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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

第11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

三日目 #10 能取岬灯台撮影 4

昨晩は、ホテルに<18:30>頃着いた。時間的には夕方だが、夜になっていた。<すき家>で調達した豚丼特盛を食べ、風呂に入った。と、足首の周りが、異常に痛痒い。掻いては、いかん!と思いながらも、思いっきり掻いてしまった。風呂から上がってからは、日誌のメモ書き、撮影画像のモニターなどをしていた。おいおい、足首の周りが真っ赤だぜ。しかも、痒さが尋常じゃない。いつものアレルギー性湿疹だ。医者でもらった塗り薬を探した。間抜けなことに、持参していない。なんてことだ。

そういえば、今日の午後辺りから、足首の辺りに違和感があった。ゴムの裾止めがきつすぎた。その部分が蒸れて、擦れて、汗をかき、湿疹ができた。毎回、程度の違いこそあれ、発症するのだから、今回も、気をつけるべきだった。そのうえ、患部をお湯で刺激して、事態をさらに悪化させてしまったのだ。ま、過ぎたことを後悔してもしょうがない。明日からは、裾止めはやめよう。

三日目の朝も六時前に起きた。夜間トイレや足首の痒みで、一、二時間おきに目が覚めたが、寝不足感はさほどなかった。洗面などを済ませ、六時半ちょっと前に朝食弁当を取りに、一階に下りた。エレベーターがなかなか来ないことには、すでに馴らされていた。

一階には、弁当待ちの宿泊客が何人もいた。それとは別に、五、六人の女の子が窓際に座っている。二十歳前後だろうな、雰囲気からして東南アジア系だ。この子たちは、昨日もチェックインカウンターの辺りで見た。素人ではない。いわゆる水商売系だろう。ただ、コロナ禍で、外国人は入国できないはずだが?と思いながらも、ちらっと視線を走らせた。朝っぱらから、機嫌が悪いというか、みなして暗~い感じだ。これからキャバクラで働かされるのだろうか?不幸な境遇なのだろう。それ以上の詮索はしないことにした。

<7:30 出発>。出る前に、部屋の写真を五、六枚撮っておいた。記念写真だ。いつもは、宿泊の最終日に撮っているが、今回は、というか、前回あたりからは、前倒しして撮影している。なんと言うことはない、最終日だと、なにかと気忙しないのだ。

通り道のコンビニでコーヒーを買って、<8:00>には、能取岬灯台を見下ろす丘の上に着いた。晴れてはいるが、薄い雲が空全体をおおっている。牧草地の緑が、ややさえない。それでも、三脚を担いで丘の上に立った。昨日のポイントよりは、さらに右に移動して、新たなアングルを探した。牧草地の柵の小道が、くの字に曲がっているところまで来た。やはり、よくない。戻りながら、昨日の興奮やら感動やらが、すっかり冷めているのを自覚した。日差しが薄いということも影響しているのだろう。

<9:30>には下の駐車場に下りた。一息入れて、クマ笹の前、灯台の左側面など、昨日見つけたポイントを撮り歩きした。空の様子がいい。斜めになった、青白の太いだんだら縞だ。<青>は青空、<白>は雲。このような雲は、お初ではないが、なかなかお目にかかることはできない。

写真的に言えば、水平と垂直で構成されている画面に、この太い斜めラインは、とても印象的で、動的な効果さえ与えている。昨日の<虹>の出現と言い、今日の<雲=巻層雲>といい、珍しい自然現象に出くわした時には、意味もなく興奮するものだ。しかも、それが撮影中ともなれば、なおさらだ。希少価値、ということなのだろうか。

だが、灯台の正面辺りに来ると、空の様子が変化してしまった。というか、位置取りの関係で、青白だんだら縞が、斜めではなく水平になった。しかも、<白>の占める割合が大きいので、感動するほどの光景ではない。

しかし、さらに動いて、右側面辺りに来ると、背景の青白だんだら縞が、また斜めになった。ただし、その向きが、先ほどは左から右だったが、今度は、右から左に落ちている。この180度の変化は、位置取りの関係によるものなのだろうか?それに、正確に言えば、すでに<だんだら縞>ではなく、雲間に青空が、斜めにくさびを差したような模様になっている。

