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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
<日本灯台紀行 旅日誌>
第14次灯台旅 能登半島編
2022年10月-12.13.14.15日
#8 三日目(2) 2022-10-14(金)曇り、時々晴れ
観光
海沿いの道は、広くなり、見通しがよくなった。右手に海を見ながら、ゆっくり走っていると、<ゴジラ岩>の看板が見えた。おっと、実は、下調べの段階では、寄り道する場所だったが、面倒なのでナビには指示していないのだ。急遽、道路沿いの駐車スペースに、車入れた。岩がごつごつ出ている海岸で、見回すと、ああ~、左手の方に<ゴジラ>がいた。
波打ち際から、そう遠くない岩の上にお座りしているのは、かたち的には<ゴジラ>というよりは<狛犬>に近かった。防潮堤には、下に降りる階段がついているから、岩場を伝わって、<ゴジラ>の近くまで行けそうだ。だが、あいにくの曇り空だったし、そこまでして見に行く気にはなれなかった。男鹿半島へ行ったときにも、たしか<ゴジラ岩>というのあったような気がする。観光客のために、誰かが仕込んだ、ということも考えられないこともない。記念写真を二、三枚撮って、車に戻った。
いま地図で確認すると、この海沿いの道は、能登半島を、ほぼ一周する249号線の西側の道だった。いわば、この地方の主要国道だ。どおりで、広くて走りやすいわけだし、道沿いに観光地が点在していたわけだ。
というわけで、次の寄り道は、<垂水の滝>だった。この観光スポットは、まったくのブラインドだった。走っていると、険峻な岬の中腹から、海へと流れ落ちる滝が見えた。あまりお目にかかったことのない景色で、迷わず、駐車スペースに車を入れた。整備された場所で、トイレもあり、道の向かい側には、食堂も一、二軒あった。
車を降りて見回すと、滝の近くまで遊歩道が続いていたが、さすがに、近くまでは行く気にはなれない。というのも、近くに行けば、崖から流れ落ちる滝はよく見えるだろうが、切り立つ岬が垂直に海と交錯するという、最高の、奇跡的とも言うべき、景色は撮れないからだ。もっとも、岬と海との布置関係からして、今居る場所でも、岬の垂直と海の水平線は確保できない。ということは、写真的には、かなり難しくて、モノにするには、付近を歩き回らねばならない。観光気分なわけで、そんなことはしたくない。記念写真で満足した。あとはトイレに寄りました。
ところで、この<垂水の滝>が流れている岬というか、山のどてっぱらを、トンネルが通っている。むろん、このトンネルを抜けて行ったわけだが、ぬけた先が、また海沿いの道で、何軒も<塩田>があった。いや、<塩田>は、<ゴジラ岩>を過ぎたあたりから何軒もあったような気がする。
それはともかく、なかには、観光客を呼び込むために、<塩田>を見やすくきれいに整備している店もあった。車窓からではあるが、初めて見る光景で、興味深かった。大量の薪が、きれいに積み重ねてあったが、あれは、海水を含んだ砂を煮詰めるための燃料なのだろう。<塩田>と<板塀>については、どこかでちゃんと記述するべきだろう。
緩やかな坂を下ると、左手、山側に、<鶴の恩返し輪島ホーム>という看板が見えた。<塩田>といい<鶴の恩返し>といい、能登はどこか民話っぽい。下北半島もそうだったが、能登半島も、いまだに、辺境感があるな、と思った。そういえば、<夕鶴>を演じた女優は、山本安英だったか、楚々とした姿が思い起こされた。それに、<つう>の純朴な亭主は、<よひょう>と言ったか、あの役を演じたのは、だれだったか、その俳優の顔と名前が思い出せない。
海沿いの道が、急な坂道に変わった。二代目ベゼルはぐんぐん登っていく。と、頂上付近に、道の駅<千枚田ポケットパーク>の看板が見えた。そうだった、能登の千枚田のことは、旧友に聞いたことがある。それに、写真スポットとしても有名で、美しい夕焼けの千枚田は、ネットでもよく見かける。とはいえ、この道の駅は、もろ、観光地になっていて、観光客でごった返している。民話的な世界から、いきなり、俗世間に連れ戻されたような気がした。
