文蔵組落語会 第18回 余一会をみました
【ネタ】
橘家文太『天災』
柳家喬太郎『赤い部屋』(江戸川乱歩原作)
ロケット団
橘家文蔵『左の腕』(松本清張原作)
2020/05/31 鑑賞
文蔵組の配信は第4回からほぼ欠かさず聴けているが、特にこの『余一会』は好きだった。
二席とも文学作品から生まれた落語であり、二席とも笑いがないという前置き。どんな怖い噺かとわくわくしていた。実際期待に違わぬ、恐怖を感じる演目だったが、二つは怖さの種類が異なると感じた。
『赤い部屋』は『不気味』という表現がしっくりくる。演目事態は師匠のCD『柳家喬太郎落語集 アナザーサイド Vol.1』で聴いたことがあったが、もう13年くらい前の語りだ。今回の噺では不気味さがより強固になった感じがする。主人公である落語家の生活がリアルというか―金が有り余っていて退屈しのぎに落語家になった、ということが本当にあるわけはないのだけれど、ひょっとしてこういう人がいるのかも、というか、人生に退屈しているというのが実は喬太郎師匠の本音なんじゃないかと思うようなリアル感があった。以前から推敲されていて言葉もかなり変わっているのだが、何しろ退屈を持て余した人が一つの部屋に集まる、という設定が自粛の続いた今の状況なら共感できるのも、リアルに感じる原因だろう。しかし1番は、以前は主人公が狂人じみている描かれかただったけれど、今回は静かに、腹の底から偶然人が死ぬことを面白がっていると感じたのが、不気味さが強く固くなったと感じたのだ。
師匠の噺を聴いてから原作を読んだとき、終わり方のあまりの違いに驚いた。最後に突然「嘘だよーん!」と言われるのだ。ぽかーんとしてしまった。が、江戸川乱歩の「うつし世はゆめ夜の夢こそまこと」という言葉を思い出す。江戸川乱歩は、現実には言ってはいけない気持ちや妄想を小説の中には正直に書くことができた人だと思う。しかし、そこにある気持ちや妄想が本物であればあるほど、「これは嘘ですよ」と断らなければいけなかったのかも知れない。
喬太郎師匠はその嘘のお断りをなくしている。もしかしたら江戸川乱歩もこれぐらい堂々と作品を締めくくりたかったかも、と思った。後味はとっても悪いのだけれど。ロケット団の漫才が始まったとき、何だかほっとした。
対して、文蔵師匠の『左の腕』は、凄みのある怖さというか、はらはらどきどきする演目だった。世間とあまり深い関わりを持とうとしない老人。店の下男になってもかたくなに住み込みをしないどころか一緒に風呂にも入ろうとしない。「老いぼれた爺さんでございます」といったしゃべり方に、この人は何か隠しているという疑念が働き最後のシーンまで引き付けられた。また、人物が一人一人風格があるのも魅力的だった。おかみさんのちょっとした色っぽさと人情深さ。チンピラみたいな目明かしが登場したときなど、ストーリーから考えれば最後にはやられる役なのだろうと分かっていても、悪人的な凄みにはらはらした。とうとう老人の正体が分かる場面では、ずしりと重たい存在感と、人の道に外れたことをして生きていたんだな、ということに説得力がある、自分まで動いたら切られるんじゃないかと思うほど迫力があった。
声がやたらでかいわけではない、ましてや直接的に暴力的なわけではけしてないのに、怖いほどの凄みを感じた。
この二つの演目を一緒にみたからこそ、両師匠の技がはっきりみえたと思う。また、両師匠とも静かな話ぶりで鳴り物や特殊メイクがあるわけでもないのに、こんな恐怖を感じさせる。落語って面白いと改めて思った。
【参考URL】
本落語会概要:https://bunzougumi18.peatix.com/
三代目 橘家文蔵 Official Website:https://www.bunzou.com/
つながり寄席 兼 文蔵組公式チャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCdSjAT16F1nNecGWpYcD6Cg
柳家喬太郎(一般社団法人落語協会):http://rakugo-kyokai.jp/variety-entertainer/member_detail.php?uid=136