要するに、位置取りの変化と雲の変化とが、複雑に絡み合って、背景の空の様子は、刻一刻と変わっていった、ということなのだろう。別の言い方をすれば、位置取りや雲が変化するにつれ、自分の目に映る風景も灯台も変化していった、と。そして、そのパノラマの中心には、不動の自分がいる。ただし、もう少し長い目で見れば、その不動の自分すらが、刻一刻変わっている。撮りながら、益体もない妄想に耽っていたような気もする。

最後にもう一つ、<妄想>を書き残して、三日目の午前の撮影を終えることにしよう。灯台の右側面まで到達した。だが、背面へは回り込まなかった。背面からのアングルはよくないのだ。それよりも、今一度、灯台に岬を絡めた写真を撮ろうと思って、北東側の小道を柵沿いに移動した。このままいけば、例の<オホーツクの像>にぶつかる。少し行って、振り返った。やはり、柵が邪魔だな。いや、写真を撮る、ということに関してだけだ。柵は<邪魔>どころか、断崖への転落、という危険から人間を守っている。

写真的には、灯台が岬の先端にあればいい。だが、能取<岬>灯台は、その名の通り、岬の上に立っている灯台であって、岬の先端に立っている灯台ではない。先端に位置していたならば、能取<埼>灯台となっていたはずだ。

どうでもいいことだが、話を続けると、陸地から出っ張った岬の面積が大きいのと、先の方が急坂になっているのとで、灯台は、陸地寄りの平坦なところに設置された、のだと思う。したがって、岬の先端部と灯台との距離が離れている。合理性が優先されるのは当たり前の話だ。

布置的な関係で、そもそもが、灯台と岬とを一つ画面に入れるには、無理がある。それに、画面を縦に分割する<柵>がある。<断崖絶壁に立つ灯台>という魅力的な目論見は、端から破綻しているのだ。それでも、位置移動を繰り返し、柵から身を乗り出してまで、しつこく撮った。

撮ったところで、ざまはない。帰宅後の画像選択で、はかない希望は泡と消えた。灯台に岬を絡めた写真は、すべてがモノにならなかった。合理的判断よりも妄想を優先した結果の、いわば<徒労>だった。これまでにも、かような間違いを、何十回も繰り返してきた。それは、写真撮影の問題であると同時に、人生の問題でもあるような気がする。<徒労>を<あがき>として、自己正当化しているようなのだ。これも妄想だな。

三日目 #11 能取岬灯台撮影 5

午前の撮影を終えた。さほど腹は減っていなかったが、昼飯にしよう。メモ書きには<11:30 疲れを感じる>とある。車を、駐車場から道路を隔てた駐車スペースの方へ移動した。正面に海が見える、景色のいい所だ。ゆっくりするつもりだったのだ。ところがだ、リアドアを開けた途端、昨晩ホテルでもらったカレーが、買い物袋の中でこぼれている。ちゃんと蓋をしなかったのが原因だ。いや、プラの蓋はちゃんと閉まらなかったぞ。それよりも、早急に後片付けだ。車の中がカレー臭くてたまらん。

べったりと、カレーのついた買い物袋や、そのへんを拭いて、カレー臭くなったタオルを、トイレに行って水洗いした。そうだ、このトイレについて、少し書いておこう。トイレは、駐車場の後方にあり、コンクリ打ちっぱなしの、ちょっとおしゃれなデザインだった。周囲の素晴らしい景観の中でも、さほどの違和感はない。いわゆる作家の<デザイントイレ>?なのかもしれない。

ドアは一か所で、半自動ドアだった。そのドアに張り紙があった。トイレは16:00になると閉鎖されるとのこと。ふ~ん、と思いながら中に入ると、三畳間くらいの空間があり、右手に手洗い場がある。左手にはドアが二つあり、たしか、男性用と女性用だったか、車いす用と一般用だったか、よくは記憶していない。が、とにかく、手で開けて入ると、やはり、日本全国、おなじみの公衆便所の臭いがした。

