聖フランシスコと味わう主日のみことば〈年間第19主日〉
主の御使いはエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、40日40夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた(列王記19・7-8)
わたしたちの人生は、〈旅〉にたとえることができます。この世に生まれた時に始まった人生という〈旅〉は、地上での生命を終えて、神の懐に帰る天国に迎えられる時、一つの終着点にたどり着きます。そして、そこからは、永遠に続く神との至福の交わりが始まります。わたしたちには、その永遠に続く〈至福〉の交わりというものが、一体どのようなものか、想像もつきませんが、使徒パウロの言葉を借りれば、それは「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」(コリントの信徒への第1の手紙2・9)ものです。
わたしたちは皆、この想像を超えた永遠の幸せである神との交わりに至るために創造されました。一人一人には、神から与えられたこの世での使命があります。神はわたしたちに希望を込めて、その使命を与えられました。わたしたちはその使命を果たすために、この地上の人生を大切に生きることによって、本当の意味で、〈自己実現〉をすることができるのです。そして、その〈自己実現〉の果てにあるのが、神との〈至福〉の交わりなのでしょう。
しかし、そこにたどり着くためには、山あり、谷ありのいろいろと苦労の多い人生を、最後まで歩き続けなければなりません。今日の第一朗読で読まれた列王記に出てくるエリヤは、神から選ばれた預言者でした。彼は、異国の偶像礼拝に耽り、主である神からの離反を繰り返すイスラエルの同胞たちに対して、神の託宣を語る使命を果たしました。彼は、神から特別の力を与えられ、主なる神が常に自分と共に居てくださるということを、多くの奇跡によって証ししていたのです。
しかし、その彼でさえも、預言者の使命を果たすには、自分には力不足で、荷が重すぎると感じてしまうほどの試練が訪れました。王妃イゼベルがバアル信仰に反対する彼を亡き者にしようと命を狙っていることを知ったのです。彼は言います。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」(列王19・4)。そのように不安に襲われ、失意の中にあったとき、主の御使いが来て、エリヤに向かって言いました。「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」(列王19・5)。御使いがエリヤに与えたのは、焼き石で焼いたパン菓子と水でした。彼は起きて、これを食べると、力づけられて、遂にホレブと呼ばれる神との出会いの場所にたどり着いたのです。
今日の福音では、イエスが人々に次のように語っています。「わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」(ヨハネ6・51)。
ここで、〈食べる〉という言葉のギリシア語〈エスティオー〉は、文字通り、食べる、食い尽くす、食事をするといった意味をもっており、これは人間が生きていくために口から栄養を摂取するという、人間の根本的な行動を示しています。
つまり、ちょうど、エリヤが御使いから与えられたパンを食べて、力づけられたように、わたしたちもイエスを霊的な食べ物としていただくことによって、内面から力づけられていくことができるように、イエスはわたしたちのために御自身を命のパン(=食べ物)として差し出されるのです。
イエスは、私たちが神から与えられた使命を果たして行くに当たって、到底私たち自身の力だけではかなわないような状況にあっても、私たち自身の力の源になってくださることを約束しておられるのです。
イエス御自身が、わたしたちの内で、わたしたちの力の源となり、わたしたちを生かしてくださるために、アシジの聖フランシスコは、〈主の祈り〉の解説の中で、次のように、教えています。
“我らの日用の糧を”
あなたの愛子、私たちの主イエス・キリストを
“今日われらに与えたまえ”
それは、主イエスが私たちに対して抱いておられた愛と、私たちのために話し、行い、忍んでくださった事柄とを記念し、理解し、尊ぶためです。※1
この言葉から、わたしたちが、エリヤやフランシスコのように、神から与えられた使命を生きることに疲れ果ててしまわないために、イエスを私たち自身の栄養とし、血肉とするように、わたしたちは、常に、イエスの愛を思い起こし、イエスが生きられたその姿を目の前に思い描きながら、日々生活することがとても大切なことだとわかります。そして、その先に、神との永遠の〈至福〉の出会いが待っているのです。
※1『アシジの聖フランシスコの商品集』庄司篤訳、聖母の騎士社、1988年、118頁。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?