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剣術家の流麗な行書碑。病気平癒の力を持った人の話。かわいいきつねもいます。〜谷古宇稲荷神社

割引あり

こんにちは。子峰です。
今回は谷古宇稲荷神社に参拝しました。

入り組んだ住宅地にありました。

神社の由来は次のとおりです。

 当社は『新編武蔵風土記稿』の谷古宇村に、「稲荷社、村の鎮守なり、南草加村東福寺持」と、また『武蔵国郡村誌』には「稲荷社 平社 社地竪廿間横十五間面積三百坪、村の東南にあり、倉稲魂命を祭る、祭日二月初午」と記されております。
 創立年月は不詳ですが十七世紀に遡ることは間違いなかろうといわれ、境内石造物では手水石に寛延二年(1749)二月奉献と刻まれています。社前にある眷属の台座には、草加宿商家の屋号と女性の名前、文久二年(1862)二月奉納と刻まれており、多くの人々の信仰をあつめたことがうかがえます。
 平成十三年十二月、草加宿七福神の福禄寿を祭りました。
 平成二十一年十月吉日

境内由来書より
稲荷紋の水盆
明治25年、石工は青木宗次
草加町第12区耕作橋梁八カ所完成紀年碑

手前には水盆と橋梁の完成紀念碑がありました。寛延二年の手水舎があると由来にありましたが、見逃したようです。

それでも、明治時代の手水舎がありました。字も立派です。

さて、拝殿に向かって参拝して上を見上げたら良い額がありました。
メインはここからです。

社額 萩原秋巌書

社額は割れてしまっていますが、萩原秋巌の手になる隷書額です。巻菱湖の弟子に当たる人で、その四天王の中でも「書は秋巌」と言われたほどの人物です。
曹全碑の影響がみられる書風です。

木製の額縁も稲っぽいものが彫ってあるのが確認できます。

さて、拝殿で秋巌の額を拝んだ後、周りを見渡してみると隣接しているポツンと植物に囲まれながらも建っている碑が目に入りました。

正面に大きく「御嶽山岩戸神社」と隷書で書かれたこちらの碑です。
御嶽山信仰についての碑です。

左側に「桑林中山壽書」(中山桑林)と刻まれています。

碑陰の文字も同じく、中山桑林氏の字です。一見して達者な字です。
王道な書き振りですね。流麗な線で形の取り方もとても勉強になります。

中山桑林(1820〜1885) 幕末維新期の剣術家。 本名は中山幾之進。川口市安行において柳剛流中山派の道場を設ける。その影響力は川口市にとどまらず、草加市内にも同流の道場が建てられた。書は初め、江戸の御家流を学び、巻菱湖の弟子、萩原秋巌との交流もあったようである。 川口市を中心に多くの筆跡を残している。 

参考:川口大百科事典より

中山桑林氏は上記のような人物です。
当時は剣術家として名を馳せていたようで、川口市内を問わず、草加市内にも影響力が大きく、多くの碑を残しているようです。
巻菱湖の弟子との交流も持ち、その書にもかなりその影響が表れています。

さて、碑陰本文をみていきましょう。

大先達田中栄山武蔵足立郡原邨人始其妻頗多病治療雖尽手無験焉一日発大志願虔祷御嶽三社已及三七日忽夢蒙神告其妻疢疴頓愈先達感涙銘于肝以為有苦行不済衆之理乎於是水業益厳也頃之遠近来乞祈念諸病立愈災転為福故受利益者日々夥於茲闔郷雖貴賤貧富無不敬者因帰依之招移谷古宇邨家焉講中已不下数百千人登山三十三度以表報恩志云明治十一年三月罹重疾千六日卒享齢六十九嗣子吉明与其講徒相謀将建于碑境内記其内碑陰欲貽諸後世請余文余追欽先達之為人亦入講社厚信仰三社奉教謹述鄙言其講社嘉有益于世云爾明治十三庚辰年三月桑林中山寿撰并書

碑陰より

 大先輩である田中栄山は武蔵足立郡原村の人である。始めその妻がすこぶる病気に罹り、治療するも尽くす手が無かった。そこで、ある日敬虔な気持ちで御嶽山の三社に参拝する大志を抱き発願し、すでに37日が経った。忽然と夢に神が妻の重い病気を代わって受けるというお告げがあり、たちどころに良くなった。先輩は涙し、周囲の人は皆、苦行を称えた。
 先達はこの行いによって人々を助けたいと行を益々厳しくして行った。この頃より遠近問わず病気を治して欲しいと祈念に来る人は貴賤貧富、不敬者も問わず帰依した。谷古宇村の家に場所を移し、講はすでに数百数千は下らなかった。登山33度をもって報恩を伝えた。明治11年3月重い病気に罹り、1006日後亡くなった。齢69歳であった。子供である吉明とその講の人々で境内に碑を建て、碑陰には後世に先達の偉業を伝える。また、講中の厚い三社信仰の教えを伝え、いよいよ益がありますように。明治13年桑林中山寿撰并書す。

拙訳

御嶽山の御神力の高さを記した文になっています。田中栄山氏の詳細は不明でした。

最後にもうひとつ。歌碑がありましたのでご紹介。谷松亭東海という人物の手になる碑です。

奉献
願ふ事
みなうけ持の
神のみや
志るしは
ありのはさみなりと□
谷松亭東海敬□

碑文本文

願う事みな受け持つ神の御旨は、ありのままの私たちであるということ。

Bard訳

どうも和歌は解りにくくて苦手ですが、Bard訳によると以上のような訳になるようです。

谷松亭東海氏については詳しくは不明です。

碑の成立年代は不明ですが、立碑した人物が明治42年に編纂された資料に名前がありました。
和歌の意味を考えると御嶽山岩戸神社碑の内容を受けて作られたものとも考えられる気がします。

狛犬代わりにかわいいきつね。
左側は親子連れ

最後に狛犬代わりのきつねが珍しいかったので、ご紹介。
向かって右が父親、左側が母とその子でしょうか?

アクセス
谷古宇稲荷神社
〒340-0012 埼玉県草加市神明2丁目2

これから先に御嶽山岩戸神社碑の碑陰をまとめてPDFにしています。画像はやや粗いですが、上のファイルでご確認下さい。
もし、ご興味ある方、応援して下さる方いらしましたらご購入くださると嬉しいです。

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