このトイレは、滞在中、何度も利用したが、その度、なぜ、<16:00>に閉鎖されてしまうのか、引っかかった。一般的には、観光地、しかも、灯台の駐車場のトイレは24時間営業?だ。だが、そのうち、この三畳間くらいの空間には窓がある、ということに気がついた。

窓というか明り取りかもしれないが、トイレの手洗い場にしては、明るくて居心地がいい。なるほど、これで一件落着、<車中泊>ならぬ<トイレ泊>をする輩がいるのだろう。対抗策として、夜は閉鎖というわけだ。

いや、単に管理上の問題だけなのかもしれないぞ。事実、午後の四時頃、トイレ付近に軽が止まっていた。あれは、トイレ掃除に来た業者で、四時に掃除して、閉めてしまえば、そのあと翌日まで汚される心配はない、というわけだ。ま、それにしても、<16:00>に閉鎖されてしまう公衆便所って、なんか変でしょ。あとは野となれ山となれ、か。

話を戻そう、昼飯のカレーはまずかった。半分くらいこぼれてなくなっていたし、御飯が、変に硬くなっていた。それに、昨日コンビニで買ったカレーパンもまずかった。なんでまた、<カレーパン>なんだ!ま、いい。気分を変えて、午後の撮影を始めよう。

午後の一時頃、丘に上がった。薄い雲が、太陽にかかっている。日差しは薄く、明かりの状態としては、午前中よりさらに悪い。それでも、気のないシャッターを押しながら、小一時間ほど、丘の縁をぶらついた。すばらしい風景も、日差しの具合で、素晴らしくは見えないものだ。

二時半頃には、駐車場に戻った。先ほどから、下っ腹が張っていた。こんな状態では撮影はできない。否応なく、公衆便所で排便だ。温水便座だったかな?スッキリした。とはいえ、<疲労感がひどい>。さほど動き回っていないのにな、と思った。

そのあと車の中で一息入れたような気もするが、三時頃から、灯台周りの撮影を開始した。広場に踏みこみ、左側面からしつこく撮った。背景に青空が見えていたし、能取岬灯台の一番いいアングルだ。ただし、日差しがますます薄くなり、緑の芝草が、黒っぽい。写真としては、あまり期待できない。

<秋の日は釣瓶落とし>、と思ったかは定かでない。とにかく、三時半過ぎたころから、日が傾き始めた。しかも残念なことに、西の空は、ほぼ一面、雲に覆われている。今日も、夕陽は期待できない。ただ、水平線近くに、ほんの少しだけ、雲の間に隙間があって、そのあたりがオレンジ色っぽい。

左側面からの撮影を終わりにして、灯台の右側面へと移動した。西の空が背景となるので、灯台は逆光となり、眩しくて、しかとは見えなくなる。だが、一面の雲が、強烈な西日を受け、やや黄金色に輝いている。その形をなさぬ、いわば<不定形>の空が面白い。

さらに太陽の位置が低くなり、水平線際、少しの部分だけが、茜色に染まっている。海に反射して、きらきらしている。かなり遠いし、範囲も狭いが、カメラを向けて撮っていた。と、駐車場の方から、ばらばらとたくさんの人が、こちらに向かってくる。

これは、午後四時前後に到着する、定期観光バスの観光客たちだ。そう断言できるのは、昨日も、同じ時間に、同じバス、同じ光景を目撃しているからだ。驚いたことに、今日も昨日同様、ほぼ定員いっぱいで、四、五十人は居る。仲のいい者同士が連れ立って、がやがやと広場の歩道を歩いてくる。灯台前で記念写真を撮った後に、一部の者たちは、さらに柵沿いの道を<オホーツクの像>へと歩いていく。

いま自分がいる位置、すなわち、灯台の右側面、断崖の柵沿いからは、北東方向に、知床半島が見える。西の空はほぼ雲に覆われていたが、知床半島の上には、青空が広がっていた。すでに<ゴールデンタイム>に入っていて、これは何という色合いなのだろう、淡い青と白と朱との見事な諧調だ。観光客たちも歩みを止め、柵に寄りかかりながら、写真を撮ったりしている。話し声も聞こえた。大雑把だが、関西弁だ。おそらく、関空から北海道ツアーに来たのだろう。関西弁か、なぜか場違いな感じがした。

