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記事一覧
2024.06.19『あとがき』
7月に出る句集のあとがきを書いて送った。
送った後に気づいたが、誰々に感謝とか誰々にお世話になったみたいなことを一切書いてなかった。本棚にある本を何冊か取り出して見てみると、すべてのあとがきが感謝でしめられていた。まあいいかとお酒を飲んだ。
2024.06.01『なんにも』
「なるようになるか」と思いがちで、その考え方で生きてきたが、「なんにも考えてないんだな」などと言われることが多い。
2024.05.31『真似をする』
自由律俳句を作ろうと思い立った場合、最初は真似になる。私も尾崎放哉を手本とした。
自由律俳句の場合、手本が限られているが、真似して作れば良い。
そこからである。
そのままではいけない。
2024.05.30『センス』
高校卒業して上京した時、街ゆく人の着ている服が全然違うことに驚いたことがある。自分の服が随分と見窄らしく見えた。そこから私は無意識に街や電車で他人の服を見るようになった。かっこいいと思うもの、かっこわるいと思うもの、かっこいいけど自分の好みではないもの、流行っているもの、流行りそうなもの、など自分なりに見て、流行と知識を得ていった。いつしか自分なりのスタイルと好みが明確になった。
まあその私のセン
2024.05.29『単語3』
単語力をつけることのメリットはいくつかある。
そのひとつとして「表現の幅を広げる」がある。
たとえば次のような表現。
『キャンディのように甘い恋』
実にありきたりな表現であるが、甘さを感じさせる単語の置き換えによって、自分にしかできない表現が作れる。
甘さを感じさせる単語
・和三盆
・黒糖
・齧ったさとうきび
・常温で熟した果実
・茶色い斑点が現れたバナナ
・バナナの柄に遠い部分
・ひ
2024.05.28『単語2』
おもしろみのある単語というものがある。
自分にとって、あるいは自分の周りを含めて、おもしろいとされる単語である。
それは定期的に変わるものである。
私が10代だった頃(1980年代)は「メガネ」がおもしろい単語だった。
『メガネ◯◯』みたいなネタも量産された。
今は「メガネ」はおもしろい単語ではない。
2024.05.27『単語』
単語力を付けることはかなりのメリットになる。
くす玉の例のように単語の数がアイディアの数になるのならば、自分の中のストックは多いほど良い。
自由律俳句はもちろん、コピー、戯曲、小説、コント、どれでも使うのは単語である。
一見「語彙」と同じに見えるが、決して同義ではない。
2024.05.26『さらに考える』
①固体
②液体
③気体
④その他
①は現実的であり、②③④と進むにしたがってファンタジー色が強くなる。あるいはリリカルやエモーショナルに変化していく。
『くす玉の中には秘伝のソースが入っていた』
『くす玉の中には夕立が降り始めた時の香りが入っていた』
『くす玉の中には声が入っていた』
このようにジャンルの違うフレーズが生まれる。
現実的なものがよいのか、そうではないのか。自分の好み、ある
2023.05.25『まだ考える』
くす玉の中身を考え続ける。
様々なものが思い浮かぶだろうが、これらは4つに分類される。
①固体
木の実、ひとし君人形、びっくりドンキーのメニュー、メントス
②液体
硬水、結露した水分、秘伝ソース、川越シェフの水
③気体
高原の空気、カレーの匂い、夕立が降り始めた時の香り
④その他
思い出、声、希望
これらも分類する必要がないのに分けてみる。すると少しだけなにかやった気持ちになれる。
2023.05.24『それでも』
それでもくす玉の中身を考える。
遺言状
実印
自転車の鍵
人間ドックの結果
しその葉
パチスロ店のティッシュ
コートの予備のボタン
こうして考えたものが何かの素になる。そう信じていないと消えてしまうだろう。
2023.05.23『良かったことはこれといってない』
たとえばくす玉が吊るされていたとする。
何かの式典で割られるものであろう。
ここで考える。
「あの中に何が入っているのだろうか?」
普通は何かメッセージが書かれた垂れ幕と紙吹雪だ。しかしこのくす玉はそうじゃないかもしれない。何か別のものが入っている可能性がある。そう考える。
その繰り返しで生きてきた。良かったことはこれといってない。
2024.05.22『テーマ2』
テーマがある場合、自分なりの定義を書いてくるくるも多い。テーマが『海』の場合は「泳ぐところ」「生命の源」「家族旅行」などと書いてくる。これらは単なるフレーズや短文であって、残念ながら俳句になっていない。
それらはまだ俳句を作る上の素材の段階であって、そこから調理を行わなければいけない状態なのである。
2024.05.21『テーマ』
投句された句の選考をする。
投句の際にテーマがある場合、ある傾向が生じる。それはテーマから連想したことだけを書いてくる人が多くなるのだ。
たとえばテーマが『◯◯』の場合、「◯◯とは?」「◯◯といえば?」などの問いに対する回答を書いてくるのだ。
このタイプがかなり多い。今回も例外ではなかった。それでは句ではなく辞書である。
2024.05.20『中学校の友達』
夜、中学校の頃の友達に会う。
最も多感な時期を過ごし、良い時間も悪い時間も過ごした人たちである。今のことをあれこれ訊いてこないのでありがたい。
あの頃は国語が嫌いだったが、魯迅の小説に出てくる動物ことは覚えている。