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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#8 五日目(1) 2021年3月24(水)

潮岬灯台撮影3

紀伊半島旅、五日目の朝も、串本町の駅前ビジネスホテルで目が覚めた。

<2021年3月24日水曜日 晴れ 雲が多い 照ったり陰ったり あたたかい 7時に起きる 比較的よく眠れる 朝の支度 朝食・食パン、牛乳 排便・でない 昼頃 出先で少し出て すっきりする>。この日は、何時ころホテルを出たのか、記述されていない。だが、ファミマで朝のコーヒーを買い、スタンドで給油し、そのあと、はじめに<潮岬タワー>へ行ったようだ。この日の撮影画像を確認すると、九時ちょっとすぎに、タワーから潮岬灯台を撮った写真があった。

<昨日とはちがった受付の女性(だった) 再入場できるかと聞くと 申し訳なさそうに ダメだという 雲が多く ダメもとで登る 風がないので寒くはない タワーの最上階 屋上みたいなところに登って撮る 400ミリ(望遠)を三脚にセット ポジションとしては 水平線と灯台の垂直を考えると ほぼ一か所しかない 何度も迷いながら 確定する (ま、)ベターな場所だから あとはズームでアングルを変えるだけ 照ったりかげったり 多少イライラしながら 陽のさす瞬間を待つ>。

思い違いなのか?いやそうではない。タワーへの再入場ができないのは、昨日聞いてわかっていたのだ。だから、冷やかしはんぶんで、聞いたのだろう。いや、今日の女性は、どう反応するのか、見たかったのかもしれない。たしか、昨日の女性よりは愛想のいい、かわいい娘だったような気がする。

あとは<そうだ タワーの駐車場のトイレで用便をすませた 外観はやや古びていたものの きれいにそうじしてあった 温水便座 多少の抵抗>。少し説明しよう。最近は、観光地の公衆トイレでも、温水便座によくお目にかかる。<痔>持ちの身にとってはありがたいことだ。だが、便座にじかに腰掛けることに、やや抵抗を感じている。

もっともこれは、温水便座に限らず、洋式トイレでも同じだろう、とおっしゃるのかな?それが、若干違う。温水便座の場合、当たり前のことだが、便座が温かい。この暖かさが、曲者だ。誰だか知らないが、不特定多数の人間が座っていた、ということを、この、ほど良い暖かさは、思い起こさせてくれる。人間の肌のぬくもりだ。そんなことは、正直なところ思い出したくない。便座が冷たくて、ひえ~~としながら、さっと用をすませば、いらんことを思い出さなくても済むのだ。痛しかゆしとはこのことだろう。

次に進もう。<潮岬駐車場 今朝は昨日の爺さんとは別の爺さん(だった) 歩いて(東側)展望スペースへ 犬のクソを踏んだ場所をたしかめる 昼間なら見えたが 夜だったので不覚をとった それにしても 飼い主の不始末に腹がたつ 柵際を位置移動しながら、撮り歩く>。

そのあと<犬のウンコを横目で見ながら、浜へ下りる 道端(坂の途中)にいろいろな花が咲いている 名前の知らない花 見たことはあるが名前の知らない花 ムラサキカタバミ カタバミ 西洋タンポポが目立つ 桜も満開 ただし 色の白い桜が多い><浜には7~8台 車が止まっている 漁船もない 無人 これさいわいと 小さな船溜まりと 岩場の間にある防潮堤の上に登り すこし(海)の方へ歩く はば70センチほど 昨日は強風で歩くのが はばかられた>。

<岬の上の灯台と 波しぶきがあがる岩場が視界に入る 新しいポジションだ うしろから船が来る 振り向きもせず 防潮堤を歩いて岩場へ行く 何か言われやしないかと思った がやがやするので振り返ると 釣り人らしき装備の男たちが 6~7名 船からおりて めいめいの車へ向かっていく なるほど 釣り船だったんだ 非合法の禁漁区と(立て看板に書いて)あったような気がする(が)>。