カメラを持って外に出た。崖際に手すりがあり、その下に、どこかで見たような千枚田があった。写真でしか見たことのないアングルを、じかにこの目で見ているわけだ。もっとも、刈り取りの終わった千枚田は、色合い的に、いまいち魅力がなかったし、畝には手入れをしている人の姿が見えた。千枚田の造形美も、上から見下ろしているから、平板だ。さらに悪いことに、いま自分のいる場所の下にも、見晴らし台があり、そこに、観光客がいて、画面に入り込んでしまう。それなら、下の見晴らし台まで行って撮ればいい。しかし、そもそもが、観光用に整備された千枚田に、さほどの興味はない。その場で、ちょっとだけ位置移動して、さっきからこればっかりだが、何枚か記念写真を撮った。
すぐそばでは、オヤジライダーが、これまた風采の上がらぬオヤジに、スマホで写真を撮ってくれるように頼んでいた。頼まれたオヤジは、返事はいいが、うまく操作できない。オヤジライダーが、何度か教えて、やっと写真が撮れた。そのあと、バイクで来たんですか?などと世間話が始まった。すでに車に向かって歩き始めていたので、そのあとの会話は聞こえなかった。むろん、聞きたくもなかったが。
急な坂道を下った。道が平たんになると、右側に、穏やかな海が見えた。十一時頃になっていたと思う。さっき<輪島市>の案内板があったから、おそらく、彼方の岬の上に、小さく見えるのが、経由地2の<竜ヶ埼灯台>だろう。あ~、やっと輪島に着いたわけだ。
いつの間にか、天気が良くなっていた。いや、照ったり陰ったりだが、日差しがある分、先ほどの曇り空よりはマシだ。海の中に赤い防波堤灯台なども見えて、海景が素晴らしい。路肩に車を止めて、大きな雲と海に向かってシャッターを切った。
そのあとは、海沿いに、輪島の市街地を抜けた。輪島塗の工房や記念館などもあったが、輪島といえば、やはり、<御陣乗太鼓>だ。奇怪な面をつけて動き回り、しだいにテンポの速くなるこの太鼓は、なぜか、昭和の時代には有名で、能登観光には、欠かせなかった。だが、今は寂れてしまったのだろう、道沿いに、閉鎖された大きな劇場が何軒もあった。
ちなみに、<御陣乗太鼓>とは、戦国時代に、上杉勢に攻められた奥能登の村民たちの、いまでいうとろころの、ゲリラ戦法だったらしい。うそかほんとか、奇怪な姿と、尋常ならざる太鼓の音に驚いて、上杉勢は退散したという。武器をもたぬ<民衆の芸術的な抵抗>として、民主主義の昭和の時代になって、あらためて顕彰されたのだろう。
輪島の市街地を抜けて、海辺の細い道に入った。方向的には、あっているのだろうが、最後には、車一台がやっと通れる道になってしまった。ナビの案内を信じて、ままよ、と突き進むと、開けた海岸に出た。狭いが、ちゃんとした駐車場もあり、トイレもある。あ~、なるほど、目指す灯台の真下に来たのだ。
鴨ヶ浦海岸探索と竜ヶ埼灯台撮影は、あとで本文でちゃんと書こう。注釈・その後、今の今に至るまで<本文>などは書かれていない。
寄り道ばかりしていて、すでに十二時近くになってしまった。少し先を急ごう、という気分になった。能登半島の西側を、249号線で南下している。山間を走ったり、海岸沿いを走ったりで、運転していて飽きはしなかったが、記憶がやや曖昧である。
<道の駅赤神>でトイレ休憩したのは、<12:30>だった。写真を撮ったから印象に残っている。海沿いの道の駅で、海景がよかった。あと、食堂の前で、ライダーが立ち話をしていた。どちらも黒っぽいライダースーツを着ていたが、ひとりは、髪を後ろに束ねた三、四十代の女性だった。連絡先を交換しているようだ。出口付近の駐輪場には、<日本一周中>の張り紙が荷物に貼ってあるバイクが止まっていた。
駐車場を出て走りだすと、先ほどのライダーらしき人物が、自転車に乗って、左側の歩道を走っている。男だ。となれば、<日本一周中>のライダーは、あの女性なのか?そうかもしれない。バイクを乗り回す活動的で、行動力のある女性には、なんとなく憧れる。美人ならなおさらだ。とはいえ、誘惑もあり、女性ライダーは危険だろうな、と思った。
先程から、どうも鼻がむずむずして、多少つまっている感じだ。旅に出る前に、持病の<アレルギー性鼻炎>を発症して、薬を飲んだが、環境が変わって、旅に出てからは、まずまず、おさまっていた。それが、今朝からは、どうもいかん。半ば無意識に、原因探しをしていると、ありました。山間の道になると、周囲は杉の木だらけだ。あ~、これだな、と思った瞬間、大きなくしゃみが、五連発。鼻水がたらたら流れ出した。心因性の<アレルギー性鼻炎>でしょう。これには参った。くしゃみと鼻水で、このままでは、まともに運転もできない。ちょっと迷ったが、背に腹はかえられない、路肩に車を止めて、<ザイザル>を飲んだ。
