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一身にして二生を経るが如く〜神学者、大木 英夫先生追悼〜
一身にして二生を経るが如く
「恰も一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」とは福沢諭吉のことばである。 福沢諭吉は、まったく異なる二つの世界に生きた。
一つは、島国の中でちょんまげと脇差をつけてローカルな政治、経済、文化の中で太平を生きた江戸時代。もう一つは、文明開化のグローバル社会に変化した明治時代。
こんな状況で生を受けた人々は、時代には始まりと終わりがあることを痛感せずにおられなかったであろう。江戸時代までの慣習やルール、常識として培った過去の経験が役に立たない。昨日まで下の身分だったものが自分を支配する階級に躍り上がる。
時代の変革期にあっては、柔軟な姿勢と自己を変化して「新しい人」になる決意こそが、環境に適合する方法だったのではないか。
陸軍幼年学校からキリスト者へ
大木英夫先生も、まさに「一身にして二生を経る」体験をした方であろう。帝国陸海軍は戦前の国民から人気があり、大木英夫先生が通った陸軍幼年学校は尊敬の眼差しを向けられていた。
東京大空襲を多摩御陵からご自分の目で見られた。また、先生の陸軍幼年学校の先輩は南方のジャングル、大陸の奥地、極寒のシベリアの地で散っていった。実兄も上海で戦死されている。陸軍幼年学校の最上級生の時に先生は敗戦を迎えられた。
大木英夫先生は、戦後、着るものがない中で、幼年学校の制服を着て参加した賀川豊彦の集会で賀川豊彦に手を置いて祈られクリスチャンになった。
そして、戦後の復興と平和、高度経済成長や学生運動。戦前には国民のあこがれだった旧陸軍は軍国主義に日本を導いた悪の権化となり、180度価値観が変化した。大木英夫先生の世代には、福沢諭吉の生きた時代の人々の心境に近いものがあったと思われる。
一人にして一身にして二生を経るが如し。その時代に生きたことが、大木英夫をして、余人を持って代えがたい稀有な神学者にならしめたのであろう。
神学的なレンズで社会をみる
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私自身、大木先生に研究助手としてお仕えした5年間で、多くのことを教えていただいた。相手を批判するのでなく周りを立てあげる「形成の神学」は私の人生の通奏低音として今もなお響いている。
大木先生の真骨頂は「神学的思考で現代を読み取る」ことである。神学的なレンズ(相手も神に愛された神の似姿である)で物事をみるという教えは心に残っている。
「終末論」という切り口で現代の政治経済文化を捉えるとう俯瞰的な姿勢からは多くのインスピレーションを受けた。イエス・キリスト再臨時の世界の完成に向けて終末がキリストにあって始まっているという視点のダイナミズムに多くを教えられた。
また、大木先生が師事した「ニーバーの祈り」は、私の座右の銘となった。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
大木先生。ありがとうございました。
この地上の旅を終えられ、天のふるさとでイエスの御元で安らぎがありますように。大木先生が天の父なる神の御手のうちに移され、安らかに憩われますことをお祈り申し上げます。
追伸
大木英夫先生のご葬儀の映像です。先生の好きな聖書「生きることはキリストであり、死ぬことも利益なのです(フィリピの信徒への手紙1:21)」が心に響きます。
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