三一章 日本帰国からフランス入国まで
3月初旬、卒業式前日にドバイ、シンガポールを経由して直行で学校に着いた。レース会場のToulouseから52時間の帰路だった。学校に着いた時の安堵感たるや、何と表現すればいいのだろう、、。とにかく酷で内容の濃い物だった。しかしそれを書こうと思うとノート1ページ分はくだらないのでやめておこう。
そんなこんなでお世話になった先生方、友達に何とか感謝を伝える事ができた。自転車競技を始めて卒業までの高校3年間。また別の記事で記そうと思う。
それから1ヶ月間VISA申請に全力を注いだが取得できずVISAなしでの渡仏になった。
5月1日、日本出国。中国広州経由の便だ。言論統制(メディア統制)が強い中国でどのように自分の携帯が使えなくなるのか。はたまた問題なく使えるのか気になっていたが答えはノーだった。広州につくとWIFIには繋がるのにネットは繋がらない。SNSは勿論Googleも繋がらなかった。飛行機で中国上空を通ると本当に大きい国なんだと実感できる。そんな国土も広く歴史の深い中国はどのように存在しているのか興味深かった。
中国到着から6時間。パリ行きの飛行機に乗り12時間かけて5月2日の早朝、パリに降り立った。飛行機は格安の割に機内食も美味しく(飲み物がぬるいのは除いて)CAの対応も良かった。
パリの街に出てみると一年前、Viennaを散策した時のように息を呑んだ。こんなものを200年〜300年前に作れるのか。今の時代では例え技術があったとしても作る事ができないだろう。世界には自分が見たこともない事がまだまだ山ほどあるのだと感じる事ができた。そんなことを考えながら美しい街並みを堪能した。
ベルサイユ宮殿にも行ったのだが予約が埋まっていて中には入れなかった。凱旋門、エッフェル塔を登り昼食を食べた。パリジャン気分を味わいながらTGVでマルセイユに向かった。そして日本に比べて年式が古いのも新鮮だった。TGVは新幹線に劣らないほど速かった。しかし20分ほど遅れてマルセイユに到着。乗り換え電車は終電で残り2分ほどしかなかった。周りの乗客と共に30kgの荷物を抱えて走った。電車に乗った途端ドアが閉まり終電なのに乗客の待つそぶりすらなかった。やはり日本の交通インフラは凄いな、と改めて感心した。そして4時間ほどで第二の故郷、Aubagneについた。
次回は私生活など投稿します!