とはいえ、いったん発症してしまえば、薬を飲んでも、すぐに効くわけではない。ただ、気分的には楽になる。すこしたって、激烈な発作はおさまった。それに、旅先で高揚しているのだろうか、倦怠感も眠気もなく、普段通りに運転ができたのだから、我ながら、驚きだ。
杉林を見ただけで、実際には花粉など飛んでいないのに、アレルギーを発症してしまう。薬を飲めば、瞬時に効くわけでもないのに、発作がおさまる。すべては、心因性なわけで、<病は気から>とは、含蓄の深い言葉だと思った。
さてと、三番目の経由地は<旧福浦灯台>だ。ナビに全面的に従って運転していると、249号線からそれて、海岸の方へ向かっているようだ。毎度おなじみだが、灯台に近づくにつれて、道が細くなる。だが、今回は、案内標識があり、意外にあっさり、漁港(福浦港)に着いた。とはいえ、灯台は見えない。なんと、車の通れない道の先にあるようで、歩いていかねばならないのだ。しかも、駐車する場所がない。駐車スペースはなくはないが、バスが回転するところだから、長時間の駐車はお断り、との張り紙がしてある。これは無理だなと判断して、その場で回転した。
<旧福浦灯台>は、日本最古の西洋式木製灯台で、歴史的、資料的な価値が大きいらしい。ま、それよりも、ネットで見る限りでは、白く塗られた灯明型で、造形的に面白いし、ロケーションがいい。とはいえ、車が止められないことには話にならない。パスして、近くにある<福浦灯台>へ向かおう。方向的にはこっちだろうと、勘を働かせて、坂道を登った。すると、坂の途中に、観光駐車場があり、無料で駐車できそうだ。迷わず入って車を止めた。
なになに、真新しい案内板があり、目で読んだ。<志賀町の構成文化財 云々>。左隣には、写真地図の拡大図が載っている案内板もあり<北前船 福浦周遊コース>とあった。後者の案内板を、さらに近づいて、じっと見た。<旧福浦灯台>までは、歩いて15分、往復で30分はかかるだろう。しかも、いま居る場所は岬の上だから、坂を下りたり登ったりしなければならい。やっぱ、無理だな。車に戻って、駐車場を出た。
で、今度は、近くにある<福浦灯台>だが、これは、ナビに場所をちゃんと打ち込んでいなかったから、あっという間に通り過ぎてしまったようで、影も形も見えない。時間があれば、あるいは、通り道にあれば、寄ってもいいが、今更、戻ろうとは思わなかった。なにしろ、すでに午後の一時を過ぎていたのだし、暗くなるまでには、氷見の道の駅には着きたかった。やや気持ちが急いていたせいもある。
いちおう、これで、今日の観光メニューは、形式的にではあるが、消化したことになる。あとは、能登半島を横断して、氷見の港に帰るだけだ。海沿いの高台の道を走りながら、陽が少し傾きはじめたなと思った。と、逆光の中、海の中に突き出た防波堤の端に、クレーン車のようなものが見える。面白い光景なので、海側の路肩に車を入れた。なんなんだろう?深く考えられなかったのは、やはり、疲れていたからかもしれない。それでも、やや気合を入れて、何枚か写真を撮った。
これで、もうほんとうに、あとは帰るだけだ。知らない道を、かなりリラックスして、ナビ任せで運転していた。と<北陸電力原子力発電所>の文字が目に入ってきた。ええ~、こんなところに原発があったのか!少し伸びあがって、敷地の方を見た。奥が深いのだろう、煙突などは見えなかった。さっきの、海の中のクレーンも、原発の施設に関係していたのかもしれない。
福島県沿岸部にしても、下北半島にしても、能登半島にしても、辺境地の、さらに辺境に、原発や関連施設がある。こうやって、実際にそばを通ると、人の目に触れないところに建設している、ということがあからさまだ。
現在、この北陸電力、志賀原発は、一号機、二号機、ともに稼働はしていないようだ。いまさっき調べて、思い出したが、敷地の下に<活断層>があるらしい。そういえば、ほんの数か月前、能登半島は、かなり強い地震に襲われたではないか。それなのに、当局は、いまだに再稼働をあきらめていない。原発、か!
やや、アツくなってしまった。爺が、アツくなろうがなるまいが、大勢に変化はないだろうが、福島で、あれだけのことがあったのに、いまだに、日本国は原発を廃止していない。すべてはカネか、利権か、まじめに考えると、暗澹たる気持ちになる。
ふん、気分をかえようではないか。時間的にも、朝から、カップラーメンを食べただけだから、腹が減ってきた。氷見の道の駅に着いたら、すし屋でマグロでも食べよう。ああ~、大間崎で食べたマグロはうまかったな。原発のことは、すっかり頭から消えていた。