全裸卒倒、勝浦の宵
温泉というのは厄介なもので、そこに湧いているのが温泉であるというだけで、元を取りたくなってしまう。なんらかの効能を謳う湯が地の底から湧き出しているというだけで、脳が現世利益を求めてしまう。が、飲めない酒を飲むことしかりで、のぼせやすい体質の人が温泉地に出向いて元を取ろうと思うと、当然のことながらのぼせてしまうのである。平素の入浴がカラスの行水で、湯船につかることを習慣とせぬ人にとっては、温泉で元を取ろうというのは悪手に過ぎる。
もう十数年も前のことだが、南紀は勝浦温泉に行くことがあった。そもそも風呂にこだわりがない性分ではあるものの、せっかくの有名温泉である。温浴、冷浴、サウナとひと通りのローテーションは済ませておきたい貧乏性が出てしまった。都合、2時間は風呂場にいただろうか。その後に続く出来事が出来事だけに、あまり明確に記憶が残っていない。
入浴を終えた僕は、おぼつかない足取りで脱衣場のトイレに全裸のまま転がり込んだ。吐き気ではなく、単に尿意を催したのであった。小用それ自体はなんのことはなく済ませた。もちろん座って済ませた。すると、ふっと視界が暗くなった。
気がつくと僕は脱衣場のトイレで、当然のことながら全裸で突っ伏していた。完全にのぼせきっていたのだ。それも判断力低下の影響からか、無施錠だった。意識が回復せぬまま発見が遅れ、誰かに全裸で卒倒している様子を見られていた可能性もじゅうぶん考えうる。結果的に生きながらえることはできたが、生死を問わず危険な状態にあったことは確かである。
いずれにしても、僕は世界遺産の一角をなす温泉の脱衣場のトイレで、生死の境をさまようという使いどころのよく分からないキャリアを形成するに至った。マグロの本場・勝浦でマグロ状態になるという得難い経験をするに至った。今日はいい風呂の日だ。湯船につかる予定は、整おうというような選択肢は毛頭ない。