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<日本灯台紀行 旅日誌>2020年度版

 
<灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#12
ホテル~伊良湖岬
 
メモには<夜の撮影 5時15分までねばる>とある。となれば、恋路ヶ浜駐車場にたどり着いたのは、五時半前だろう。すでに、完璧な夜になっていた。とはいえ、駐車場は真っ暗ではなかった。街灯が光っていたし、トイレの明かりが煌々としていた。土産物店はすべて閉まっていたが、車がけっこう止まっている。暗い浜辺で釣り人の姿を見ていたので、夜釣りをしている連中の車だと思った。この雰囲気なら、車中泊ができそうな気がした。
 
ホテルまでは、ほんの一、二分だった。三叉路沿いに、駐車場があり、その奥に五階建ての建物が見える。駐車場には何台か車が止まっていた。見上げると、明かりのついている窓がいくつかあった。入口付近はうす暗い。自動ドアを入ると、中もうす暗い。と、目の前に螺旋階段があった。階段の手すりの間から、下の明かりが見える。受付らしい。階段を下りた。
 
なんだか、雑然とした狭いロビーだ。受付には誰もいない。カウンターの上に視線を落とし、呼び鈴を眼で探した。サビていて色が変色している。鳴るのかなと思って、指でたたいた。<ち~ん>という金属音ではなく、<ぢん>!こもった音がした。様子を窺がった。三拍ほど間があいて、正面のドアの向こうから女性の声がした。
 
出てきたのは、中年と老年の間くらいの女性だった。愛想はいい。館内の説明をひと通り聞き終え、コロナ関係の書面に署名した。その際、免許証を見せた。二泊分¥10400を前金で支払い、その後に<地域クーポン券>¥2000分を渡された。こちらが聞く前に、従業員なのか女主人なのか判断に迷う、その女性が、クーポンの使える店を教えてくれた。前の道をちょっと走ったところにファミマがあるから、そこで使ってしまった方がいい。前の道って?とうしろを振り返り、そのファミマの方向を指さした。そうそう田原へ行く方よ、と間髪入れず女性が答えた。
 
渥美半島に入り、自分が走ってきたのは、太平洋岸だ。伊良湖岬灯台へは、本来なら、三河湾側の<田原街道>を南下するルートが一般的らしい。自分の場合、赤羽根灯台に寄ったので、太平洋岸を走らされたわけだ。とにかく<田原>と言われてピンと来なかったのは、来るときに通過していなかったからだと思う。女性のほうは、てっきり、自分が<田原街道>を南下してきたのだろうと思っている。片方の思い違いだけなら、まだ会話になる。この時がそれだった。
 
部屋に入った。意外に、というか、かなり広い。ベッドが二つ、それに、八畳ほどの畳の平台が真ん中に置いてある。座卓やテレビはその平台の上にある。この和洋折衷の変なつくりは、明らかにリフォームしたものだろう。本来は和室の部屋だったものを、壁も床も天井も、いったんすべて取りはらい、その一角にユニットバスを設置し、洋室っぽい感じに仕上げたのだ。完全に洋室にして、ベッドをずらっと並べるよりは、畳の平台を置いて、布団で大人数が泊まれるようにした。これなら、かなりの人数、七、八名の大家族でも大丈夫そうだ。
 
照明とか、カーテンとかを、ちらっと見た。明らかに女性の趣味だなと思った。ぼろホテルを誰かが買い取って、内装だけはほぼ全面リフォームして、営業しているのだろう。ただし、一点だけ、この部屋には優れたところがあった。それはバスタブで、体を横たえて入れる洋風タイプだった。ユニットバスのバスタブは、そのほとんどが、膝を曲げて入るタイプらしい。たしかに、これまでのホテルで、足を伸ばして入れるバスタブはなかった。それに、バスタブが長いということは、その分、ユニットバス全体が広い、ということだろう。たしかに、ある意味、不釣り合いなほど、このホテルのユニットバスは立派だった。洗面台の鏡も大きいし、便座周辺にも余裕がある。したがって、風呂、洗面、排便、この三つに関しては、かなり快適だった。
 
風呂から上がり、ノンアルビールをあおって、カレー味のカップ麺やせんべい、ビスケット、小粒みかんなどを食べた。何しろ、三時頃に<大あさり定食>を食べた後、何も食べていないわけで、夕食抜きで寝るわけにもいかないでしょう。
 
土産物屋で買った小粒みかんは、思いのほかうまかった。小さいから、五、六個食べたと思う。この、ほのかな<あまみ>。ふと、先日食した柿のことを思い出した。友人に温泉に連れて行ってもらったとき、彼が、冷凍保存した庭の柿を持って来ていて、一緒に食したのだ。何と言うか、自然の<あまみ>だ。柿の木とまわりの風景が目に浮かぶようだった。翻って、旅先で食べた小粒みかんの<あまみ>が、渥美半島の自然や風土、そこで暮らす人間の生活を想起させてくれた、のか?あり得ない話でもない。
 
