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神学生の創作絵本「カシアノさんのおくりもの」第二回(5回シリーズ)

ポーランドから来日し、おもに炊事場で働いたカシアノ修道士の物語

人生は一度きりです。
私たちは聖人になりましょう。
それも中途半端な聖人ではなく、
けがれなき聖母マリアの御助けによって、
神さまの最大の栄光となる偉大な聖人に……。
  ―マキシミリアノ・マリア・コルベ


カシアノさん4

「よく、来てくれました……今部屋がないので、しばらく炊事場でやすみなさい。仕事のことは、後で考えましょう……」。

その時の「しばらく……」が、結局生涯にわたってわたしの働き場となってしまいました。
わたしは炊事などそれまでしたことがありませんでしたが、そのことの不安よりも、コルベ神父さまの内から伝わってくるピンと張りつめたような清澄な空気にわたしは惹きつけられてしまい、その秘密を探りたいという好奇心で、心はいっぱいでした。

コルベ神父さまが日本の長崎に行かれたその二年後に、わたしも後を追うようにして、日本の「無原罪の聖母の園」に呼ばれて行くことになりました。そこでも、わたしの仕事は修道士たちの食事を準備することでした。
早朝の聖務の後にいただく朝食は、煎った大麦の粉で沸かしたコーヒーとパンのみという簡単なものでした。三度の食事はいつも沈黙で、皆黙々と食べます。それは、コルベ神父さまが修道的沈黙や心の集中を大切にしていたからです。

「聖霊は静かな心の中に語りかけられます。聖霊が与えてくださるインスピレーションと聖なる導きに耳を傾け、その恵みに協力するためには、どうしても精神の沈黙が必要です。ところで、沈黙するとは何も言わないということではなくて、聖母マリアさまが望まれることを多くもなく少なくもなく、ありのままに話すことです。必要以上に話すとき、わたしたちは聖母の御手の中の道具であることを止めて、神さまの恵みを無駄にしてしまうでしょう。修道者としてそれは残念なことです」。

カシアノさん5

ある時、コルベ神父さまは次のようなエピソードをわたしたちに語ってくださいました。

「ある町で、目の不自由なホームレスの男性が道端に座って物乞いをしていました。そこへ二人のカトリック司祭が通りかかりました。するとその男性は『神父様! どうぞお恵みを……』と呼びかけたのです。二人の司祭は驚いて『あなたは盲人だというのに、どうしてわれわれが神父だと分かったのだ?』と訝いぶかしげに尋ねると、彼は単純に答えました。『何ということはありません。

お二人が食べ物のことについて楽しそうにお話しなさっていたからです』。このように、わたしたち聖職者は自分の口から出る言葉について、注意深く用心しなければなりません。とくに修道者は、誓願によって自分のすべてを神さまに捧げたのですから、わたしたちの口も神さまのものです。わたしたちの師父聖フランシスコがおっしゃるように、わたしたちの言葉は、人々を神さまのもとへと導くものでありたいものです」。

コルベ神父さまは自分を他の者と少しでも差別するのを嫌い、食堂に運ばれるものはすべて食べ、それがおいしいか、おいしくないかについては、決して話しませんでした。
コルベ神父さまはそのように心がけることによって、ただでさえ地上的な物事に愛着してしまいやすいわたしたちの心に、何が本当に大切なのかということについて、教えようとされたのです。

カシアノさん6

コルベ神父さまは修道士一人ひとりを、まるで母親が本当のわが子を愛するように愛しておられました。わたしもそうしたコルベ神父の母性的な思いやりを受けた一人でした。

夕食が済んで、皆が休憩時間を楽しんでいる間も、わたしには洗濯の仕事が待っていました。時には皆が寝静まった後も、一人屋外で洗濯を続けることもありました。そんな時、もう休んでいるはずのコルベ神父さまが現れて、わたしのそばに座り、静かに神さまやマリアさま、聖家族のことなどを語ってくださり、仕事が終わるまで付き合ってくださったのです。

「天の御父と聖霊は、悪と罪に悩み苦しむこの世界を救おうと、けがれなき聖母をとおして御子イエスさまを下さいました。それは、マリアさまの全く自由な意志の承諾によって、実
現したのです。三位一体の神さまがそれほどまでにマリアさまに心奪われたのは、その心がただ神さまの愛だけで満たされるために、全くわがままの影さえない深いけんそんの中に浸されていたからです。そしてそのマリアさまから、最も非力な乳飲み子のお姿となって、イエスさまはお生まれになりました。全知全能の神であられる方が、罪以外すべてにおいてわたしたちと同じようになるために、ご自身のためにお父さんとお母さんを必要とされたのです。ここに、神さまの計り知れないへりくだりの神秘があります。イエスさまは、どれほど愛らしく、そして素直にご両親に従われたことでしょう。そして、どれほどの信頼と尊敬のまなざしをもって、マリアさまとヨゼフさまを見つめていたことでしょう」。(つづく)

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