<そのあと 岩場でゆっくり写真を撮る 波の音がいい ・・・ 岩場の水たまりに 10センチくらいの黒い魚が 取り残されていた 死んでいるようだった。灯台の上には ひっきりなしに人影 今回も灯台に登らなかった 疲労(と) 密になるのが嫌(だった) 三百円払ったのに>。

潮岬灯台の撮影ポイント三か所、すなわち、潮岬タワー、東側展望スペース、東側の岩場で律儀に撮って、樫野埼灯台へ向かった。どのポイントも二回目なので、さほど心は動かなかった。

<移動 樫野埼へ向かう (その前に)海金剛(へ寄る) (遠目から樫野埼灯台を狙う) 三脚を立てる 元気が少し回復 すばらしい海景 (まさに筆舌に尽くしがたい!うまい言い訳の言葉を知っているではないか) 灯台はかなり小さい しずか 途中 ひとりだけ ボウズ頭の白髪 魚屋のような男がきた 防寒靴をはいていたから バイク野郎かも(しれない) すぐにいなくなったか(と思ったら) うしろの東屋のベンチで ひざをたてて ひっくり返っていた もう一人は 小柄な女性 ちょっとこちらに会釈して 海をスマホでとって すぐにいなくなった ここでも少し粘る>。

海金剛から樫野埼灯台が見える場所は、前にもちょっと触れたが、椿小道の途中にある、ひと二人しか?立てない極小展望スペースと、行き止まりの展望スペースの海沿い柵際、七、八メートルしかない。したがって、この日は、まず極小スペースで撮って、そのあと、海沿いの柵際で粘ったというわけだ。したがって、ボウズ頭も小柄な女性も、海沿いの柵際で粘っていた時に見たのだろう。極小スペースの方は、小道から海側に突き出した場所だから、振り返らない限り、人の姿は見えない。ま、うしろで人の気配がすれば、振り向きもしようが、撮影に集中していたのだろうから、気づいたとしても無視したと思う。

撮影を終え、展望スペースから下りて、椿の小道を戻った。<日米修好館の前に また この(小柄な)女性がいた こちらに気づいて ちょっと会釈して 館にはいって行った なるほど 学芸員なのかもしれない 知的な感じだった 駐車場には おそらくは 彼女のうす緑の軽と 自分の(車)だけだった と 原チャリに乗ったじじいが なにしにきたのか 海を見にきたのか (小道の入り口で) 夏ミカン?がなっているのを発見し その辺りを動き回っている>。

少し付け加えよう。おそらくは、小一時間、はるか彼方に見える樫野埼灯台を、望遠カメラなどで撮って、駐車場に戻ってきたのだろう。失われたというか、忘却の彼方にあった、記憶が少し蘇ってきた。駐車場の海沿いの柵際に、無人販売用の、小さな、崩れかかった台が置いてあった。前の日だと思うが、気まぐれに、近寄って、覗いてみた。こぶし大の、ごつごつした夏ミカンのようなものが、幾つか置いてあった。こんなものを、こんなところで買う人間がいるのだろうか?と思ったような気がする。

比較的きれいな公衆トイレで用を足し、さてと、出発しようとしたとき、駐車場の出入り口の方から、乳母車を押した、腰の曲がった老婆が、やってきた。一直線に、無人販売の台へ向かっている。あの婆さんが、庭木にでもなっている、ごつごつの夏ミカンを、乳母車に載せて、持ってきているのだろう。婆さんは、台の辺りで、ちょっと間、何かごそごそしていた。そしてまた、ゆっくり戻って行った。

きっと、この日課が、彼女の生きがいなのだろう。最果ての岬 無人販売用の崩れかかった台、色の褪めた乳母車、ごつごつした、見るからにすっぱそうな夏ミカン、もうこれだけで十分だった。感傷の波しぶきを避けるようにして、<海金剛>の駐車場を後にした。

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