海と陸、二人の将軍が書いた碑。軍人らしい実直さが光る。
舞台は現在の中国東北部、ここで二つの大国、日本とロシアが激突。
日本: 明治維新で近代化を成し遂げ、アジアの新しい強国として台頭。
ロシア: 広大な領土を持つ大国。南下政策を進め、極東への進出を狙う。
満州は、この二つの国の利害が衝突する場所。「満州の支配権を巡る争い」が勃発した。
日清戦争(1894-1895年)で清国に勝利した日本は、遼東半島などを獲得したが、ロシアなどの三国干渉により遼東半島を清国に返還せざるをえなかった。その後、ロシアは満州への影響力を強め、日本はこれに危機感を抱く。「このままでは日本の安全が危ない!」と考えた日本は、ロシアと交渉を重ねるが、平行線。そして、戦争へと傾いていった。
戦争の行方は?
小国と思われていた日本は、予想に反して大健闘!旅順要塞の攻略、日本海海戦での大勝利など、世界を驚かせる戦果を挙げる。特に、東郷平八郎率いる日本海軍が、バルチック艦隊を壊滅させた日本海海戦は、世界史に残る大勝利として有名。
ここに東郷平八郎が出ているが、海軍大将として恐れられた人物である。対して、陸軍大将として名を馳せた人物として大山巌は有名。陸上作戦の総司令官であったようである。
とまあ、ここまで簡単にAIの力を借りて日露戦争の流れと大山巌、東郷平八郎の対比を簡単に述べてみた。
前回の日清戦争に引き続き、日露戦争。毎回、見つける度に気は重くなるが、歴史上の事実として受け入れ、繰り返さないことが必要だと改されることでもある。
ところで、この2人が手がけた碑も実はかなりの数になるためか、同じ敷地内に建っているのも少なくない。ここはそんなうちの一つであるようだが、軍人らしい実直な字に心を打たれてみるのもいい。
大山巌 書 日露戦争記念碑
印がはっきりと読み取れるのは珍しい。大山巌印は朱文、雅号の赫山は白文か。
碑の側面には「安房郡出征軍人氏名詳於各町村分立記念碑」と揮毫されている。ここは坪井山舟の書。
坪井山舟は『七十二候印存』に記載があり、印人だったようである。
大山巌の印も彼が彫ったものかもしれない。
東郷平八郎 書 日露戦捷紀念碑
私は東郷平八郎の書が好きである。
押し付けたのか知らないが、線を無理矢理食い込ませていくような勢い、反面、ドンドンと打ち付ける点の対比が心地よく感じるのだ。
書法的にはNGなのかもしれない。どちらかと言えば墨象(お坊さんの字)に繋がる系譜だと思うし、ものによっては首を傾げたくなるのもある。
だが、ここにあるのは碑の風化も手伝って渋さが優れている。
それにしても、AIに頼んだ石碑の画像、スペースシャトルのようだな。笑
参考文献
樋口勇夫 編『七十二候印存』,明治印学会,大正1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/946225 (参照 2024-12-29)