長酒造もそのひとつ。

備前焼の先生たちと押上文庫オーナーと焼き物の愛好家

テイスティングをするときも近年では、利き猪口ではなくワイングラスが提唱されてきました。だけどこのたび押上文庫(東京都墨田区)という居酒屋さんにおじゃまして、素晴らしい焼き物作品に囲まれる温かみを知りました。そこでわたしも初めて作家物の備前焼を購入してみました。まだ使う勇気がなく、書斎に置いて、事あるごとにスリスリと器の肌を撫で愛でています。お気に入りの焼き物を見つけると、こんなにもQOLが上がるんですね~。またひとつ、新たな沼に足を突っ込んだような気がします。

今月の酒蔵

来福酒造(茨城県)  
近江商人である初代が、筑波山麓の良水がある現在の地に1716 年(享保元年)創業した。「来福」の銘柄は、詠み人知らずの俳句「福や来む 笑う上戸の 門の松」に由来。めでたい名前から、門出の贈り物としても人気。2003年からは東京農業大学発祥の「花酵母」を使用している。全国のさまざまな米と、ナデシコ・ツルバラ・日々草・ベゴニアなどの花酵母のかけ合わせは珍しく好評で、さらに各種コンテストでも受賞を重ねる実力派の酒蔵でもある。

 
以上

庄司酒店発刊「リカーズ」連載日本酒コラム
関友美の「そうだ。日本酒を飲もう。」12月号より

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