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奇石を愛した医師の碑 〜加藤霞石

霞石翁は、石に対して並外れた情熱を持っていた。それは単なる収集趣味ではなく、石一つ一つに宿る自然の力、そしてそこに映し出される宇宙の神秘を深く探求する学問的な探求心であった。

石を単なる物体と捉えることはなかった。それぞれの石に個性があり、物語があると信じていた。例えば、縞模様の入った石を「虎の目石」と名付け、虎が森の中を駆け巡る姿を想像したり、丸くて光沢のある石を「月夜石」と名付け、静かな夜空に浮かぶ月を連想したりした。師は、石を通して自然と対話し、宇宙の神秘を探求していたのだ。

その書斎は、まさに石の宝庫であった。日本各地から集められた様々な種類の奇石が、まるで宝石箱のように並べられていた。師は、それぞれの石の特徴を丁寧に説明し、その美しさを私に教えてくれた。特に、赤城山産の霞石は、師の愛着が人一倍感じられた。霞石の持つ独特の光沢と、その繊細な模様は、師の心を癒し、安らぎを与えていた。

石に関する知識だけでなく、儒学、仏教、道教など、幅広い学問に通じていた。師の書斎には、古今東西の書物がぎっしり並べられ、私はそれらの本を読みあさり、師に様々な質問をした。師は、私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれ、私に学ぶことの楽しさを教えてくれた。

また、多くの学者たちと交流をもち、経学の大家である錦城鵬齊、性理学の巨匠である一齋、詩歌の名人である随齊など、そうそうたる顔ぶれが師の書斎を訪れた。彼らは、互いの学問について議論を交わし、刺激し合い、新しい知識を生み出していた。

私は師の友人たちとの会話から、多くのことを学んだ。彼らは、それぞれの分野で卓越した能力を持っていたが、同時に謙虚で、互いを尊重し合っていた。師もまた、彼らに対して深い敬意を抱いており、常に学びの姿勢を忘れることはなかった。

師は、石だけでなく、人との繋がりも大切にしていた。彼は、人々の心の奥底にあるものを理解しようとし、常に温かいまなざしで人々を見つめていた。師の優しさに触れ、私は人間として成長することができた。

師は、晩年、静かに余生を過ごした。しかし、その心は決して老いることはなかった。師は、最後まで石を愛し、学問を追求し続けた。師の残した教えは、私の心に深く刻まれ、これからも私の生き方の一つの指針となるだろう。

以上、加藤霞石が求めた石に関してGeminiで小説風(かなりフィクションはいっているようです。)にまとめてもらった。また、簡単に碑文の要約もかねている。

ちなみに加藤霞石、本職は医師です。現在の医師もそうですが、どの世代の人たちも頭のいい方々はちがうなあと思ってしまいます。

その著『品石風雅』に「余かつて一奇石を里中の豫山に獲、其の形の似たるを以て、命じて小豫山という、古風一編を賦し以てこれを記す。」
などと書かれています。

川田甕江が撰文しているが、末尾に漢文で霞石翁の人生観をまとめている。

他人為之 豫凶非礼 我為吾謀 敦謂失対 展如之人 遊心無何 死也不哭 生也不歌 造物為徒 脩短委命 不俟蓋棺 千秋事定 瞻彼南山 松柏蒼々 歲寒後凋 維翁寿藏

碑文より

他人があれこれ批判することではない。自分のことを考え厚く交わるべき相手を見失っているのではないか。
のびやかで、心をどこにも拘束せず、自由に遊べないことは、 死んでも泣かず、生きて歌わないことだ。
造物主はいたづらに作り、寿命の長短は天命に任せる。 棺を閉めるまで待つことなく、千年の後にはすべてが決まる。
南山を見れば、松や柏は青々としていても、年の瀬に凋落する。対して翁の名声は長寿を保つだろう。

川田は霞石翁の石の愛し方に対して「形醜にしてこれを美といい、性頑にしてこれを霊といい」などと述べている。

霞石翁老而瞿鑠嘗過余請銘其生壙適上國邸報至余投筆赴難翁避乱鄉里不相見一年或有訛傳余死者翁歎曰毅鄉亡矣誰使吾不朽及聞余還東京則大喜曰毅卿在焉吾死且不朽即日治装遠來自房之鄙申前請吁翁芝眉鶴
髪寿康可徵則掩幽之文未宜豫求況謭劣如余者不足以取信於後世雖然長者所命余何敢辞翁姓加藤名濟字世美号霞石房州平久里人生有至性九歲喪母衷毀如成人及長事父以孝聞嘗謂許止不嘗薬獲罪麟經人子不可不講仁術乃折節為医而特愛文墨能詩及行草書天保中負笈遠訪逸雲鐵翁諸老於鎮西還執贄於佐藤若山両先生門後應長嶋侯聘移居江戶当是時徳川氏覇業未衰江戶号為文物之域経義則錦城鵬齊侗庵善庵性理則一齋勿堂訥庵文章則慊堂良齋天山宕陰詩則隨齊詩佛星岩佗如米庵菱湖之於書靄崖椿山之於画蓋彬彬乎皆一時之選也而翁周旋其間唱和徵逐率無虛日又有米癖嘗携其所愛赤城霞者遍求題詠輯為一冊名曰品石風雅観者伝称声譽頗顯既而王室中興革覇府為東京然戡乱之余瘡痍未復荒園廃邸荆棘生焉狐兎游焉而曩時諸彥先後调謝不熬遺一老於是翁意愴然不欲復与後生才俊争壇沾(土編)遂致仕帰守桑梓今兹庚午行年六十有九矣自賦臨終詞併予銘以刻石嗚呼古之人有自作輓詩募和於四方者非不達也然彼沾々自喜不免衒才駭俗今翁之所為異乎此則又加古人者一等矣翁娶內木氏生四男三女性澹泊無他嗜好刀圭余暇処梧嘯詠臨古法帖而世間寵辱毀譽一切置諸度外客或問時務輒掉頭不答獨至論芸苑盛衰則俯仰感慨声涙並下猶上陽宮人說開元旧事嗚呼余不知其何故也銘日
他人為之 豫凶非礼 我為吾謀 敦謂失対 展如之人 遊心無何 死也不哭 生也不歌 造物為徒 脩短委命 不俟蓋棺 千秋事定 瞻彼南山 松柏蒼々 歲寒後凋 維翁寿藏

本文

本文の字は江戸を代表する書家関雪江によって書かれた。

摩滅がはげしく、読みづらいです。

参考文献
久門正雄 著『石の鑑賞』,理想社,1954. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2471143 (参照 2025-01-09)

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子峯/石碑巡遊
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