1 「生き直し」のヒントを探す旅へ 白岩英樹
リレーエッセイ、らしきものである。らしきものと付言するのは、我々がこれからどのような理路をたどり、その先にはいかなる迂回路や逸脱があるのか、はたまた邪径が待ち構えているのか、当人たちにも判然としていないからである。
ただ、バトンをまわすメンバーと編集者だけは決まっている。建築家の光嶋裕介さん、歴史学者/思想家/人文系私設図書館ルチャ・リブロの革命児こと青木真兵さん、高知県立大学でアメリカの思想や文学を講じるわたし、白岩英樹。そして、ひとり出版社・夕書房の高松夕佳さんが、我々3名をディレクションしつつ、ウェブ上の編集を手がけてくださる。
肩書きについては異論もあるかもしれない。それについては、追って問題提起なり、拒絶なり、弁明なりをお話しいただければと思う。全人的に生きようとする人間を特定の枠に押し込めること自体、どだい無理なのだ。わたしにとっては、光嶋さんも青木さんも高松さんも、住む場所や職業は異なれど、尊敬する友人である。ときに共感したり、ときに遠くを仰ぎ見るような感興を覚えたり。もちろん、その逆もあるかもしれない。全人的に生きるとは、そのような感情の湧出を受け容れることでもある。
しかし、幸運なことにそのような思いに呑み込まれた記憶はない。それはもしかしたら、住む場所のフィジカルな隔たりや、お互いの仕事が違うからこそ生まれる想像力、さらにはその先で開花する敬意が、ある種の感情の増幅を抑制しているからかもしれない。自他の相互受容とは、それほど大げさなものではなくて、かといってごりごりに「自律」的でも、がちがちに「他律」的でもない、そのあいだの「無律」的な状態からおのずと生まれる状態なのだろう。
「生き直し・再生」の先駆者としてのアメリカ
だが、タイトルである。なぜいまさらアメリカなのか。<アメリカの世紀=戦争の世紀>と呼ばれた20世紀が過ぎ去り、四半世紀近くが経つ。アメリカ関連の書籍も、わたしの読書量では追いつけないくらいの冊数が、刊行され続けている。にもかかわらず、どうしてアメリカにこだわるのか。それは、わたしなりの理由を申せば、イギリスでの迫害から逃れたピルグリム・ファーザーズが命からがらたどり着いて以来、彼の地がいまなお「生き直し・再生(rebirth)」の場であり続けているからである。
その後、アメリカ独立の発端となったアメリカ革命は、フランス革命やハイチ革命と並び、18世紀に起きた三大革命と呼ばれる。が、フランスやハイチの例を見ればわかるように、革命の評価はむしろ起きたその後の仕儀で決まる。アメリカ革命では、13州の植民地人が宗主国イギリスの植民地主義に抗い、脱植民地化を実現した。そして独立宣言にも、「すべての人間は平等に創られている(all men are created equal)」と明確な理念を書き記した。にもかかわらず、「すべての人間」から、先住民族や黒人奴隷はこぼれ落ち、彼らは長きにわたり、「未完」の革命の犠牲者に甘んじねばならなかった。参政権においても、“all men”は字義通りの“all men”であって、そこに“women”は組み入れられなかった。女性たちは公的領域に相応しくない存在とされ、私的領域に幽閉された。
しかし、彼らは自らの権利を回復するために、公民権運動やウーマン・リブをはじめとする市民主体の社会運動を立ち上げ、ときに国外の同志とも連帯しながら、「生き直し」を実現してきた。その結果、公民権法には幾度も修正が加えられ、人種や性別による差別撤廃の領域が徐々に拡大されていった。草の根デモクラシーは国家としてのアメリカを大きく揺らがし、憲法前文に刻印された「より完全な統一(a more perfect union)」へ向かって、政府に「再生」を迫り続けてきたわけである。 「未完」のアメリカ革命は、いまも日々の営みにおいて継続している。BLM(ブラック・ライヴズ・マター)や#MeTooはその延長線上にある、個人・国家の二重の「生き直し・再生」を求める闘いといえよう。