<7:00 ねる>とメモにある。ずいぶん早寝したものだ。疲れていたのだろうか、いや、そればかりではない。明日の朝、六時に起きて、伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行くのだ。そうそう、その件を、受付の女性に話したら、24時間、表のドアは開いてますから、鍵は持って出て下さい、とのことだった。不用心だなとちらっと思ったが、その方が、こっちも世話なしでいい。
あくる朝、目覚まし時計の助けは借りず、六時前に起きて、くすんだ灰色の、厚手の花柄カーテンを開けた。じゃ~~~ん、曇り空。なんで!とすぐにスマホのお天気サイトを見た。なんと、午後の二時過ぎまで曇りマークがついている。話が違うだろう。今回の旅は、四日連続で晴れマークがついているから、わざわざ予定を前倒しして来たんだ。がっくり、ベッドに倒れ込んだ。このまま二度寝しようか、と思ったが、すでに完全に目が覚めている。また眠れるとも思えなかった。
 
ふてくされた気分だったのか、時間がなかったのか、髭もそらず、歯も磨かず、顔も洗わないで、もちろんウンコもしないで、畳の平台に、きれいに並べて脱いだ衣服を、ひとつずつ取り上げて身に着けた。水くらいは飲んだのかもしれない。カメラ二台入っているカメラバックを背負い、しずしずと部屋を出た。
 
たしか、受付の女性は、二階から出られると言ってたな。エレベーターを二階で降りた。だがしかし、螺旋階段の向こうにある自動ドアには近づけなかった。というのも、階段そのものが、廊下の透明な仕切り板で、ぐるっと、きっちり囲われている。廊下を行ったり来たりした。檻に入れられているみたいだった。誰かに、こんなところを見られたら、怪しまれるだろう。二階から出られますよ、という女性の声が、頭の中で聞こえた。あれは何だったのか、自分の聞き違いか、それとも、ほかに、自動ドアに近づく手立てがあるのか。もう一度、二階全体を見回した。絶対無理だ。エレベーターに乗って一階に下りた。
 
説明しておこう。このホテルは、実は一階が地下一階で、二階が一階なのだ。要するに、斜面に立っているのだろう。となれば、一階ではなく、地下一階から、螺旋階段を登って、これまた、二階ではなく、一階に上がり、自動ドアを手でこじ開けて、外に出たことになる。この記述の方が正確だろう。そもそも、二階から出られますよ、というのも変な話ではないか。二階から<も>出られますよ、というのなら、変ではないが。
 
とにかく、外に出た。まだうす暗かった。だが、どこを見回しても、雲が厚く堆積していて、朝日が昇ってくる気配はない。ほんと、灯台が近くでよかったよ。これが、車で三十分走るとしたら、絶対に行かない。朝日は見えないし、きれいな写真が撮れっこない。なのに、伊良湖岬灯台へと向かっていた。まあ~、朝の散歩だよ。自分の不条理な行動に言い訳した。いや、ふてくされた気分をなだめたのだ。
 
駐車場に着いた。思いのほか、車が止まっている。夜釣りならぬ朝釣りだな。ま、たしかに、日の出前後は、魚がよく釣れる。ガキの頃、休みの日は早起きして、近くの池によく釣りに行ったものだ。早朝と夕方が、釣りの<ゴールデンタイム>だったような気がする。遊歩道を歩き始めた。砂浜にも、岩場にも、釣り人がいる。なかでも目についたのは、ほとんど海の中にある岩場に、10メートル間隔で並んだ、全身黒づくめの釣り人達だ。五、六人が、横一列に並んで、盛んに竿を振っている。と、すぐそばを、小型漁船が横切る。とたんに、波しぶきが上がって、釣り人が見えなくなるほどだ。

漁船は、釣り人達に嫌がらせをしているのか?と思うほどに、至近距離をこれ見よがしに走りぬけていく。むろん、釣り人達は、抵抗できない。なかには、危うく、岩場から、海の中へ落ちそうになっている奴もいる。たしかに、小型漁船の方は、生活がかかっている。一方、釣り人の方は、ま、言ってみれば<遊び>だ。自分が漁師だったら、生活費や子供のことで、女房と喧嘩した翌朝などは、平日に釣りなんかしている連中に、波しぶきのひとつも浴びせかけたいと思うかもしれない。いや、気の荒い漁師だ。海に落としたろうか、くらいのことは思うかもしれない。ま、ほかにもっと正当な理由があるのだろう。

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