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コルベ神父『母への手紙』04 母の修道院入り1(18歳)

聖コルベ神父が18歳から死の直前まで母マリア・ドンブロスカへ綴った手紙。
聖母の騎士社刊『母への手紙』より

1912年(大正元年)から1917年(大正6年)まで
18歳から23歳までのプロフィール
●18歳-ローマ・グレゴリアン大学へ留学
●20歳-父・ユリオ・コルベがロシア軍から殺害される。享年43歳
●21歳-グレゴリアン大学より哲学博士号を受ける
●23歳-同士六人で聖母の騎士信心会を創立

愛するお母さま

お母さまの手紙と、ヨゼフ(弟)のはがきを受け取りました。心からお礼を申しあげます。

例の件についてですが、手続きを始めていいという許可をいただきましたのでお知らせします。ぼくは、ドミニコ・タバニ校長に、お母さまが、許可が出るかどうか心配しているということまでお話ししたのですよ!

校長は、ぼくを安心させて下さいました。そればかりか、セラフィノ・マイケル神父のところへ行かせて下さったのです。というより、校長ご自身が、そう指示して下さったというべきでしょう。それで、今日、セラフィノ師のところへ行ってきました。彼は、お母さまがアシジに行きたいのなら、問題はないといって下さいました。言葉についても、ドイツ人のシスターたちがいるので、なんとかなるだろうとのことです。

しかしお母さま、ぼくがこの件を進める前に、司教様の前で公式に、お父さまの承諾を得なければなりませんよ。司教様は問題なくお許しになるでしょう。しかしすべては、司教様の一存にかかっています。

後は、お母さま自身で、シスターになられるか、ルヴォフのコンベンツアル聖フランシスコ会のもとに身を寄せられるか、お決めになることになります。お母さまが、もしお望みなら、直接、ペレグリノ・ハクツェラ管区長さまにお問い合わせになることも、おできになるのですよ。

すべてが承認されたら、セラフィノ師は、アシジのフランシスカン・シスターをよく知っている友人に一筆してあげようと、約束して下さいました。そうなれば、ぼくが前の手紙で書いた問題点は解消することになります。

新しいニュースとしては、木曜日に、教皇ピオ十世に謁見を賜りました。すばらしい謁見で、しかも異例のものでした。普通は、祝福だけで終わるのですが、ぼくらの場合は、教皇様の御手の接吻に始まり、最後には、校長の挨拶、それに対する教皇様のご返事があったのです。それでパパ様(教皇)の祝福を、お母さまとヨゼフに贈ります。なぜって、その祝福は親族一同にも下さったのですから。お父さまに手紙をお書きになるときは、パパ様の祝福をお父さまにも、バレリアノにも伝えますと、お知らせください。

修道会の保護枢機卿であるメルリ・バル枢機卿にも、ぼくたちはお目にかかりました。

お祈りをお願いします。

フラ・マキシミリアノ

コンベンツアル聖フランシスコ修道会関町修学院サイトでも続きをご覧いただけます。

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