聖フランシスコと味わう主日のみことば〈年間第15主日〉
イエスは、12人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた(マルコ6・7)
「キリスト者とは何者か」と問うとしたら、その答えは「イエス・キリストによって選ばれ、そのキリストを宣べ伝えるために、この世界に派遣されている者」だと言うことが出来るでしょう。今日の第一朗読の『アモスの預言』では、旧約時代のアモスという一人の人物が、神の言葉をイスラエルの民に語るように神から選ばれたと告白する場面が読まれますが、彼は本来、家畜を飼って、いちじく桑を栽培する、どこにでもいる普通の者にすぎませんでした。しかしそのような者を神は選び、預言者として世に遣わされるのです。
また、第二朗読の『使徒パウロのエフェソの教会への手紙』では、はっきりと次のように語られています。「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。神がその御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです」(1・3-6)。
わたしたちはこのように、神から、そしてイエス・キリストご自身から、「神の輝かしい恵みを世に伝えるために〈呼ばれている者〉」なのです。そう考えると、今日の福音の場面は、まさに、十二人の弟子達の物語をとおして、私たち自身に向かって語られていることだということが分かります。
アシジの聖フランシスコにとっても、今日の福音は、まさに回心して間もない彼自身の使命を明確に表わした箇所でした。
祝されたフランシスコは・・・ある日、ミサがささげられるなかで、キリストが宣教に派遣するにあたって弟子たちに語られた言葉、すなわち、金貨も銀貨も、財布も袋も、パンも杖も道中持ってはならず、履き物も二枚のトゥニカも持ってはならないと仰せになるのを聞きました。その後、司祭によってこれをはっきりと理解すると、言葉には表せない喜びに満たされて言いました。「これこそ、わたしが力を尽くして実行したいと願っていることです」。〈『三人の伴侶による伝記』〉※1
フランシスコは、キリストのこの言葉を、全く文字通りに受け取って、持っているすべてを手放します。
こうして、聞いたことをすべて記憶に焼きつけ、これを喜んで実行しようと努め、二枚あった〔衣服〕は迷いなく手放し、この時からは、杖も履き物も財布も袋も用いませんでした。〈『三人の伴侶による伝記』〉※2
確かに、フランシスコの生きた時代の社会や慣習の中で、福音を文字通り実行することが可能であったとしても、それをそのまま現代に生きるわたしたちにも当てはめ、模倣しようとしたところで、それは無理がありますし、また不自然で滑稽なことでしょう。しかし、ここでわたしたちが心に刻みたいのは、イエスの言葉の裏に込められたメッセージであり、それこそが、フランシスコ自身を突き動かした原動力でもあったということです。それが次の文章に表れていると思われます。
(フランシスコは)どのようにしたらこれを実際の行いで果たすことができるかと、心のすべての思いを新しい恵みの言葉に傾倒して、神に突き動かされて、福音的な完全さを告げ知らせる者となり、単純な言葉で人々に悔い改めを説き始めたのでした。〈『三人の伴侶による伝記』〉※3
つまり、フランシスコは、自分自身のすべてを尽くして、〈神の配慮〉に自分自身を任せたのです。〈神の配慮〉―。この言葉をキリスト教の世界では〈摂理〉とも呼びますが、神がわたしたち人間に対して持っておられるあらゆる計画は、神の無限の叡智と愛による〈神の配慮〉なのだと言えるでしょう。今日の福音で、イエスはこうした〈神の配慮〉に完全な信頼をもって自分自身を委ねることの必要性を、わたしたちに説いておられるのではないでしょうか。
わたしたちが神の使命を果たすために、前もっていろいろと計画を立て準備をすることは大切なことではあります。しかし、それが過剰な不安や心配を引き起こし、必要以上の安全や保証を担保しようと人間的な方法で画策するなら、それは〈神の配慮〉への不信、つまり、神のわたしたちに対する〈愛〉の完全性を否定することになるのです。しかしそれでは、わたしたちが召された目的である「神の輝かしい恵みをたたえること」にはならなくなってしまいます。
イエスは、二人ずつ組にして、弟子たちを世に派遣します。これは、キリストを宣べ伝えるということが、個人的な行為ではなく、共に働く仲間を必要としていることも示しています。フランシスコも、初めは一人でしたが、ともにキリストを宣べ伝える仲間と、神の計らいによって出会っていきました。わたしたちも、自分の計画によってではなく、〈神の配慮〉によって、共に神の国のために働くキリストの協力者と出会うことができるはずです。
※1『アシジの聖フランシスコ伝記資料集』フランシスコ会日本管区訳・監修、教文館、2015年、179-180頁。
※2同書、180頁。
※3同上。
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