<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#5 四日目(1) 2021年3月23(火)
樫野埼灯台撮影1
紀伊半島旅、四日目の朝は、半島の先端、串本町の駅前ビジネスホテルで目を覚ました。
<6時前後に目がさめる 1、2時間おきにトイレ ひと晩中眠りが浅い>。さてと、昨日は<(夜の)7:00 引き上げ 途中ファミマで夕食調達 7:30 ホテル着 ざっと風呂 食事 日誌 9:15 このあとモニターしてねる>。要するに、記述する事柄はほとんどなかったようだ。先に進もう。
<6時半起床 朝の支度 朝食・パン 赤飯にぎり 牛乳など ウンコはでない 7時半出発 樫野埼灯台(へ向かう) 30分くらいかかる。駐車場からけっこう歩く。疲労を感じる。灯台はおもった通り ほとんど撮影ポイントがない。360度周囲を歩く>。
<帰り(戻り)道 トルコ(の)みやげ物屋による 絵皿を見ていると 奥から主人がでてくる。大きなもので1万以上 中ぐらいのものでも7、8千円する。きれいな色合いが、なんだかふ(腑)におちない 主人に製作(方法)などを聞く 答えはあいまいな感じ 値段のことを言うと つぎたし(継ぎ足し)た皿なら2000円ほどだと見せてくれたが、そもそも商品ではないだろう ていよくことわり(店を)出る それにしても朝から徒労。トルコの海難事故とか 天皇が見にきたとか そんなことはどうでもいいのだ>。(そのようなことにはさほど関心がないのだ、と読み換えていただきたい)。
<灯台は個性的な形(をしていた) なんと形容していいのかわからない>。まったくもって、情景描写は苦手だ。だが、撮った写真がある。それを参考にして、この時の撮影情況を多少なりとも思い出してみよう。
立派な橋(串本大橋)を通過して、島(紀伊大島)に渡った。大きな島で、森の中をかなり走った。その行き止まりに、駐車場がある。トイレやちょっとしたカフェもあり、定期バスの停留所もあった。駐車場の先は、車両進入禁止の道路で、カメラを一台、肩から斜め掛けして、ぶらぶら歩きだした。たしか軽い方のカメラだったと思う、望遠カメラも三脚も必要ない、と事前の下調べで判断していた。
広々した道の両側には、大きな碑や土産物店が点在していた。そうだ、たしか、桜の木があって、満開だった。道の行きつくところは、広い芝生広場になっていて、二百メートル位先に<樫野埼灯台>が見えた。見えたと言っても、灯台の敷地は背丈ほどの塀にがっちり囲まれている。灯台の頭が少し見えた程度だ。
芝生広場の入口左側にトイレがあった。たしか、大きな案内板もあった。念のために用を足す。というか、公衆トイレを見ると、尿意がなくても、なんとなく入ってしまう。いわば、ワンちゃんの<マーキング>に似ていないこともない。
灯台へと続く、この芝生広場の小道の両側にも、碑や銅像などが点在していた。観光地の雰囲気だな、と思った。ま、いい。目指す灯台は、すぐ目の前だ。灯台の敷地の前で立ち止まった。<樫野埼灯台>と墨守された大きな木の表札?が、門柱の左側にかかっていた。
敷地に足を踏み入れると、右側にガラス張りの資料館のような建物があった。係員の姿は見えず、建物には入れない。ということは、敷地内は入場無料ということだな。向き直ると、思った通り、というか下調べしたとおり、ロケーションが非常に悪い。二階建てくらいの高さの灯台だが、手前左側には大きな木があり、右側には案内板がある。灯台の全景を撮るとすれば、この樹木と案内板が、どうしても画面に入ってしまう。右に振っても、左に振っても、敷地が狭いので、いかんともしがたい。
それに、灯台の左横に、かなり大きな、筒状の螺旋階段が併設されている。灯台の首のあたりまで登れるようだが、こんなに大きな構造物を灯台の横にわざわざ作って、歴史的にも価値のある美しい灯台の景観を台無しにしている。
とはいえ、登れるのなら登ってみよう。タダだしね。高い所に登りたいのは、自分だけでもあるまい。鉄製の白い螺旋階段を登る。たしかに、見晴らしがいい。観光客にとっては、日本最古の石造り灯台より、太平洋を一望できるこの光景の方が<ごちそう>だろう。気分がいい。
眼下、右手下には、資料館の黒っぽい瓦屋根が見える。瓦の継ぎ目がところどころ白い漆喰?で補修されているのだろうか。いま写真で見ると、その補修跡が幾何学模様になっている。屋根のデザインだったのか?ともかく、なぜか<沖縄の民家>を想起した。<南国>を感じた。さらに、視線を飛ばすと、遥か彼方に岬があって、あっちからもこっちが見えるような位置取りだ。なるほど、あそこが<海金剛>だな。右側面から、樫野埼灯台の全貌が見える唯一の場所だ。下調べで見つけた景勝地で、この後、当然ながら、寄ることになっている。
その前に、いちおう、灯台の周りを360度回ってみた。海側の塀の前には、一つ二つ、崩れかかった木のベンチ置いてあった。灯台は、かろうじて画面におさまるものの、新緑の低木などに邪魔され、ほとんど写真にならない。要するに、この灯台は、前からも後ろからも、むろん左右からも、写真はあきまへん!