アメリカの学芸も、やはり同様の歩みをたどった。講演「アメリカの学者」によって、ヨーロッパに従属しない、アメリカ発の学問を宣言したラルフ・ウォルドー・エマソン。ウォールデン池畔での自給自足の生活から、アメリカの「自然・本性(nature)」との交感を『森の生活』に書き記したヘンリー・デイヴィッド・ソロー。『草の葉』で、アメリカの大地とデモクラシーに根ざした詩を詠いあげたウォルト・ホイットマン……。数えあげればきりがない。
だが、彼らとて、決して順風満帆に突き進んだわけではない。形式主義を嫌ったエマソンは「無神論者」として教会を去らねばならなかったし、一見すると楽観的な彼の思想が皮相的に捉えられ、欺瞞だと批判された。メキシコ戦争や奴隷制の拡張に抗議し、納税を拒否したソローは、逮捕・投獄された。ホイットマンの詩作に対しては、赤裸々な性的表現が「わいせつ」だとされ、とうてい詩とは呼べないと非難された。それでも、どれだけ痛烈なバックラッシュに襲われようと、彼らは自らの理念を現実社会に突きつけ続けた。そして、寄せては返す波さながらにバトンをつなぎ、「生き直し・再生」の扉を一つひとつ押し開けていった。
20世紀前半のアメリカを代表する批評家でハーバード大学教授のフランシス・オットー・マシーセンは、エマソン、ソロー、ホイットマンの3人に、『白鯨』のハーマン・メルヴィルと『緋文字』のナサニエル・ホーソーンを加え、彼らの代表作が次々と生まれた1850-55年の期間を「アメリカン・ルネサンス(American Renaissance)」と名づけた。「復興」を意味するフランス語“renaissance”の語源は、「re(再び)」+「naissance(生まれること)」。つまりは「生き直し・再生」である。彼らは自分自身の「生き直し」を実践すると同時に、アメリカ自体を「再生」させたのだ。
彼の国アメリカでは、かように「未完」の革命が波状攻撃のごとく続いている。それでは此の国日本はどうか。「失われた30年」で我々がなくしたものは、はたしてグローバル化における経済だけであろうか。残念ながら、わたしにはそうは思えない。たとえば、教育再生会議やその後継組織に代表される「再生」は、より適切な日本語を用いれば、「後退」の謂いであった。昨今の大学政策に関していえば、「生き直し」を試みるくらいなら今生で効率よく儲けたい、そのための処世術が権勢を振るう一方である。
現行の社会システムに適応し、同調し、服従する。しかし、その種の営みが自家中毒に陥るのは必定であろう。過剰に適応し、同調がさらなる圧力を生み、服従しない他者を隷従させる。書いているだけでも息苦しいのだから、当事者はどれだけつらいことか。そこには自己責任論として強要された「自律」や、組織に忠誠を尽くす「お上」至上主義としての「他律」はあっても、それらを押しとどめ、両者のあわいから生じる「無律」としての「生き直し・再生」はない。
そこでアメリカなのだ。彼岸のアメリカを捉え直すことで、此岸の日本を問い直し、「生き直し・再生」の糸口を掴みたい。わたし個人としては、そういうわけである。人間の生をラディカルに思考する建築家(アーキテクト)の光嶋さん、古代史や人類学、福祉社会学を渉猟しながら自由(アナーキー)に暮らす青木さん、彼らの営みには、そのためのヒントがあふれている。とりわけ、第1回を担当する身としては、おふたりの著作を参照しつつ、先に述べたソローとの関連を採りあげておきたい。アメリカ発の学芸を促進したエマソンに言わせれば、ソローほどの「アメリカ人」はいないのだから。
ソローと地続きの「ここちよさ」と「楽チンさ」を実践する仲間たち
まず、光嶋さんである。
