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3日目に死人のうちよりよみがえり〜行人坂教会説教2023/04/30


・聖書:コリントの信徒への手紙一 15:54~58(新約p.322)
・言いたいこと:十字架と復活で赦された!


はじめに


使徒信条の「3日目に死人のうちよりよみがえり」という言葉は「罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず」という後半の聖霊を信じるという告白と結びついています。なぜ、イエス様の復活、よみがえりに希望があるのでしょうか。

復活といえば思い出すのが、御茶ノ水駅のニコライ堂です。ロシアのウクライナ侵攻のニュースの関連で、ウクライナ正教、ロシア正教、ギリシャ正教など東方教会が取り上げられたりもします。私たちプロテスタントはカトリックと共に西方教会に位置づけられます。一方、ニコライ堂などの東方教会は、西方教会とは礼拝スタイルも神学も違っています。私はニコライ堂の近くに10年間住んでました。毎週日曜日の午前にはニコライ堂の鐘の音が家まで聞こえてきました。ロシア正教の礼拝ってどんなものだろう、と思い一度、ニコライ堂の礼拝に出席したことがあります。
面白いことに、参加者が礼拝中に立ちっぱなしでせいた。なぜなら東京教会は復活を大事にしていて礼拝は復活を象徴する姿勢である「立つこと」を基本とする、という説明を受けました。ニコライ堂も「東京復活大聖堂」というのが正式な名称です。ギリシャ正教など東方教会では、イエス様の復活を祝うイースターが、クリスマス以上に盛大に祝われるということです。

今日は、この「復活」の意味について、洗礼式と聖餐式という2つの式における「赦し」ということばを手がかりに振り返ることで、みていきましょう。

1.復活と洗礼

洗礼式とは、イエス様という対価が十字架で支払われることで、私たちは赦されたことを信じます、これからクリスチャンとして生きていきます、と周りにお披露目する儀式です。


聖書の「洗礼」という文字には「バプテスマ」というふりがながふってあります。ギリシャ語の動詞「バプティゾー」は、水に浸すという意味です。ザブーンと全身を水に浸すことは、イエス様と一緒に古い自分が死ぬということです。そして、水から起き上がるというのは、イエス様と共に新しい私たちが罪を赦され復活することを表しています。

洗礼式の時に「子よ、あなたの罪は赦された」あるいは「私はあなたの悪を赦し再びあなたの罪に心を留めることはない」という罪の赦し宣言がなされます。

私達は、イエス様と共に死んで、イエス様と共に復活する、と言っています。そして復活とは、私たちすべての者のためになされた罪の赦しであり、死の克服なのです。

言い換えるなら、洗礼とは、私たちの心に新しい契約が刻まれるということ。私たちに新しい心が与えられ、私たちに新しい霊が息吹かれるということです。洗礼によって、イエス様が私たち一人一人の内におられるということです。

2.復活と聖餐


洗礼式のあとも、私たちの心の中には罪の力が依然として残っています。ですので、洗礼式の後も毎日毎日、神様に私たち自身を明け渡し、キリストに似た姿に一歩一歩変えられていくのが、私達の歩みではないでしょうか。それを忘れないように、私達は定期的に聖餐式を行います。

<スライド6=最後の晩餐>
聖餐式は、最後の晩餐が起源です。最後の晩餐は、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの食事での出来事です。過ぎ越しの祭りはヘブライ語でペサハ。英語でパスオーバー。過ぎてゆく、過ぎ越していくという意味です。何が過ぎ越していくのかと言いますと、神様の裁きが過ぎ越していくということです。紀元前13世紀、ユダヤの民がエジプトの奴隷状態からモーセに率いられて脱出する時に、エジプトの王パロが、いろいろとモーセを妨害します。そこで神様はエジプトに十個の災いをもたらします。その十個めが、エジプト中の初子を打つ、というものでした。しかし、神様は家の玄関、鴨居と門柱に子羊の血を塗った家には、裁きをくださないで過ぎこす、と約束してくださいました。

私たちの主イエスは、最後の晩餐で、子羊イエスの血による新しい契約を宣言しました。その新しい契約のもとでは神様は「子よ、あなたの罪は赦された」「わたしはあなたの悪を赦し、再びあなたの罪に心を留めることはない」と約束してくださいました。神様は私たちが律法を守れない愚かな存在だとご存知です。そして、私たちの弱さや欠点、的外れな生き方にもかかわらず、神様は私たちを見捨てず「新しい契約」を与えてくださいました。キリストは新しい契約の「仲保者」であり、主イエスの血によって新しい契約がうち立てられたのです。私たちの罪はすべて赦されるという「よき知らせ」です。

私たちの罪のためにキリストが血を流され十字架につけられ、3日目にキリストのからだが復活し、私達の罪が赦されたことを思い起こし、感謝するのが聖餐式の目的です。

3.結論


以上、「洗礼式」は赦されたことを信じることを表す式であること。聖餐式は、裂かれたキリストの体、流されたキリストの血により私たちの罪が赦されたことを想い起こすためのものであることをみてきました。私達は自分ではどうしようもない中で誰かに迷惑をかけてしまう。知らない間に周りの人を傷つけてしまう経験をしているのではないでしょうか。しかし、神様は私たちが謝る前から赦して、逆に神様のほうから私たちに和解の手を差し伸べてイエス様をこの地上に送ってくださいました。「父よ、彼らの罪をお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです」と十字架上の祈りで、私たちのためにも、とりなしてくださっています.


私たちが、自分自身の洗礼式を思い出す時に、また礼拝で聖餐式に参加する時に、神様に相当な借りがあるにもかかわらず、その借りを神様ご自身が代わりに支払ってくださり、私たちは赦されました。その感謝の気持ちを新たにして、今週一週間も歩んでいこうではありませんか。


祈り
愛する天のお父様。私たちは傷つけたり傷ついたり多くの傷や痛み、弱さを抱える者です。どうか、お一人お一人の傷や痛み、試練を、イエス様が共に担ってください。私達の今週、一週間も復活のイエス様の命に満たされて生きていくことができますように。聖霊の息吹が、私たちの思いと心を創り変えてください。今日、この場に病気や様々な事情で来られない方の上にも、主の慰めがありますように。キリストの復活を祝うこの復活節の季節に喜びと平和を私たちに与えてください。この祈りを私達の救い主イエスのお名前でお祈りします。


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