<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#4
野間埼灯台撮影3~宿
灯台広場は、依然として観光客でごった返していた。とはいえ、何十人いようが、関係ない。日没前後になれば、みなシルエットになってしまうのだ。広場の敷地をまたいで西側の浜へ踏みこんだ。波打ち際には下りないで、道路との境、幅の狭い、腰高のコンクリ塀のそばに立った。ま、これは、防潮堤の一種と考えてもよろしい。この位置取りは、灯台を斜め後ろから見ているわけで、画面の左側には、<絆の鐘>とか椰子の木などが見える。しかも、灯台は水平線と垂直していない。言ってみれば、構図的には、難がありすぎるが、灯台と夕日を絡めようとするならば、致し方のない、ベストポジションなのだ。
太陽は、水平線に徐々に近づきつつある。だが、いまだ光が強すぎて、画像的には白飛びしてしまい、その円形の姿は捉えられない。水平線ぎりぎりになって、はじめて、線香花火の火の玉のような夕日が、画像に定着できるのだ。要するに、まだ少し時間がある。ほかに、もっといい場所はないのかと思い、砂浜を、切り立った岩場の方へ移動した。
岩場の前まで来た時に、その陰から、黒っぽいコートを着た三十代くらいの青年が現れた。大きめの黒いカメラバッグを肩にかけ、その手には、一眼レフが握られていた。あきらかに、灯台と夕日を撮りに来たアマチュアカメラマンだ。すれ違いざま、ちらっと顔を見たが、向こうは目を合わせない。思い切って、話しかけた。<夕陽が撮れる場所はどのへんでしょうか>と。というのも、この期に及んで、砂浜を歩き回って、灯台に夕日が絡む、そのベストポジションを探し出すのは、自分だけでは、ほぼ不可能だと思ったからだ。
色白で、髭が濃い、おとなしい、どちらかと言えば、オタクっぽい青年は、すぐに話に乗ってきてくれた。尊大な感じはみじんもなく、言葉も丁寧だ。二、三分か、五、六分か、立ち話した。だが、その間にも、太陽は、刻一刻と、水平線に近づいている。実のところ、お互い、気が気ではない。そのうち<向う側の浜を見てくるので、いいところがあったら、伝えにきます>と言って、去って行った。
これで、少しの間、バタバタせずに、今いる西側の浜で、ゆっくり写真が撮れる。再度、午前中に目星をつけておいた撮影ポイントを回って、写真を撮った。むろん、構図はほぼ同じだが、明かりの具合が全然違うので、撮っても無駄、意味がないとは思わなかった。ただ、切り立った岩場の上、つまり、廃業したリゾート施設に行こうとは思わなかった。景観的には、水平線が見える分、多少いいが、うす暗くなっていたし、時間的にも無理だろう。それに何よりも、またサル山の猿にはなりたくなかった。
そうこうしているうちに、髭の濃い彼が、黒いコートの前をなびかせて、こっちに向かってきた。戻ってこないんじゃないかな、と頭の隅でひそかに思ったことを少し恥じた。やはり、律儀で、誠実な、いい奴なのだ。彼の報告によれば、向こう側の、道路際の防潮堤の上がいいらしい。カメラのモニターを見せてくれた。なるほど、画面の右端に灯台、左端に夕日が写っている。といっても、夕日は白飛びして、中心が白色の黄色っぽい大きな同心円になっていた。
この時も、二、三分か、四、五分話して、別れた。彼は、灯台の根本の岩場の方へ行き、見上げながら、写真を撮っていた。一方自分は、東側の砂浜と道路との境になっている、幅の狭い防潮堤の上を歩いて、彼の話していた場所で止まり、カメラを構えた。しかし、残念なことに、夕日は、最大限の広角にしても、画面にはおさまらなかった。おそらく、彼のカメラは、自分より広角なのだろう。とはいえ、灯台と夕日が、画面におさまる位置取りの限界はわかったわけで、その後は、そこから、灯台付近までの数メートルの範囲で、ベストポジションを探しながら、時間も、暑さ寒さも忘れて撮りまくった。
そして、まさに、太陽が、燃え尽きて、水平線にかかる刹那、西側の浜に戻って、広場の椰子の木や<絆の鐘>を写し込んだ、自分だけのベストポジションで、最後の時を楽しんだ。
夕日は、いつも思うのだが、水平線にかかると、あっという間に沈んでしまう。その間、どのくらいの時間なのだろうか?計ったことはないし、計ろうとも思わないが、とにかく、短いことだけは確かだ。そうそう、案の定、この日没の瞬間には、文字通り広場は人間でごった返していたようだ。しかし、画像には、黒いシルエットが、端に少し映り込んでいただけだ。自然の美しさに感動する、人間の謙虚な姿、と思えないこともない。
