剣術家の流麗な行書碑。病気平癒の力を持った人の話。かわいいきつねもいます。〜谷古宇稲荷神社
こんにちは。子峰です。
今回は谷古宇稲荷神社に参拝しました。
神社の由来は次のとおりです。
手前には水盆と橋梁の完成紀念碑がありました。寛延二年の手水舎があると由来にありましたが、見逃したようです。
それでも、明治時代の手水舎がありました。字も立派です。
さて、拝殿に向かって参拝して上を見上げたら良い額がありました。
メインはここからです。
社額は割れてしまっていますが、萩原秋巌の手になる隷書額です。巻菱湖の弟子に当たる人で、その四天王の中でも「書は秋巌」と言われたほどの人物です。
曹全碑の影響がみられる書風です。
木製の額縁も稲っぽいものが彫ってあるのが確認できます。
さて、拝殿で秋巌の額を拝んだ後、周りを見渡してみると隣接しているポツンと植物に囲まれながらも建っている碑が目に入りました。
正面に大きく「御嶽山岩戸神社」と隷書で書かれたこちらの碑です。
御嶽山信仰についての碑です。
左側に「桑林中山壽書」(中山桑林)と刻まれています。
碑陰の文字も同じく、中山桑林氏の字です。一見して達者な字です。
王道な書き振りですね。流麗な線で形の取り方もとても勉強になります。
中山桑林氏は上記のような人物です。
当時は剣術家として名を馳せていたようで、川口市内を問わず、草加市内にも影響力が大きく、多くの碑を残しているようです。
巻菱湖の弟子との交流も持ち、その書にもかなりその影響が表れています。
さて、碑陰本文をみていきましょう。
御嶽山の御神力の高さを記した文になっています。田中栄山氏の詳細は不明でした。
最後にもうひとつ。歌碑がありましたのでご紹介。谷松亭東海という人物の手になる碑です。
どうも和歌は解りにくくて苦手ですが、Bard訳によると以上のような訳になるようです。
谷松亭東海氏については詳しくは不明です。
碑の成立年代は不明ですが、立碑した人物が明治42年に編纂された資料に名前がありました。
和歌の意味を考えると御嶽山岩戸神社碑の内容を受けて作られたものとも考えられる気がします。
最後に狛犬代わりのきつねが珍しいかったので、ご紹介。
向かって右が父親、左側が母とその子でしょうか?
アクセス
谷古宇稲荷神社
〒340-0012 埼玉県草加市神明2丁目2
これから先に御嶽山岩戸神社碑の碑陰をまとめてPDFにしています。画像はやや粗いですが、上のファイルでご確認下さい。
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