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ぼくらの「アメリカ論」

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ぼくらのどこかに、いつも「アメリカ」がある。 高知、神戸、東吉野。文学者、建築家、歴史家。居住地も職業も違う3人が、互いの言葉に刺激されながら自分にとっての「アメリカ」を語る、こ…
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#自由

8 アメリカの「自由と民主主義」が抱えるもの 青木真兵

何度も繰り返すが、このリレーエッセイにおいて僕は自分の中にある「アメリカ」を見つめ言葉にし、現代社会とどうにか折り合いをつけられるようになりたいと考えている。なぜなら、自分の中にある「アメリカ」と現実のアメリカとのあまりにも矛盾した状態に、正直なところ大きく失望しているからだ。それは一言でいうと、「自由と民主主義」の問題である。 「自由と民主主義」のアメリカはどこへ行ったのか僕が幼少・青年期を送った1980、90年代にアメリカの存在感の大きさを疑う者はいなかっただろう。ベル

5 「アメリカ」をどこから見るべきか 青木真兵

アメリカの重層性僕にとってこのリレーエッセイは、光嶋さんとは違う形だけれども自分のなかに潜む「アメリカ」を探求する旅となる。パンやコーンフレーク、ハンバーガーとともに育った僕は、これらを「アメリカのもの」だと強く意識していたわけではないし、『ジュラシックパーク』や『インディ・ジョーンズ』だって面白い映画だと思って観ていたけれど、「アメリカの映画」としてフランス映画やロシア映画と比較していたわけではなかった。 埼玉県浦和市で育った僕の生活や社会にはアメリカ由来のものが溢れていた

2 小さな跳躍を重ねて、獲得する大きな自由 光嶋裕介

私が楽観的で実利的な理由私は、オプティミスティック(楽観的)で、プラグマティック(実利的)な人間であると言われることがある。自分でもそういうところがあると思う。それは、ベーシックなところで無駄なことが嫌いで、常にハッピー(ご機嫌)であろうと心がけているということ。心がけているというのはいささか大袈裟で、日々の生活を通していつしか私の骨の髄まで染み込み、ごくごく自然とそうなったという方が正しいのかもしれない。 まずは、オプティミスティックについて。楽観的であるとは、悲観的にな