お寺で生まれたカトリック修道者・活動修道会入会編
◇コンベンツアル聖フランシスコ修道会の神学生による「元観想会の修道者の召命」後編(2回シリーズ)です。
【5. コンベンツアル会入会】
「わたしはお前たちの墓を開く。我が民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」(『エゼキエル書』37:12-13)
ほぼ2年間、お世話になったT社の上司に「修道会に入る」ことを説明するのは難儀でした。「何それ?」「転職するの?給料いいの?」・・・「神父になる」と言ってみても、通じないようでしたので、「学校の先生になります」と翻訳すると、分かってくれました(苦笑)。
急な退社とはいえ、私が担当していた仕事は、無事フィリピン人の同僚に引き継ぐことが出来、さらに最後だから記録を更新しよう、とのネパール人同僚の後押しを受けて頑張った結果、それまで誰も到達したことのない「新記録」を打ち立てることも出来、「やった~!!!」「すごいじゃないですか、Fさん!!!」と、有終の美さえ飾ることも出来ました。素晴らしい同僚に恵まれましたこと、神に感謝です!!!
こうして、世間に戻ってから3年目の明け方、私は再び修道会の、それも「聖母の騎士」と呼ばれることもある本修道会の「軍門に降る」ことになりました(苦笑)。
奇しくも、夜行バスで東京に着いたのは「平成最後の日」、正式な入会日は「令和最初の日」となりました。なんとなく、「新しい風」が「背中を押してくれている」ように、勝手に感じています。
【6. 現在の状況】
入会後、早10カ月。観想会から出た後、しばらく世間にもいましたので、所謂「活動会」に慣れるのにそれ程時を要しませんでした。が、ひとつ指摘されたのは、「そんなにいちいち許可をもらいに来なくていい」ということでした(苦笑)。観想修道院(T社もでしたが)では、そんなに「許可」が必要だったのか、と改めて実感した次第です。
フランシスカンの特徴。それは、「自由さ」ではないでしょうか?聖フランシスコ自身、非常に「自由」な方でしたから、会員も自由で、初めはかなり戸惑いました(苦笑)。が、自然体で飾らず、「聖霊の導きのままに」「福音を生きる」とは、素晴らしい在り方だと思います。
スケジュールとしては、午前中は勉強や読書。午後は作業。時々、食事当番。その合間に「祈りの時間」があり、聖堂で過ごすことが再びできるようになったのは、やはり「大きな恵み」であり、「喜び」です。朝6時に帰ってきて「夕食」を作って休日は寝て過ごす必要がない、というのは、やっぱり有難いことです。これまでに経験した「学問」「研究」「スキル」「自炊歴」「聖歌歌唱法」「観想会での修道生活体験」等が、少しも無駄になることなく「活かす」ことができている、と感じています。
観想修道院では、「子供の相手」をする機会はほぼ「皆無」でしたので、「教会学校」や「フランキッズ(サマーキャンプ)」等で子供とどう関わったらいいのか。これも初めは戸惑いました。が、これもどうにか慣れたようで、最近は教会学校とその準備を楽しんでいます。
また、先の「教皇ミサ」に与ることが出来ましたことは、望外の喜びでした。しかも、共に寝起きしている先輩方4名が「侍者」として「パパ様のお傍で」奉仕する勇姿は実に誇らしく、感慨深いものがありました。(私はアリーナの一般席で、平和を享受しておりました。)
しかし、ここに来て、世界は「新型肺炎」をもたらす「新型コロナウィルス/COVID-19」の感染急拡大に震撼しています。「神が許可なさったからには、これもまた、御摂理のうち」なのでしょうが。「祈り」と「犠牲」以外に、「行動力」という「タラントン」を戴いた今、これを用いて、さらに増やすべく、「状況に応じて」「兄弟・隣人愛を実行に移す」のみです。
「塵にすぎないお前は塵に返る」(『創世記』3:19)その日まで。いつ死を迎えても、悔いのない生き方をしたいものです。
とは言え、これからどうなっていこうとも、聖母マリア様は共にいてくださいます。こんな時だからこそ、次の句を引用したいと思います。
「ああ、この世の流れの内では、地上を歩くよりは、むしろ大風か嵐の中で波の上を運ばれる自分を知るあなたたちの誰も、もし嵐で押し潰されるのを欲しないなら、この星のきらめきから目を離してはなりません。もし誘惑の風が起こるなら、もし苦難の岩にぶつかるなら、星に注目し、マリアを呼びなさい。もし傲慢や、野心や、そしりや、争いの波によってもて遊ばれるなら、星に注目し、マリアを呼びなさい。もし短気あるいは貪欲、あるいは肉の誘惑が心の小舟を揺り動かすなら、マリアに注目しなさい。もし罪の大きさによって悩まされ、良心の醜さによって恥じ入り、審判の恐ろしさに打ち砕かれ、悲しみの深淵、失望の奈落に飲み込まれそうになったら、マリアのことを考えなさい。危険において、災いにおいて、頼りにならない物事において、マリアのことを考えなさい。マリアを呼びなさい。そのみ名があなたの口から離れることがありませんように。心から離れることがありませんように。そしてその祈りの御助けをいただくために、彼女の生活の模範から離れることがありませんように。彼女に従うなら、あなたは道を外さず、彼女にお願いするなら、失望することはありません。彼女のことを考えるなら、あなたは迷いはしないのです。彼女が支えるなら、倒れることなく、彼女が守るなら、恐れることなく、彼女が導くなら、疲れることなく、彼女が好意を示すなら、目的地に到着するのです。」(クレルヴォーの聖ベルナルド)
この箇所を読まれて、コルベ神父様の姿を連想された方も多いのではないでしょうか。コルベ神父様は、挨拶の言葉として「マリア」と、聖母マリア様のお名前を口にすることを好んでいたようです。コルベ神父様は、「聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール」による『聖母マリアへのまことの信心』を精読されていらしたと聞きましたが、私たちが一日のはじめにまず唱えている『けがれなき聖母への奉献の祈り』や『(聖母の騎士会の)毎日の奉献の祈り』などは、モンフォール師の『聖母マリアへの奉献の祈り』とほとんど同じ内容ですから、感化されていたはずです。そして、モンフォール師はシト-会の福者ゲリックからインスピレーションを受けたと言われ、福者ゲリックは、聖ベルナルドに抜擢されてシト-入りした元神学校長です。実はシト-会とコルベ神父様は、霊的に繋がっていたのでした。「霊性が近い」と感じて、私は「コンベンツアル会」を選びました。
そんなこんなで、「令和」と共に「再出発」し始めた私のためにも、お祈り頂ければ幸いです。「新型コロナウィルス」を「過ぎ越す」ことができるよう、共に祈りましょう!