<灯台紀行・旅日誌>2020年度版
<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#15
日立灯台撮影4
真っ暗な中、車に乗り込んだ。灯台はすぐ近くだが、一応ナビをセットした。道順は頭に入っていないのだ。それから、日の出前、すごく冷えていたので、ウォーマーをはいて、上はダウンパーカを着た。これで、防寒対策はばっちりだ。ついでに、ネックウォーマーもしたような気がする。
公園の駐車場には、時間制限があり、たしか、チェーンが外れているのは八時から六時ころまでだったと思う。昨日確かめておいた。ということは、今の時間、横の道に路駐するしかない。早朝だから、大丈夫だろう。あっという間に、公園についた。まだ暗かった。周りは住宅街だ。そろそろと駐車して、音を立てないようにして外に出た。公園の中に入って、太陽の位置を確認した。目の前の海から昇ってくる感じだ。ところが、水平線に、雲がかかっていて、朝日を隠している。残念!海から昇る朝日は拝めない。
ま、それでも、水平線付近は、少し朱色に染まり始めた。何と言うか、朝日を隠している雲は、横にたなびいているわけで、もう少し時間がたてば、その雲の上に朝日が出てくるだろうと思った。たしか、軽いカメラを三脚に装着して、望遠の方は右肩から斜め掛けしていたように思う。カメラバックを背負わない、今回の旅で味をしめたスタイルだ。
朝夕の撮影に、三脚は必須だが、露出設定などは、全く頭から飛んでいた。したがって、ピンボケだけは防止できるかもしれないが、それ以上の写真は期待できないだろう。なので、ろくにモニターもしなかった。もっとも、三脚に装着したカメラの、しかも、暗い時のモニターは手間がかかり、面倒なのだ。しかし今思えば、面倒とか、そういうことを言っている場合ではなかった。日立灯台の早朝撮影は、おそらく、これが最初で最後になるだろうと予感していたのだから。
三脚を担いで、公園内をうろうろ、撮り歩いているうちに、待望の朝日が顔を見せてくれた。まだ、半分くらい、たなびく雲に隠れている。だが、それでも十分に朱色だ。いや、みかん色、と言った方がいいかもしれない。どこか温かみがある色合いなのだ。夕日の撮影と違って、朝日の場合は、刻一刻と明るくなっていくので、なにか、気分的にも明るくなっていく。
昨日下調べした、撮影ポイントは、まったく参考にならなかった。何しろ、太陽の位置が全然違う。今は、真正面の海の、少し上あたりにあって、灯台を真横から照らしている感じだ。期待していた、朝日がもろ灯台にあたる状況にはなっている。だが、イマイチ、感動がない。思うに、周りが明るすぎる。空の色も、すでにきれいな水色になっている。事物は地上に長い影を引き、芝生や樹木の緑色は、みかん色に中和され、変な色合いなっている。画面全体が、期待していた灯台も、スカッと抜けたみかん色に染まるわけではなく、なんとなく、ぼうっとしていて冴えない。それでも、撮らないわけにはいかないだろう。全エネルギーを傾注して、公園内をバタバタ移動しながら、撮りまくった。
かなりの時間がたって、犬のお散歩などで公園を訪れる人が多くなった。朝日は、あっという間に成長して、もうすでに立派な太陽になっていた。見晴らし用の小山に行く前に、太陽を灯台の胴体で隠して撮る、逆光写真を撮った。<番所灯台>に続いて、いわゆる、二匹目のドジョウを狙ったわけだ。だが、全然よくない。理由は、灯台の胴体が巨大な分、その影はもっと巨大になり、したがって、画面に占める割合が多すぎて、目障りなのだ。それに、辺りが明るくなってきたので、人影が気になってきた。なかには、公園の縁をぐるぐる歩いているおじさんもいる。朝の日課なのだろうけど、白い上着を着ているので、画面に入り込んだときに、目立つんだ。まあまあ、世界は君一人の物じゃないんだよ。
夜明けから、小一時間たっていた。撮影モードが解除され、アドレナリンが引いてきたのだろう、周りのことが少し見えてきた。まず、自分の車の前に黒い車が路駐している。撮影中にもちらっと眼に入った光景だ。その黒い車を、いま改めて見ると<ポルシェ>だった。早朝の公園と<ポルシェ>の取り合わせが、ちょっと面白かった。公園内の誰かの持ち物には違いないが、それが誰なのか、よくわからなかった。というのも、犬の散歩などで、けっこう人がいるのだ。
