「そんなの無理だよ」を乗り越えるのは心地いい
今日は自分が心地よいと思える瞬間のことを書いてみようと思う。
色々あるけれど、その中の一つに「そんなの無理だよ」と言われたことにあえてチャレンジして打破した瞬間、というのがある。
このnoteもまさにそれで、「フルタイム勤務のお母さんの子供が野球チームに入るのなんて無理だよ」と言われたのがきっかけだ。
「そんなの無理だよ」は新しいチャレンジのお題だ
無理だよ、と言われると私は俄然燃える。
先日、とある役員会議のオンライン化を提案したら、秒速で上司に却下された。
「そんなの無理だよ、役員がオンラインで会議なんてできないよ」と。
今言いましたね?無理って言いましたね?よーしやってやる。無理かどうか。
無理って言われると脊髄反射でやりたくなる。こうしたらどうか、ここがネックになるけどどう回避するか、一人でいろんなアイディアを出してはダメなところを洗い出して潰し、を何度も繰り返した。
やっていると、無理だと思っていた同僚たちも「あれ?やれるんじゃない?」と思うようになるようで、少しずつ手を貸してくれるようになり、そのおかげもあってオンライン化は無事成功した。
無理だよ、と言われたことを乗り越えるこの達成感はお風呂上がりに飲むキンキンに冷えたビールに匹敵する爽快感だ。
おまけ
その後によくあるのが、「そのノウハウを教えてくれ」というお願い。私は惜しみなく出してしまう。
同僚に「あれだけ苦労したんだから、もう少し出し惜しみしてもいいんじゃない?」と言われたのだけど、全然惜しくないのだ。むしろ一度チャレンジしたことはさっさと手放したい。
なので、上手くいったなと思ったらどうぞどうぞとノウハウを全部提供してしまう。
逆に嫌なのは「それ次回もやって」というお願い。同じことをもう一度繰り返すことは好きじゃないから、新たな要素が加わらないとやる気がまるで起きない。
結局、私は新しいものに常にチャレンジしてないと燃えないのだ。
歳を重ねても新しいものにチャレンジして無理を乗り越える。
それが私の心地良いと思える瞬間だ。