そのうち、観光客たちは、潮が引くように消えていった。あたりは、ほぼ暗くなっていて、灯台の目が光り始めた。夜間撮影のために、少し移動した。灯台正面やや右側の歩道の後ろだ。そこには、大きな案内板があり、背後は一面、クマ笹の海だ。風が少し吹いていた。だが、さほど寒くはなかった。もっとも、完全装備で、ウォーマーの上にダウンパーカまで着込んでいたのだ。

三日目 #12 能取岬灯台撮影 6

昨晩よりは、今晩の位置取りの方が、ベストだと思った。ただし、背景の空の様子が、昨晩とほとんど変わらない。ほぼ九割がた、雲に覆われていて、水平線際が少しオレンジ色に染まっている。ま、その範囲が、昨日よりは多少横広がりになってはいたが、大した違いはない。

ピカリと光る灯台の目は、昨晩同様、うまく撮れた。ただし、光線は、ほとんど目視できなかったし、したがって、撮れなかった。だが、さほど悔しい気持ちにはならなかった。灯台の光線を撮るのは至難の業だ、とほぼ諦めていからだ。それに、心のどこかで、撮れたとしても、<それがどうした>というような、妙に開き直った気持ちにもなっていた。ありていに言えば、暗闇を照らす灯台の横一文字の光線に面白みを感じなくなっていた。<ロマン>や<幻想>に、多少嫌気がさしているからかもしれない。

とにかく、眼だけが光る、灯台の前で写真を撮っていた。暗闇。あたりに人の気配はない。が、その瞬間、背後で何か鳴声がした。人間ではない。動物だ。熊かな?狐かな?おっかなびっくり振り返った。何も見えない。だが、クマ笹の下を、鳴声が移動している。甘えているような声だ。子狐が母狐を探しているのかな。ヘッドランプを、クマ笹の海に向けた。動くものは見えない。だが、鳴声は、ほんのすぐそばを通り過ぎていく。目と耳と神経とを一点に集中していると、鳴声は、少しずつ遠ざかって行った。

そうだ、昨晩もこの辺りで、びっくりしたことがある。書き忘れたのだ。暗闇の中で、三脚を立てて、灯台を撮っていたら、不意に、左から黒い影が、目の前を横切って行った。人間だ。手に小さな懐中電灯を持っている。若い男だ。あれ~と思って目で追っていると、例の<オホーツクの像>の方へ歩いていく。

カメラでも持っていれば、夜景を撮りに来たのだろうと了解できた。だが奴は、手ぶらだ。というか、スマホと懐中電灯だけだ。真っ暗闇の中、なにしに来たのだろう。伸びあがって見た。<オホーツクの像>が、小さな黒いシルエットになっている。そのあたりで、明かりが、チラチラしている。奴の手にしていた懐中電灯だろう。

そのうち、黒い影が立ち止まって、夜の海にスマホを向けている、ようにも思えた。沖の漁船が煌々としていたし、遠くの漁火もきれいだ。スマホに撮る価値はあるなと思った。なるほど、奴は、夜の海を見に来た旅行者だ。それにしても、真っ暗闇の中、ひとりで夜の海を見に来るなんて、変な奴だ。なにか悩みがあるのかもしれない。余計なお世話だろう。

安心して、また写真撮影に戻った。いいかげん撮って、集中力が切れた頃、右から黒い影が横切った。今度は、驚かなった。奴が戻って来たのだ。さてと、俺も引き上げようかな。三脚を肩に担いで、駐車場へと向かった。歩道を照らす、ヘッドランプの明かりが、やや薄くなったようだ。電池交換の時期なのかもしれない。

真っ暗な駐車場には、車が一台止まっていた。ヘッドライトがつけっぱなしなので、眩しい。若い奴らが乗っているようだ。無視して、自分の車に戻った。エンジンをすぐにかけ、こちらも、思いっきりヘッドライトをつけてやった。

