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それはあれだ、選択肢がないせいだ


こんなはずじゃなかったのに。
と、歳をとる度に思ったはずだ。

昔の大人はずっと大人で、知識も豊富で、
それに比べて自分はなんて幼くて、頭も悪く生活力もない。
なんでこんなに甲斐性がないんだって。

たしかに歴史を覗くと、そう思わずにはいられない。
昔の人の方が、つつましく、勤勉で、向上心に満ち溢れている、ように見える。

っていや、待て待て。
昔の人は偉いな、じゃないのよ。

そうやって見えるのは、ただ選択肢の少なさが起因なだけだ。と仮定してみる。

まず、昔の人は時間がとにかくない。
日が昇って沈むまでの間ひたすらハードワーク。そして、泥のように眠り、また働く。

字が読めたり、書けたりすることが贅沢である。

そんな彼らに論語を与えれば、その欲動からすぐに諳んじて見せるのだろう。
だから偉いのだ。

ならば、同じ条件下で、
時間とエンタメを与えたらどうなるだろうか。論語を読み続けるだろうか。

つまり、我々には生活をより効率化する現代技術があり、そこから生じた余暇がある。
そして、その余暇のために、エンタメがある。エンタメだけじゃない。スポーツだってある。恋愛だってある。
論語なんて読んでいる時間がない。

選択肢が多ければ、人は水と同じで、低い方へ流れる。
10代のときに、エンタメを浴びてしまうと、
国を憂いて、若くして薩長を同盟させたりはしない。少なくとも私は。


倫理観は簡単に覆る。
人の本質は変わらない。



鎌倉時代の後期にドロップされた『男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)』より

「馬庭(まにわ)の末に生首絶やすな。切り懸けよ。此の門外通らん乞食・修行者めらは(中略)駆け立て駆け立て追物射にせよ」

馬庭とは武士の庭だ。
庭に生首を絶やすな。門を通りがかった人を斬り、その首を常に並べて置け。と読むらしい。

おいおい、北斗の拳じゃん。ヒャハーって吹き出し入ってない?

この世とあの世が今よりもくっきりと輪郭を帯びていた時代に、
武士が殺生をすすんでやるなんて、死後が怖くなかったのかとか、今の物差しで考えてしまうけれど。

きっと、そんな私の物差しも選択肢がすくないせいだ。

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