
毛筆不要論者も納得?実用書を芸術の高みへと目指した人物の碑〜鵞堂小野先生之碑
鶴谷八幡宮にある石碑をみていきます。
一つ目として鵞堂小野先生之碑
全体像

碑額〜中橋徳五郎

碑額は中橋徳五郎氏による。
実業家から政界に入った人物。
大正8年には文部大臣を務め
「毛筆は20年来の遺物である。現今の活社会において我々が毛筆をなめているようでは日本の文化は進歩するものではない。」
と毛筆廃止論を唱えた人物として有名。
それによって、書道界からの反発を買ったが、逆に硬筆の立場が急浮上する契機となったという。現代の子どもたちにとったらここで毛筆が廃止されたほうがよかったかも??笑
さて、碑学の字は篆書であるが、『加賀能登の書 : 郷土著名人の筆跡』にその行書が載っている。それは、風通しがよく、剛毅な線である。
こうしてみると、とても「毛筆不要論」を唱えた人とは思いにくい。
だが、そんな人物でも「毛筆は古い」と唱えたくなるような風潮が当時にあったことが見えてくる。今でこそ大正ロマンという、いわゆる欧米風をところどころに取り込もうとする風潮は、思っているよりも、強く当時の人々にはのしかかったのかもしれない。
碑文〜中村春堂

本文は漢字かな混じりの文章で書かれている。
この書は中村春堂氏の書。この碑の主人公、小野鵞堂先生の弟子にあたる。
『仮名かきふり』などで中村春堂氏の手習をみることができる。


こうしてみると行書のタッチにうまく仮名文字を調和させて書いているとわかる。
「実用即芸術」と唱えた師、小野鵞堂先生の主張を体現するかのような誰がみても美しく、かつ読みやすいという領域の字で碑文が綴られている。
碑の内容 全文と要約
門人故旧及斯華会員等相謀り小野先生の碑を此処に建て々其の偉績を長久に伝へ、且子慕の情を致さむとす。先生名は鐗之助字は間金鷺堂と号し家を斯華の家域は二柳居と称す。文久二年二月十二日藤枝に生る父成命母二宮氏家世々本多候に仕ふ。
明治三年藩領の移さる々に遇ひ父母に随ひて北條に来り住む六年父君を表ひ幾許もなく母堂の指館に遭ひ志を立て々上京し具に難苦を甞め日夜研精怠らす、成瀬大域の門に在りて国漢の学を修むること二年大蔵省に出仕し後退いて日本新聞社に入り又旁ら書道を教授す。二十三年百人一首骨牌を謹書し時の皇后宮に奉献して采納せられ翌年華族女学校に教鞭を執る是より益々書道に精進して名声早く喧焃たり職を東宮職御用掛女子学習院教授に奉し、東宮妃殿下御二方を始め諸宮家姫君の御指導を奉仕せるが如き他に例なき所とす。此の間又日本女子大学校実践女学校日本女学校英和女学校等に薫陶を施こし及門の士女亦五千を算ふ。三十六年斯華会を起こし今に至りて会員の数十七萬に上る先生の精到なる仮名は上代を極めて新軌を出し、漢字は晋唐に逼まるも国風を失はす和漢の書法を推敲して書道教授に於て一隻眼を具ふ夙に漢字と仮名との諧和に志して雅俗両用の発達を期せり各体法書の外別に書翰文例三十数種を公刊したるは其の抱負を窺ふに足る。師承なくして本朝書道を卓立し能く一世の規範を樹て世間をして向ふ処を知らしむ宜なるかな鵞堂流の名都鄙に洽きや功労を以て位は正五位に上り勲は四(五)等に至る。大正十一年十二月六日病みて終に東京神田の自邸に逝く。道の為め惜みても尚余りあり質性寛厚篤実容貌偉麗人敬重せさるなし佐久間氏千鶴子を娶り子女十一人あり四男成彦成鵞と号す。家を継ぎて現に斯華会長たり先生在時此の地の明媚を愛し好んて杖を引き吟詠亦少からす加ふるに旧宅址と先塋との相近きを以てす在天の霊夫れ或は髣髴として徂徠し長く斯道を佑護せられむことを思ふものなり。
昭和九年十一月建
從四位勲四等工藤壯平撰文 春堂中村梅太郎 謹書
東京青山 石勝鐫
要約すると
・文久2年(1862年)に駿河国(現在の静岡県)に生まれ、本多家に仕える家系だった。
・成瀬大域に師事し国漢の学を修め、大蔵省、日本新聞社などに勤務の傍ら書を教えた。
・皇后宮に百人一首カルタを献上して以後、本格的に書教授の世界へ。東宮妃殿下御二方を始め諸宮家姫君の御指導に奉仕など。
※ここでいう百人一首は「明倫歌集」を指す。
・書風:独自の書風を確立し、特に仮名書道では上代を極め、漢字書道においても晋唐の書風にうまく日本風をアレンジし、独自のスタイルを確立。
・斯華会: 書道団体「斯華会」を創立し、多くの門下生を育成。
・性格は温厚篤実で、容貌も優れていたため、多くの人から尊敬された。
このようなことが書かれている。
一世を風靡したその影響力は凄まじく、手本類の刊行は140冊に及んだという。碑にはその人物像について詳しく書かれている。
なお、出生地も没した地もこの鶴谷八幡宮周辺との関連性は無いようだが、ここに碑が立っている理由については神社の宮司に聞いても分からなかった。
碑の建立地と人物とは概ね関係が強いケースがほとんどだから、何かしら関係性があったとおもうので、不思議である。
撰文〜工藤壯平

