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はじめに 関千枝子さんの記録について

『広島第二県女二年西組~原爆で死んだ級友たち~』の著者でジャーナリスト 関千枝子さんの映像アーカイブです。2011年から2020年までに撮影した関千枝子さんの慰霊碑めぐりフィールドワークや講演会の映像・音源を公開しています。

広島の街を歩きながら音声ガイドのように使って頂いて関さんのフィールドワークを追体験して頂きたいと思って作りました。ぜひご覧ください。



関千枝子さんについて

関(旧姓富永)千枝子(1932~2021)
早稲田大学露文科卒業。毎日新聞記者の後、全国婦人新聞の編集長となる。著書に『広島第二県女二年西組~原爆で死んだ級友たち~』(ちくま文庫)第33回日本エッセイストクラブ賞受賞、日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞、『ヒロシマの少年少女たち―原爆、靖国、朝鮮半島出身者』(彩流社)など。

六刷以降の本は後に加筆された
余聞①②をお読みいただけます。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480022417/ 
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10014983.html 

関さん55歳の貴重なラジオ音源

まずはこちらをご覧ください


『広島第二県女二年西組』ゆかりの地をめぐる(2020年8月5日)

今回のコース
①旧雑魚場町 → ②旧日赤病院 → ③旧広島陸軍被服支廠 → ④旧広島陸軍兵器補給廠 → ⑤旧広島女子専門学校(広島女専)→ ⑥県立一中慰霊碑(国泰寺高校)→ ⑦原爆供養塔 → ⑧親友・為数美智子さんのご自宅跡

「広島第二県女二年西組」ゆかりの地めぐり (音声・写真)

①国泰寺公園付近 旧雑魚場町
『広島第二県女二年西組』の生徒たちが被爆したと思われる場所

②広島赤十字・広島病院 旧日赤病院
担任の波多先生は被爆地からこの場所まで1人の生徒を抱いて1人の生徒をおぶって逃げました。

③旧広島陸軍被服支廠
『広島第二県女二年西組』の生徒でここに逃げた人はいないのですが、今回はこの場所もご案内されました。

④旧広島陸軍兵器補給廠
現在は広島大学医学部医学資料館になっています。
『広島第二県女二年西組』の同級生 森澤妙子さんの証言に出てきます。

⑤県立広島大学 旧広島女子専門学校
広島第二県女の校舎は女専内にありました。
校内に広島第二県女の慰霊碑があります。

⑥国泰寺高校 県立一中慰霊碑                        戦後、関さんは国泰寺高校の第1期生になりました。

⑦原爆供養塔
森澤妙子さんのお父様が、供養塔の再建にご尽力されました。

「広島第二県女二年西組」ゆかりの地めぐり(映像)

⑧親友・為数美智子さんのご自宅跡

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