光嶋さんはアメリカで生まれ育った。しかし、アメリカの建築は、ヨーロッパに比べて歴史が浅く、時間の堆積に欠ける。空間をつかさどる建築にとって、時間の欠如は如何ともしがたい。そこで、大学入学後に、ヨーロッパ建築をめぐる旅へ出る(『建築という対話』)。
ヨーロッパの重厚な歴史はアメリカの比ではない。だが、パルテノン神殿に代表される古代建築は、あまりに時間の隔たりが大きく、想像力が追いつかない。かといって、ヨーロッパにも浸透したモダニズム建築は、一人ひとりの個別性を排し、上から「普遍」を押しつけるきらいがある。そこで、彼は原点に回帰する。行きついた先が、ソローの『森の生活』である。
光嶋さんはここぞという箇所で、ソローやウォールデンに言及する。自然との対話を実践する人間に最大限の敬意を表しつつ、その姿をソローと重ね合わせ(『みんなの家。』)、旧友が長野で選び取った新たな生活にエールを送るかのように、「森の生活」と銘打った住宅を設計し(『ぼくらの家。』)、家から「生・死・労働」を切り離した現代人の生き方を問いながら、ソローの生活に立ち返る(『ここちよさの建築』)。どの記述も、敬意と愛情に満ちている。
ソローが暮らしたウォールデンの森は、先住民族の暮らしも内包する。師のエマソンはいったんアメリカを離れ、ヨーロッパの伝統に身を浴したのち、アメリカで「生き直し・再生」を実現した。弟子のソローはウォールデンに歴史の堆積を「再発見」した。光嶋さんの足取りは、エマソンとソローの歩みを髣髴させる。
ソローがセルフビルドした小屋とソロー自身の生き方は決して分けられない、光嶋さんはそのように語る。彼の建築の土台にあるのは「ここちよさ」の追究である。つねに変化し続ける「自分なりのここちよさ」を信頼し、自らの身体を通して「外の環境との相互作用」を味わう。そして、決して完成を急ぐことなく、自分にとって大切なことを問い、検証する(『ここちよさの建築』)。ソローの全人的な生きざまは、光嶋さんが提唱する建築の倫理「ここちよさ」に深く息づいている。
そして、青木さん。
青木さんは、と語ろうとすると、言葉に詰まる。というよりも、言葉に言葉を重ねることになる。歴史学者としては、パルテノン神殿から遡ること数百年、紀元前9世紀に建国されたカルタゴおよびフェニキア人研究で博士号を取得し、それでいて社会福祉士の資格を有し、お連れ合いでもある司書の海青子さんとともに人文系私設図書館ルチャ・リブロを運営する。
しかし、青木さんは青木さんであり、それ以上でも以下でもない。青木さんは青木さん自身を全人的に生きている。全人的に生きようとすると、必然的に社会システムの枠からはみ出す。それが青木さんである。
著書を刊行するたび、精力的にトークイベントへ出かけるあたりは「講演者」としてのエマソン的でもある。「コンコードの聖人」と呼ばれたエマソンにならえば、「東吉野の自由人(アナキスト)」と表現できるかもしれない。だが、本性(nature)としては、おそらくエマソンよりもソローに近いのだろう。ルチャ・リブロのロケーションやたたずまいも、どこかウォールデンの小屋を思わせる。
ソローはコンコードの村から歩いて25分ほどの池畔を選んだ。先住民族が遺した矢じりを拾っては思索にふけり、筆を走らせた。一方、ルチャ・リブロは最寄りの駅から車で20分ほど。わきには小さな川が流れ、橋のたもとには「天誅組終焉之地碑」が建つ。死者と自然とが混交する場で生が営まれ、数多の本がそれを見守る。
ルチャ・リブロを訪れるひとたちは、ほかでは打ち明けられない「本当の話」をするという。海青子さんは、その理由を自宅兼図書館であること、自然に囲まれていること、さらには書物が並んでいることにあるのではないかと推察する。彼女の言葉を借りれば、「話すこと」は「放す/離す」ことである(『本が語ること、語らせること』)。
