今回も佐渡の諏方神社にある碑についてです。今回で最後。
最後に碑文全文を載せていますので、興味ある方はご覧下さい。
前回までの投稿はこちら
この神社には碑が2基あり、どちらも明治の大家、日下部鳴鶴の書です。
『佐渡碑文集』によると、元々は別のところにあった碑であるそうです。
今回は「溟北先生之碑」です。
篆額・本文ともに日下部鳴鶴の書です。
鳴鶴風のやや平べったい結構で、起筆を鋭く立ててするどい筆致で書かれています。
かの有名な大久保公神道碑よりも10年近く前の作品。
唐代風楷書の影響が色濃く出ています。
では、碑文をみていきましょう。
全部で25行もある大作です。1行約39字なので、単純計算約975字になります。
原稿用紙2枚半程度の文章を考えるのも大変ですが、その文章を一定の調子で書き上げるのは並の集中力ではないですね。
碑文を探したところ、『佐渡碑文集』に記録が残っていましたが、異同が多く、特に19行目に当たる「骨議建碑湊町妙法寺寺其先塋所在溟北常愛其勝景因卜此地云」は『佐渡碑文集』に記載がありませんでした。
それを踏まえた上で上の碑文は整理しています。
本文があまりに長いので、要約すると次のようになります。
溟北先生は亀田綾瀬にも師事し、東(東京のこと?)で活躍することを望んでいたが、佐渡に帰っていた溟北に対して藤木子秀なる人物が
「あなたが東に行きたいと望んでいることは、私は知っています。あなたの志はそこにあります。しかし、先の業を捨てて他のことに取り組むことは、どうでしょうか。鼎俎の養(高級な食事)は、菽水(粗末な食事)と比べて、どちらが美味しいでしょうか。親の慈愛に背いて、不満を抱くのは、喜ぶべきことではないでしょうか。」
と言って引き留めたようです。
そのおかげで学校ができ、多くの文人を輩出に繋がりました。
溟北先生が著した本に『大学夷考』・『四書標異』・『衡泌録』・『溟北文稿』等があり、国立国会図書館のデジタルコレクションでは『大学夷考』と『溟北文稿』が確認取れています。
以下は全文です。撮りにくい場所だったので、やや見ずらいですが、ご了承下さい。興味ある方はご覧下さい。
最後までご覧下さりありがとうございました。
参考文献
『佐渡碑文集』山本静古
山本修之助 編『佐渡叢書』第12巻,佐渡叢書刊行会,1978.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9540897 (参照 2024-01-21)より