撰文は工藤壯平氏が担当。
書は小野鵞堂に学んだとある。
撰文も本文も小野鵞堂門下が手がけた碑である。
小野鵞堂先生の刊行物

上段には源氏物語の54帖の歌や家紋などちょっとした豆知識も並ぶ。

タイトル通り、楷書・行書・草書での手紙文が書かれている。どの書体も善くし、かつ、漢字かな交じりの文章で示している
先にも書いたが、小野先生の手本類の刊行は140冊に及ぶという。
実用書の美しさをもって一世を風靡した人物らしく、手紙文の刊行物が目立つ。
草書や変体仮名を用いてはいるが、漢字と仮名を混ぜた当時の日本人が読みやすい文章を書いている点はとても参考になる。
斯華会について
斯華会は現代でも続いている。
書道団体は創設者の意志を継いでいくスタイルなので、こんな字が書きたいと思ったら覗いてみるのもいいかもしれません。
※私は団体に所属していないので、外野から話しています。
全体公開
この碑の全体を公開しています。
字をきれいになりたいと思う方は手始めに覗いてみても面白いとおもいます。
気に入った方はぜひ支援をお願いいたします。今後の励みになります!
参考文献
・石橋啓十郎 著『教育書道の理論と実際』,東洋図書,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1144968 (参照 2024-11-18)
・高畠鳳外 編『加賀能登の書 : 郷土著名人の筆跡』,北国出版社,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12428314 (参照 2024-11-18)
・中村春堂 書・編『仮名かきふり』,辰文館,大正1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/917832 (参照 2024-11-18)
・中村春堂 著『行書真率銘』,寒香会,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1103730 (参照 2024-11-18)
・『書道辞典』 飯島春敬 編 東京堂出版
・大倉保五郎 編 ほか『女子手紙の文』,大倉書店,明33.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/866811 (参照 2024-11-27)
・小野鵞堂 編書『三體習字と手紙 : 真行草』,斯華会出版部,1937.4(第70版). 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1899475 (参照 2024-11-27)
・幕末尊皇秘史展覧会 編『維新朝臣遺墨集』,巧芸社,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143517 (参照 2024-11-27)
いいなと思ったら応援しよう!