落日。急に辺りがしらけた感じになる。とはいえ、これからの数十分が<ブルーアワー>だ。陽が落ちた後も、広場や灯台周辺の人影が消えないのは、劇的な落日とは好対照の、かそけなく美しい夕空を見たいからなのだろうか。今一度、いや、今三度くらいかな、七色に染まる夕景を撮るために、波打ち際の方へ行った。言わば、今日一日の、最後の最後の仕事だ。そう、なぜか、水平線の近くがオレンジ色で、上にあがるにしたがって、徐々に淡い水色に変わっていく。これまで、気づきもしなかった、静かな美しさだ。その真ん中に、灯台が立っていた。
引き上げる前に、反対側の浜に行った。撮影場所を教えてくれた律儀な青年に、一言、声をかけたかった。彼は、狭い防潮堤の上で、写真を撮っていた。またしても、二、三分、いや、五六分、立ち話をした。ニコンのD750という本格的な一眼レフカメラを持っていたので、なにか、SNSでもやっているのか、と聞くと、以前はやっていたが、最近はほとんどアップしていないとのこと。
カメラ一台で給料が吹っ飛ぶ、とも言っていたので、独身のサラリーマンなのだろう。昨日はセントリアで撮っていて、今日は、夕日を年賀状に載せるために撮りに来たとも言っていた。<セントリア>?と聞き返した。中部国際空港のことらしい。なるほど、昨日は土曜日、飛行機で来たんだ。<ありがとうね>とちょっと手をあげて別れた。いい青年だった。
駐車場へ戻った。小屋の明かりがついていたので、ちょっと寄って、おばさんと話した。明日も早朝から来るので、駐車代¥1000を先払いしておきたかったのだ。マスクをしていたから、たしかなことは言えないけど、小柄だが、しっかりした顔立ちの美人だった。年は、六十前後で、おそらく漁師の女将さんなのだろう。だが、話しぶりが知的だった。そういえば、昼間、小屋に居た爺さんも、話し方が穏やかでちゃんとしていた。
愛知県知多半島、名古屋弁は関係ないのだろうか、言葉の抑揚、アクセントなどにも、まったく違和感がなかった。おばさんと、心からの挨拶を交わして、小屋を後にした。<お気をつけて><ありがとうございました>。辺りはほぼ暗くなっていた。疲労感はなく、心がやや軽い感じだった。さあ、引き上げだ。
宿にはすぐについた。灯台から四、五キロのところにあるので、ものの十分とかからなかった。国道からはそれて、海の方へ細い道をうねうね行くのだが、曲がり角ごとに、案内板がある。ナビに従わなくても、間違えることはなかった。
半官半民のような組織が全国的に持っている宿泊施設の一つで、建物はしっかりしている。手入れもよく、きれいだった。一泊二食付きで¥12000だから、食事はさほど豪華なものではないが、特筆すべきは、温泉が広くて、きれいで、しかも、ほぼ貸し切り状態だったので、非常に良かった。
コロナ対策も万全で、バリアフリーも完備。従業員は、ほとんどが六十代以下の女性で、顔立ちのしっかりした都会的な人が多かった。応対も、それなりに丁寧で問題はない。それどころか、翌朝の、朝食終わりで、コーヒーを飲みながら、窓の外の海を眺めていたら、若い、しかも美人の従業員が<今日はいい天気ですね>と、声をかけてきた。その後、二、三分、言葉を交わした。こんなことは、これまで七回の灯台旅で初めてだ。広い食堂で、五、六組、食事をしていたが、一人で食べていたのは、自分一人だった。後姿に、ジジイの悲哀が漂っていたのかもしれない。
部屋はベッドが二つ並んでいるツインで、設備、調度品もみなきれいで、新しい。食堂で夕食を済ませたあとは、ちょこっとメモ書きして、おそらく、すぐに寝てしまったようだ。何しろ、今日は、朝の三時半に起きて、400キロの道のりを六時間半運転して、その後も手を抜くことなく、陽が沈んだ後までみっちり写真撮影だ。ま、それでも、初回の、犬吠埼旅のような、身も蓋もない疲労感はなく、元気だ。撮影旅に慣れてきたのだろう。
そうそう、もう一つ、書き記しておこう。それは、例の<地域クーポン券>のことで、ここでは、二泊分でなんと¥4000!ゲットした。のみならず、なぜか、宿の売店だけで使える¥1000券もくれた。正規で泊まれば、二泊で¥24000だが<Goto割り>もあり、クーポン¥5000分を差し引くと、実質一泊¥7500くらいで泊まれたことになる。廃墟のような安ホテルでも素泊まり一泊¥5000取る今日日、これは安いだろ。しかも、お食事つきですからね!
To be continued
<灯台紀行 旅日誌>と<花写真の撮影記録>
<灯台>と<花>の撮影記録
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