神学生の創作絵本「カシアノさんのおくりもの」第三回(5回シリーズ)
ポーランドから来日し、おもに炊事場で働いたカシアノ修道士の物語
ところで、修道者にとって最も重要な徳として、たびたびコルベ神父さまがわたしたちに語られたのが、「従順」についてでした。コルベ神父さま自身、会則や会憲、また上長に対する従順の極めてすぐれた模範を示していました。
「わたしたちは何のために修道会に入ったのでしょうか― それは、従順によって聖人になるためです。従順によっていっさいの務めを果たすと、聖母マリアさまに喜ばれます。なぜならそのとき、わたしたちは自分自身のわがままではなく、聖母のみ旨を行うからです。そして、聖母のみ旨は寸分たがわず三位一体の神さまのみ旨と一致しています。わたしたちが上長に従うのは彼が学者であるからとか、賢明であるからとか、人格的に優れているからとかその他いろいろな人間的に思いつく理由からではありません。ただ、その命令に従順であることが神さまの、聖母マリアさまのお望みだからです。もちろん、上長も人間ですから間違うこともあり得ます。しかし、目下の者はそれが明らかな罪とならない限り、従うことで誤ることはないのです。そして、神さまのお望みを行う以上に、この世で完全なものはありません。
しかし、神さまはわたしたちを、強制的に何が何でもご自分に従わせようとはなさいません。神さまはわたしたちの自由な意志をとても大切に重んじていらっしゃるので、わたしたちが自ら進んでわがままを捨て、喜んで成聖を追求するのでなければ、誰も聖人になることはできないのです」。
清貧を守ることについても、コルベ神父さまは師父聖フランシスコの真実の息子でありました。神父さまは食事や建物などの貧しさとともに、服装の清貧を大切に考えていました。
あるとき次のようなことがありました。コルベ神父さまは、普段とても古い修道服を着ていらっしゃいました。わたしは新しい修道服を作るよう人に頼んで、それを神父さまのところへ持っていくことにしました。しかし、神父さまはそれを受けようとはされませんでした。そこでわたしは、神父さまが昼寝をしている間に静かにその部屋に入り、古い服の代わりに新しいものを置いてきたのです。神父さまは浅い眠りでしたが目覚めませんでした。
わたしはどうなることかと恐れましたが、神父さまは一言も言わずに、新しいものを身につけてくださいました。神父さまがはじめに受け取らなかったのは、自分だけがそうした新しい服をもらうことは、兄弟間の平等に反すると考えられたからでしょう。
わたしは神父さまの口から食事や衣服、靴など日常の必需品について、個人的な好みや望みを聞いたことは一度もありませんでした。受けたものでいつも満足して、人よりもよく扱われることを避け、皆が同じものを使っていることを確かめてから自分のものを受け取っていました。
このように、コルベ神父さまの清貧は、ただ形だけの貧しさにこだわるというのではなく、自分自身に厳しくあることと、兄弟たちへの細やかな配慮があっての徳でした。
「一緒に病院へいきましょうか」。
わたしは炊事や洗濯の仕事の他に病人係でもあったので、しばしばコルベ神父さまに誘われて病院へ付き添いました。神父さまは足やすね、首やお腹などに出来た奇妙な腫れ物に、たびたび苦しまれていたのです。
病院は修道院から一キロ先にありました。市電に乗れば、あっという間に着く距離なのですが、コルベ神父さまは市電には乗ろうとされませんでした。 「歩きましょう。浮いたお金は『聖母の騎士』の雑誌の発行のために使いましょう」。
わずか三銭の電車賃ですが、神父さまにとって、それは大切なお金でした。コルベ神父さまは常々おっしゃっていました。「わたしは人々の霊魂の救いが欲しいのです。兄弟たちはマリアさまのためにだけ働いてください」。
コルベ神父さまには、「愛は犠牲によって養われる」という強い信念がありました。
「イエスさまの生涯、マリアさまの生涯を見てください。それは試練と苦しみの連続でした。いばらに取り囲まれた十字架の道でした。しかし、それは何のためでしょうか。それはわたしたちの永遠の救いのためでした。『イエスさまは自分の喜びを求められなかった』という聖書の言葉を覚えていてください。修道者は自らの意志をもってその御足跡に従う約束を、神さまと交わしたのですから」。(つづく)