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喜びを思いうかべるってむずかしい。だめなほうを想定するクセとのおつきあい。


推しのライブの抽選結果が発表される日。
当落が分かる時間が近づくにつれて気持ちがソワソワしたり体が妙に緊張しはじめた。

抽選結果を知らせるメールには「あなたは○○公演に当選しましたよー」と書かれていた。それを読んだ瞬間わたしはスマホから飛び退いて…


「うぇえええーー?!!!!
ほんとに? ほんとうに?!わたし当選したのぉ?!!ホントのホント??!」とにわかには信じられずオロオロしました。

今まで推しのライブに行けたことがなかったので、ライブに行ける権利を手にしたことはすごくうれしい…。

けれど、まさか本当に当たるとは思っていなかったのです。
うれしさよりも宝くじに当たったような驚きが勝って、信じられない信じられないと…しばらく動揺がつづきました。




そもそもわたしはライブの抽選に当たりたいという望みを持ちながらも、落選したときのために自分のメンタルを守らないと!と心づもりもしてました。


なぜなら今までの抽選にはハズれてばかり。落選するたびに大きなショックを受けてきました。だからまた期待が裏切られたらツライ…ツラすぎるからもう落選は勘弁してくれと思っていたんです。


それでこんなふうなことを自分に言い聞かせてました。

『ほら、考えてもみて?わたしの推しって人気だからもし抽選にハズれても仕方ないよ?

ライブに行けなくても歌番組でパフォーマンス見られるじゃん?案外それだけでも充分かもよ?』と。


メンタルがズタズタになった場合に備えて前もって自分をなだめるためのセルフケアに余念がなかったわけです。

だけどいざ蓋を開けてみたら「当選」していた。


転ばぬ先の杖ならぬズタボロメンタルになったとき用の心づもりは不要だったわけです。

自分にとっての望みが叶ったことはすこぶる喜ばしい。
でもわたしはついついだめなほうも想定していた。というかだめなほうばかりを気にしていた。
そのことに気がついたとき「木曜日にはココアを」の一節がふっと思い出されました。

~期待しないようにわざと「だめなほう」を想定するクセがついた。
私たちは一秒先のことも知らされないまま暮らしている。自分の意志だけではどうしようもない、抗えないことも向こうから訪れる。そんなときに果てなくふくらんでいく不安は、私たちにおそろしいシナリオを書かせる。自分で作ったストーリーなのに、まるで誰かに与えられた未来のように、そしてそれがもう決まってしまったかのように、私たちは脅かされる。
でも本当は、そんなものはどこにも実在しないのだ。今ここにたしかにあるのは呼吸している私、~

青山美智子 「木曜日にはココアを」より


大切にしたいとか失ったら困ってしまうことに対して、わたしは勝手に好ましくない未来を思い描いて脅えてしまう。これは長年のクセで、改善していきたいと思っていることでもあります。

あぁー。またこまったクセがでていたなー。
やれやれ。


できれば、純粋に
「今回こそきっと当選して推しに会える♪ ライブに行けたらどんなに嬉しいだろう!!」ときらきらした希望だけを胸に抱いて抽選発表を待ってみたかった。

もしハッピーな未来を思い描きルンルンなテンションでいられたなら、当選の知らせもきっとウッキウキな気持ちで受け取れたんじゃないかと思うんですよね。


まさか!という驚きよりも“ウッキウキ” を味わってみたかった…。

まあ、そうは言っても時間はさかのぼれないし、この先だめなほうを想定することをゼロにしていけるかと言えばそれもむずかしいでしょう。

ゼロにしないまでも、これからも自分の思考のクセとおつきあいしながらハッピーな未来を思い描くことやウッキウキ感を味わえる機会をふやしていければいい。そう望んでいきたい。

これがライブの抽選で得た気づきでした。

さあ、やっと念願の推しのライブに初参戦です。
ライブ会場で当日ハッピーに過ごしている自分を想像して、まだまだ先の開催日を楽しみに待つことにします。


おわり



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