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キリストの血の意味〜聖所と至聖所


皆さんは、映画「インディージョーンズ失われたアーク」を観たことはありますか?


スティーブン・スピルバーグ監督の作品です。ハリソン・フォードが伝説の失われたアークを探して世界中を巡る物語です。映画のタイトル「失われたアーク」とは「契約の箱」です。契約の箱のふたに注目しましょう。

旧約聖書における「幕屋」では赦しのための儀式がありました。神殿の庭には祭壇があります。ヤギやはと、傷のない子羊が丸焼きにされ、神様への犠牲が捧げられました。

その奥には洗盤がありました。洗盤では祭祀は手足を洗い、身を清めて「聖所」と呼ばれるテントの中に入ります。

「聖所」に入ると「燭台」(ヘブライ語でメノラー)と呼ばれる蝋燭の台がありました。聖所の右側には「備え物のパンの机」があります。香をたく祭壇が正面にあります。メノラーの火の灯火は神の臨在の象徴です。炉で炊いた香は神様への捧げものです。パンはキリストの体を彷彿とさせます。


その聖所の奥に至聖所と呼ばれる部屋があります。分厚い垂れ幕によって、聖所と至聖所に分けられています。至聖所には、契約の箱(アーク)があります。


至聖所の垂れ幕の内側には、年に1度だけ、しかも大祭司だけ入ることができました。年に一度の「大贖罪日」(ヨムキプール)に大祭司は「契約の箱=アークのふた」(償いの座)に動物の血をふりかけました。具体的には雄牛の血を契約の箱にふりかけました。その後、「雄ヤギ」がほふられ贖罪所の東側に注がれました。

*このヤギは英語ではスケープゴートといいます。スケープゴートは「身代わり」という意味で日常的に使われたりしますが、実は聖書の幕屋の箇所が由来の用語です。




大祭司が動物の血を契約の箱にふりかけることでイスラエルの民の1年間分の罪が赦される、というのが古い契約です。その赦しは不完全なものでした(旧約)。

しかし、イエス・キリストにより契約は更新されました。イエスがただ一度、十字架にかかり血が流されたことで、私たちは誰もが赦され、天の父の前に大胆に出ることができる、ということです。真の大祭司イエス・キリストの十字架の犠牲で完全に私たちは赦されました。



このイラストはイエス様の時代のエルサレムです。左側に神殿がみえます。その下に、小さいのですが3つの十字架があります。ゴルゴダの丘です。福音書には、神殿の垂れ幕が裂かれるという記述があります。イエス様の十字架の最後のシーンです。

イエス様がゴルゴダの丘で十字架につけられた昼の12時にあたりは暗くなり、イエス様は「エリ、エリ、サバクタニ」と叫びました。わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか、という意味です。

綿にぶどう酒を含ませたものをイエス様に飲ませようとぼうが差し伸べられましたがイエス様は再び大声で叫んで息を引き取られました。その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起きました。この垂幕は1メートルくらいでしょうか。本当に分厚いもので、とても人間が裂くことはできない頑丈な垂幕でした。でも、イエス様の十字架で血を流して犠牲になった出来事により、聖所と至聖所を隔てる垂幕が裂け、大祭司でなくても誰もが直接神様に祈ることができるようになりました。


教会ではお祈りの最後に「主イエス・キリストのお名前で」と祈ります。私も主イエス・キリストのお名前でというのを当たり前のように思ってしまうことがあります。しかし主イエスの名前で祈れることは極めて有り難いことです。

もともと、人類はエデンの園の「善悪を知る木の実」の出来事で、神様と断絶しました。しかし「私は道であり、真理であり、命である」とおっしゃるイエス様が、神様と私たちとの間に和解の道を備えてくださりました。それにより、いつでも、どこでも神様と親しく祈ることができるようになったわけです。十字架上で流されたイエス・キリストの血により私達の罪は赦され、癒やしと平和を得ました。そして、主イエスの十字架による赦しの道は今も誰に対しても開かれています。

来週は、ペンテコステ礼拝です。「ペンテコステ」というのは三位一体の神である聖霊が私たちにプレゼントされた、ということです。それは、私たちのこの体が聖霊の住む宮であるということです。聖霊の神殿である私達の身体の中に住むイエス様と直接お話できることをお祝いするのがペンテコステです。ペンテコスででは、イエス様の体(パンとぶどう酒)をいただく聖餐式があります。聖餐式で、キリストの血であるぶどうジュースを飲むことは、私達が赦されたことを想い起こすためです。聖餐式を体験する時は、イエス様の血で自分が赦された感謝を想い起こしてお祝いしようではありませんか。

祈り
天の父なる神様。旧約聖書では大祭司が1年に1回、至聖所で子羊の血を契約の箱のふたにふりかけました。しかし、子羊イエス・キリストの十字架のただ1度の犠牲でイエスの血によって、新しい契約に更新されました。私達は完全に赦されたことを感謝します。主イエスご自身が契約のふたとなり、そこに犠牲の血が注がれたことで私達は赦され、神と和解をする道が開かれ、平安を授かるという約束を感謝します。今、主イエスは私たちの希望がある天の至聖所で大祭司として座に着いておられます。私達のために、毎日とりなして祈ってくださっています恵みをありがとうございます。言い尽くせない感謝を私達の主イエス・キリストのお名前でお祈りします。
アーメン。

 5月21日 行人坂教会 主日礼拝説教 関智征

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