能取岬灯台の撮影も、ほぼ終わった。二日半のうち、まあ、いい天気は一日だった。とにもかくにも、天候が不安定で、気温差に悩まされた。それに、足首周辺のアレルギー性湿疹が悪化してしまい、憂鬱でイライラした気分だ。とくに左足首がひどい。昨晩などは、足首だけ、布団から出して寝ていた。布団に入って、体が温まると、猛烈に痒くなるのだ。まったくもって、特効薬の塗り薬を忘れたのが悔やまれる。

丘を登り終え、やや平坦な岬の上の森の中を走っていた。むろん辺りは真っ暗だ。と、前方に、赤い点が見えた。一瞬で、獣の目だとわかった。スピードを落として近づいていくと、熊ではなく鹿だった。少しホッとした。車を止めると、角の立派な、大きな鹿がヘッドライトに照らし出された。ちらっとこちらを見て、ゆっくり道路を横切り、そしてまたこちらをチラッと見て、闇の中に消えていった。いやいや、これは、時間が逆戻りしてしまった。昨日の晩のことだ。

もとい!真っ暗な森の中を、昨晩同様、ホテルへ向かって走っていた。スピードをやや抑え、慎重な運転だ。<動物との衝突が多い>というレンタカー屋の言葉を、今更ながら思い出していた。満更、ウソでもなかった。何しろ、昨晩、実際に大きな鹿に遭遇したのだ。ちょうど、そのあたりに差し掛かった時、おっと、左側の路側帯に、またしても大きな鹿だ。スピードを緩め、止まろうとした。だが、鹿は、ゆっくりと踵を返し、闇の中に消えかけた。

ああ~ん、ほぼ同じ時間、同じ場所、しかも、角の立派な、大きな鹿!それに、ちらっとこっちを見ていたぞ。そこで、閃いた。餌をもらいに来たのかもしれない。観光客がエサやりしたので、学習したのだろう。車を止めて、何かお菓子でもあげようかな、と一瞬思った。だが瞬時にそれを打ち消した。夜間に大きな鹿が自動車に轢かれる!そんな惨事に自分は加担したくない。

といっても、すでに餌付けされ、夜の道路で待っている鹿がいるのも事実なのだ。割り切れない気持ちが残ったが、どうしようもないではないか。再び、車のアクセルを踏んだ。だが、岬から下りた頃には、鹿のことはすっかりシカとしてしまった。

それよりも夕食の調達だ。三日連続で、ホテルの近くの<すき家>の駐車場に入った。おどろいたことに、<テイクアウト>のラインに、五、六台並んでいる。駐車場にも、かなりの数の車が止まっている。すぐに事態を理解した。人手がなくて、大勢の客に対応しきれない。その場で、しばらく待っていた。

なぜ、昨日一昨日は、ほとんど車が止まってなかったのに、今日だけこんなに混んでいるのか?金曜日の六時過ぎだった。なるほど。ちょうど夕飯時だ。一人か二人の従業員が、店内でてんてこ舞いしている姿が容易に想像できた。とはいえ、かなり待ってるぞ。それなのに、一台も車が動かない。

十分以上待ったと思う。いい加減嫌気がさして。駐車場を出た。近くのコンビニまで車を走らせ、まずそうな弁当を買って、ホテルに戻った。ところが、やはり、時間が遅いせいだろう、平面駐車ができなくて、係員に、否応なしに、立体駐車場の前に誘導されてしまった。おわかりだろうか、シャッターがあくと、車一台が、ぎりぎりおさまるようなスペースに、ゆっくり移動するのだ。なにしろ、入れるところが狭い!慣れないレンタカーだ。神経を使ってしまった。

そのあと、もう一つ、この旅中での、最大の齟齬が待ちかまえていた。いわゆる<カレー事件>だ。ホテルでの、<カレー>待ちでの行列で、俺としたことが、爺とちょっとやり合ってしまった。長くなるので、次回にしよう。すでに、一回分の紙数は尽きている。それにしても、真善美よりは、偽悪醜についての方が、よく覚えていて、すらすら書ける、というのはどういうことだろう。悪い思い出は忘れてしまう、と何かの本で読んだような気もするが、事実は逆なのかもしれない。

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