短編 弥生土器ヘイト
2005年5月25日。
リバプール対ミラン。
チャンピオンズリーグ決勝。
イスタンブールで起きたこの試合を人は奇跡と呼ぶ。
前半に3点とったミラン。誰もが試合は決まったと思った。まさに盤石。だが、後半にドラマが待っていた。リバプールのスティーブン・ジェラードの強烈な追い上げで、あっという間に3点追いつかれて、最後はPKで屈した。逆転不可能と思われていた点差をジェラードが一人でひっくり返した試合だ。
あの試合を見ていた誰もがはっきりと感じただろう。サッカーは戦術とか理論とか実はどうでも良くて、ただ選手の気持ちが一番重要だってことに。恐らくアンチェロッティとベニテス監督が一番痛切にそれを感じたんじゃないだろうか。同時にジダンやバッジョに抱いたあのワクワク感を思い出したに違いない。
それからマンチェスターユナイテッドが、日本に来た時、俺は観戦に行って、ルーニーのオフ・ザ・ボールの動きに目が釘付けになった。とにかく走る。誰よりも走るし、球際は誰よりも泥臭い。彼はその時点で既に名声もタイトルも手にしており、正直手を抜いても誰も非難しないレベルの選手だったのにだ。そのボールへの執着心、その貪欲さが信じられなかった。結局本当のトップって戦術とか関係ないんだなって確信した。ごめんよサーアレックス。
*
何でも可視化したい現代人は、3バックや4バック、ディフェンスラインの高さとか、偽サイドバックとか、いろいろこねくり回して言うけれど、それってあくまでサッカーのトレンドの話で、実際に試合を決めるファクターはやっぱり選手のメンタルじゃね?
的なことを職場でいうと、
お前老害まっしぐらだな、と同僚の小島に言われた。
どういうことって聞いたら、
「いや、さすがに今の時代気持ちが大事とか口にするのやばすぎでしょ。今はいかに定量化できないものを、定量化しようとする時代だろ。筋肉量とか、体脂肪、運動強度とか言って。」
「フィジカルがメンタルを勝るってこと?」
「そうは言わないけど、フィジカルの方が、定量化しやすいってことだろ。メンタルの状態なんて、本人にすら分からないんだから。」
まあ、そうか。
でも、あらゆる出来事の結果は、そのときの自身の気持ち次第だったという事実を指摘することはやめた。
そうやって考えてるのが実は自分ひとりだけだったらどうしようと恐怖したからだ。
「まあその気持ちが大事っしょっていう考えを日常生活に汎用しだしたらいよいよ嫌われるぜ。」
と、言われて、少し考えて、
ああ、なるほどと思う。
「小島、それは安心して欲しい。俺たちの世代でまだメンタルだけ部室にいる奴もういないから。そもそも、アスリートの働き方はウチらサラリーマンと違うからな。
なんで俺がアスリートに拘泥するかって?やつらは自分の肉体で金を稼ぐ狩猟民族だからだよ。憧れるんだ、狩猟民族に。人生にレバレッジをかけられるやつらに。」
「分かるわー。サラリーマンは完全農耕民族だもんね。俺らがこんな会社でウダウダやってる原罪は弥生人にありってやつ?弥生人を象徴する農耕文明が、多人数社会を要請し、貧富の差を産み、やがて身分の差が産まれ、今に至るっていう、弥生人忌み嫌うスタンス?お前もしかして夜な夜な縄文土器の画像でシコってないよな。」
「はは、笑える。風が吹けば桶屋が儲かるシステムね。
弥生人が歩けば鬱を振りまく。」
「なんだそりゃ。」
と、小島か俺のどちらかが言ってその会話は終わった。
でも例えば江戸時代に痛風があったとして、風が吹いた日は、その人は桶屋を憎んだのだろうか。
と俺はその後も真剣に考えていた。
終