灯台の敷地を出た。今一度、門柱の<樫野埼灯台>の表札を見た。その表札を画面左にいれて、敷地の奥にちらっと見える灯台を撮った。灯台写真というよりは、記念写真だね。それから、念のために、塀の外回りを歩いた。樹木が繁茂していて、鉄柵のある断崖からは、ほとんど何も見えなかった。
ただ、西側からは、塀越しに灯台が多少見える。海も少し見える。とはいえ、このアングルだと、灯台よりは、塀の方が主役になってしまう。黒ずんだ、長方形の大きな石を積み上げた塀は、その重厚さ、堅牢さにより、<時代>を<昔>を強く感じさせる。存在感がある。写真を撮り始めた。位置取りを変え、かなりしつこく撮った。ま、絵になる構図だったのだ。
無駄足だったな。駐車場までの長い道を、たらたら歩いて戻った。途中、ひやかしで、トルコの土産物屋に寄ったり、銅像に近づいて、案内板に目をやったりした。やや観光気分だった。
駐車場のトイレで用を足して、車に乗り込んだ。すぐそばの定期バスの停留所に、若い女性がいた。サングラス越しにちらっと見たような気もする。ナビの画面で一応は確認して、<海金剛>へ向かった。分かれ道に案内板があり、すぐに着いた。途中、道の両側に民家並んでいたが、人の姿はなかった。多少広めの駐車場で、トイレがあり、資料館(日米修好資料館)のような建物が正面にあった。
樹木が覆いかぶさった、アーケード状の遊歩道をぷらぷら行くと、海側に凹んだ、人一人が展望できるようなスペースがあった。三脚を担いだまま、二、三歩、踏み込んだ。下は断崖絶壁だが、柵があるので安全だ。なるほど、ここの海景は素晴らしい。三角形の岩が、いくつも海から突き出ている。あとで撮りに来よう。この時は、一枚だけ撮って、遊歩道に戻った。
さらに少し行くと、視界が開けた。展望スペースらしき場所に出た。一段高くなったところには東屋もあった。ちなみに、遊歩道に覆いかぶさっていた樹木は椿だ。一、二輪咲いていたので、あっと思ってよくみると、幹がすべすべだ。椿のアーチとはオツなものだ。帰りに何枚か写真を撮った。
さてと、展望スペースからは、遥か彼方、岬の先端に<樫野埼灯台>が豆粒くらいに見えた。望遠カメラを持ってきたから、早速、断崖際の柵沿いに三脚を立てて撮り始めた。明かりの状態もまずまず、素晴らしい展望である。が、いかんせん、距離がありすぎる。400ミリの望遠では、勝負にならない。
ま、それでも、柵沿いに移動しながら、ベストのアングルを探しながら撮っていた。だが、ここにも観光客だ。見晴らしのいい柵沿いの展望スペースは、ほんの七、八メートルしかない。夫婦連れが、自分のすぐ隣にまで来て、そこをどかんかい!といった雰囲気だ。遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。
となれば、移動せざるを得まい。先ほどちょっと寄った、遊歩道沿いの、極小の展望スペースへ移動して、観光客をやり過ごした。だがしかし、そのあとも、観光客が入れ替わり立ち代わりやって来る。そのたびに、重い三脚を担いで、極小展望スペースへ退避したり、後ろの東屋のあたりへ行って、反対側の海景などを眺めたりした。
天気はいいし、明かりの具合もいい。最高の海景だった。だが、肝心要の、灯台写真が撮れたような気はしなかった。あまりにも遠い。樫野埼灯台が小さすぎる。デジカメの800mm超望遠でも撮ったが、解像度が粗くて、写真にならない。あきらめきれない。明日、もう一度来てみよう、と折り合いをつけた。まったくもって、きりもない話だ。
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