こんにちは、今回は蒲生にある久伊豆神社に参拝してきました。
まず、その歴史から。
創建年代は詳しくわかっていないようですが、古くは南北朝末期創建と伝えられているかなり古い神社のようです。
全部で七社を合祀した神社であるとの記載もありました。
それにしても、土地の名前ははガマが生えるからであったとか、きゅうりを作ったり食べたりしなかったと面白いことも書いてありますね。
境内にはいくつかの碑があります。どれも、各地の有名神社を参拝してきたことを記したもののようです。
上の画像は伊勢神宮を参拝した記念のもの。大正7年の碑。
寄付者は浅見直之助。碑陰に和歌を残しています。
と書いてあるようです。訳はなんとなくです。ここによれば浅見直之助氏60歳の時の句のようです。石碑の性質からして、この碑はどちらも氏の字であると思われます。
変体仮名も多く利用して書かれています。きっちりした書かれ方です。
参道手前にはこのような碑がありました。
こちらは堂々とした文字。迫力ありますね。
以上のように碑陰には記載されていました。
「和道真道」という言葉の意味も示されています。
碑陰の文字は石が硬いからなのか、ひっかき傷のような彫りで字が読みにくくなっています。
作者の清村金一郎氏の詳細は不明。内容からして地元の人であったのでしょう。
拝殿脇に二碑、巡拝紀念碑がならんでいました。まずは、こちら。
そうそうたる神社仏閣へ参拝しているようです。
発願主は浅井由蔵。建立者は浅井春吉。筆者は三覚院光隆。石工は田中民次郎。昭和四年五月建立とあります。
筆者の詳細は不明です。
今回の一番の収穫はこの碑でした。
がむしゃらに石碑を探しあるいてこういうのを見つけるとテンション上がります。
碑陽は中林梧竹の手になります。明治を代表する書家の一人です。
ただ、どうにも落款の「中林隆経書」が浮いて見えるんですよね。ここだけ後から別の人が彫り足したのか、はたまた実は集字によるものなのか。
「鎮国之山」を書いた時よりも新しいもののはずなので、疑問が残ります。
その為か、『近世・近代の著名書家による石碑集成』にも掲載されていませんでした。作品には偽物も結構あると噂の人ですから、もしかしたらと思ってしまいます。
ちなみに、それでも私のアイコンはこの碑からとってます。笑
碑陰には以下のように書いてあります。
碑陰の字はおそらく大熊治右衛門氏のものだと思います。
大熊治右衛門は文中にもあるように明治26年に高野山にて得度し、覚法英範という号を頂いています。
また、三郡の「おくり大師」という巡礼行事もこの人が中心となって始められたそうです。
この前に掲載している巡拝紀念碑はこの碑の影響を受けて建てたものでしょう。明治になり、いろんな場所に庶民が行きやすくなったと『越谷市史』には書いてありましたが、その点、現代らしい良い時代になって来ていたんだなと実感できます。
アクセス
久伊豆神社
〒343-0838 埼玉県越谷市蒲生1丁目10
参考文献
『越谷市史 第2巻 (通史 下)』p427/428