来館者は、此岸としての社会システムから隔たったルチャ・リブロに足を踏み入れ、字義どおりに彼岸の自然(nature)と交感しながら、自己を拘束する「自律」を徐々に「放す/離す」ことになる。そして、本の中に眠る死者たちに背中を押されながら、青木さんや海青子さんの本性(nature)に感応し、「無律」的に自らの本性とも出逢い直しているのだろう。
それでも、青木さんや海青子さんも人間である。たとえ「他律」的ではないとしても、「自律」の網に絡み取られることがあるかもしれない。そこで彼らが唱えるのが、「楽チンさ」(海青子さん)と「なんとなく」(青木さん)である(『彼岸の図書館』)。おふたりが語る言葉は、光嶋さんが提案する「ここちよさ」と地続きにある。おそらく、一方向的な「自律」にも「他律」にも依らない「無律」とも。
「ソローの小屋」をはじめよう
彼岸と此岸の往還を実践する青木さん・海青子さんと同じように、ソローもウォールデン池畔に隠遁していたわけではない。『森の生活』には次のような記述が残されている。
村から歩けば20-30分ほどの距離なのだから、ソローが述懐するとおり、彼が求めたのは決して仙人が望むユートピアなどではない。問題は社会システムや他者との距離なのだ。ソローは、それらをぎりぎり受け容れられる「ここちよさ」や「楽チンさ」を求めた。そして、実際に自分の足で歩いてみて「なんとなく」ほどよい場所にセルフビルドの小屋を建てた。だから、彼の小屋は自分だけのための空間ではなかった。事実、そこには椅子が3脚あったという。ソローは次のように語る。
「独り」と「友」と「人づきあい」と。我々も、これらの椅子のいずれかにどっかと腰を下ろし続けるのではなくて、それぞれの座り心地を確かめるように、それらのあいだを巡りめぐりながら、一生を過ごすのだろう。願わくは、このリレーエッセイ、らしきものでもそのようにありたい。市場原理にのっとった「椅子取り競争」なんて、政府の犬にくれてやれ。ソローが生きていたら、きっとそんな悪態をつくにちがいない。
3脚の椅子とそこに腰を下ろす面々と。光嶋さん、青木さん、白岩(そして、海青子さん、高松さん)。だれがいつ、どの椅子に腰かけ、歓談の妙を味わうのか。少なくとも、これを書いている時点では、わたしのバトンを受け取る相手さえ決まっていない。けれど、その手法にさえ、「ここちよさ」「楽チンさ」「なんとなく」が満ちている。気づけば、わたしも「無律」の波に漂って、当初4,000字程度と設定されていた原稿の分量をとうに超えてしまった。
『森の生活』によれば、ソローは自分の小屋に25-30人にも及ぶ人々を一度に招き入れたことがあったらしい。それでいて、密集しているという感じも抱かなかった、と。今夏に初めてウォールデンを訪れ、小屋(レプリカ)に実際に足を踏み入れた人間としては、にわかには信じがたい。建坪はわずか3m×4.5m=13.5㎡。そこにベッドや机、暖炉、そして3脚の椅子まで置かれているのだから。
我々が用意している椅子も、ひとまずは3脚である。が、通常1人1脚とされている「定員」も、場に潜在する「自然・本性(nature)」や、「友」や「人づきあい」として居合わせる相手によっては、何人でも座れるはずだ。ソローの例を見る限りは、椅子や小屋なんて、いくらでも伸縮するらしいのだから。セルフビルドした小屋も3脚の椅子も、社会や共同体の謂いなんですよね。ことによると、次に椅子に座るのは、あなたかもしれない。ソローの小屋に招かれたようなお気持ちで、どうかごゆっくりおつきあいいただければ幸いである。
〈参考文献〉
◉この連載は、白岩英樹さん(アメリカ文学者)、光嶋裕介さん(建築家)、青木真兵さん(歴史家・人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター)によるリレー企画です。次のバトンが誰に渡るのか、どうぞお楽しみに!