それから、でかいバイクの若い男だ。彼の存在にもかなり前から気づいてはいた。大柄で、黒い革ジャンを着ている。スマホで、盛んに朝日に絡めて灯台を撮っている。要するに、インスタか何かにアップする写真を撮っているのだ。最大限近づいた時に、と言っても二十メートルくらいはあったかな、顔をちらっと見た。やや長髪で、角ばった感じの顔だ。人懐っこさや、如才なさはなく、無表情、いかにもバイク野郎という感じだった。こっちから、声をかけてもよかったのだが、シカとした。というのも、まだ、見晴らし用の、小山からの撮影が残っていたし、明かりの具合も、刻一刻と変化している最中だった。立ち話をしている暇はない。こっちのそんな雰囲気を察知したのか、彼も話しかけてこなかった。そのうち、ポルシェの前に止めた、大きなバイクの方へ行ってしまった。
そういえば、前回の<爪木埼灯台>でも、陽が落ちる直前に、どこからともなくバイク野郎がきたっけ。年齢も同じくらいだ。二十代後半の若者だ。すんなり就職しなかったのだろうか、それとも、就職できなかったのだろうか、あるいは、会社勤めにうんざりして、退職届を上司にたたきつけ、バイクに乗って、旅に出たのだろうか、いずれにしても、朝日や夕日に染まる灯台を、スマホ撮影とはいえ、きっちりその時刻に撮りに来るからには、それなりの理由があるのだろう。バイクのエンジン音が、轟いた。あるいは、これから、バイトに行くのかもしれない。旅をしている割には、荷物がなかったな。いや、荷物は、自分と同じで、まだ宿に置いてあるのかもしれない。
小山に上がった。灯台が水平線にクロスする、お気に入りのベストポジションだ。海から出てきた太陽は、あっという間に灯台より高い所に昇ってしまった。要するに、明かりの具合は、斜光だ。早朝の厳粛な雰囲気は霧散して、辺りには、朝の生気が漲り、人間や生き物の気配がする。地上に描かれた、事物の黒い影は、しだいに薄くなり、その長さも、刻一刻と短くなるだろう。空の様子はと言えば、紫雲たなびく、というか、静かで、美しい瑠璃色だ。どこかで見たような、やさしい浮雲が漂っている。
天空はやすらぎの空間で、地上には生気が満ち満ちている。その真ん中に、灯台が立っている。わずかに、右側が光っている。光ることによって、その輪郭が、ますます確信できる。ローソク型の白い灯台は、もはや、地上の事物ではなく、かといって、天空に回収されもしない。ただただ、天地の間に佇立しているだけだ。写真を撮りながら、目の前に広がる光景に感動していたのだろう。
立ち去りがたくはなかった。十二分に撮ったような気がした。時計を見たのだろう。七時過ぎだった。いま撮影画像で確認した。引き上げるつもりで、小山を下りて、車へ向かった。と、灯台の前に来た時に、ふと立ち止まった。なにか、先ほど撮った同じ位置なのに、灯台が、というか公園全体の雰囲気が、違って見えた。なるほど、明かりの具合が変わっていたわけで、これはもう撮るしかないでしょう。構図的には同じだが、明らかに、今の方が、写真としてはきれいに撮れると思った。
そうこうしているうちに、画面の前を、犬を連れた老年の夫婦連れが、<ポルシェ>の方へ歩いていく。あ~、公園の周りをぐるぐる回っていた爺さんだ。なるほどね、長時間止まっている訳がわかったよ。朝の日課、公園の周りを小一時間歩く。その間、奥さんは、犬のお散歩をしながら待っている、というわけだ。見るともなく見ていると、二人とも、車の周りで、ぐずぐずしていて、なかなか出て行かない。が、二人の姿が消えた。やっと車に乗ったのだ。少しあって、腹に響くような、野太いエンジン音が響き渡った。さすが<ポルシェ>だ、エンジンの音からして、ちがう。ただね~、爺さんに<ポルシェ>って、どうなんだろう?おそらく、金持ちで、車が好きなんだろう。例えば、俺が金持ちで、車好きで、なおかつ<ポルシェ>が好きなら、やはり、爺になっても、<ポルシェ>に乗っているかもしれない。<ポルシェ>か~、貧乏人の僻みだ。自分には、やはり、<灯台巡り>の方があっているような気がした。
<福島・茨城旅>2020-11-7(土)8(日)9(月)10(火)収支。
宿泊費三泊 ¥12100(Goto割)
高速 ¥13400
ガソリン 総距離720K÷19K=38L×¥130=¥4900
飲食等 ¥4100
合計¥34500
<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#1~#15
2020-12-11 脱稿。
To be continued
<灯台紀行・旅日誌>と<花写真の撮影記録>
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