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四六章 自転車とは

 自転車競技を始めたのは高校一年の時だった。もともとサイクリングが好きで小学校高学年くらいから1人で色々なところに行った。中学生の時は自転車競技をやりたい反面、危険性、経済性から自転車競技を始めることはできなかった。今思うと良かったのかも知れない。中学は写真部に所属して、中二の秋暮るる頃に陸上部に入部した。人生のターニングポイントといえばその頃だった。高校一年の時に自転車競技を始めて、高校2年の時に自転車競技部を設立した。

 高校時代は一貫して自転車競技にのめり込んだ。勉強はやらなかった。勉強から逃れたいと思わせるくらいには自転車に乗っていた。自転車にのめり込んだ結果、勉強なんてやる時間なかった、と私は言いたいが。
 結果が出るにつれて、周りから敬われる一方、いろんな人が自分に呆れてうんざりした。とにかく90%くらいは自転車について考え、9%くらいは恋愛について考え、1%くらいテストのことを考えていたかもしれない。高校時代の終盤に近づくと、自転車だけが取り柄だとよく言われたものだった。

そんな訳で90%の自転車についてお話ししたい。

 自転車競技の何が面白いのか、私は自分以外の競技者に問いたい。無論、私は自転車が好きだ。だが、なぜ好きかと問われれば、困ってしまう。大体に説明して伝わるほど単純ではないし、説明して面白さが伝わるものに魅力があるとは思えない。結論、説明できないから面白いと答えると、”そういうことを聞きたいんじゃないんだよ”とか”意味がわからない”とか呆れられてしまう。結局のところ、命をかけて下りを攻めるのが好きだからとかいう馬鹿馬鹿しい回答になって、馬鹿にされるのがオチである。

 だからこれを読んでいる読者で、自転車ないしサイクリングをしたことがない人はママチャリでもいいから、自分の知らない土地に足を踏み入れて欲しい。そうすれば、私が今言ったことが少しでも伝わるかもしれない。

 では、説明しても伝わらないと先述してしまえばこれから先、自転車競技の魅力について一体何を語りえようか。やはり命をかけて下りを攻めるのが好きだと答えようか。いや馬鹿馬鹿しい。しかし、ここで話を終えてしまえば、結局のところ”馬鹿だ”で解決されてしまう。だからこれから先は、言葉にしうる、言語というホモサピエンスが誕生してから、今の時代になってやっと確立しそうな、人類最大の武器を使って表面上に語ろうと思う。

 登山家、ジョージマロリーは「何故山に登るか」との問いかけに、「そこに山があるから」と答えたそうだ。そしてそれを人生のメタファと捉えた。馬鹿馬鹿しいと思う。そして私の指導者である宮澤監督はロードレースを人生のメタファと捉え、「ロードレースは恋愛である」と答えた。実に聡明だと思う。

 自転車に乗っている間、皆は何を考えているのだろう。4、5時間もしくはそれ以上走って、最後の最後、もがいている時に恋人のことを考える人がいるだろうか。違う。大体はレース後飲むコーラのことを想うだろう。いやそんな奴は勝者にはなり得ない。勝者になるものは、指導者のことを殺意染みて想い、隣に走ってるものを指導者に例え、殺そうと想いながらもがく。人はそれを芸術という。恐れてはいけない。

 時に100キロ毎時を超えて峠を下る。そんな時は、死を恐れない者と死を恐れる者が顕著に現れる。死を恐れないものは大体において性格に難があり、死を恐れるものは大体に勝てない。人はそれを才能という。恐れてはいけない。

 本気で自転車競技をやってるものは、本気で死ぬ気になって戦う。それは戯言などではない。本気で死ぬ気がある。だけど自分が死ぬことなんて考えない。死を恐れてはいけないのだから。

 ふとイタリアのレースを思い出す。
 1日目はTTT(チームタイムトライアル)2日目はロードレースだった。二日間共に酷く便秘でずっとトイレにこもっていた記憶がある。トイレに行っても何も解決しないのはわかっているのに。
 レースのことを考える余地はなかった。頭の中は100%のトイレだった。そんな訳でTTT(チームタイムトライアル)はカフェのトイレでこもっていたら遅刻しそうになって、ヤクザみたいな監督に怒鳴り散らかされた。Don't forgetと言われていたのに。自分が呆れたくなる。
2日目のロードレースは、全くの熱中症でダメだった。だから自分なりにできる仕事を考えた。ということで、チームメイトが水を欲しがっていたから、自分が代わりになってボトルを調達しに行った。
だが運悪く全てのチームカーがストップしていた。自分だけではなく周りも水不足だった。
 こんな時、サハラ砂漠を練り歩くアフリカの民族を想像する。水脈を探さなければいけない。だが、止まってはいけない。やっぱりそんな比喩は正しくない。と思う。例えるなら、サウナの中に閉じ込まれたおじさんたちの方があっているだろう。周りを見たらみんなそんな顔をしていたな、と思い出す。
 なんとか耐えてたらチームカーが集団後方にやってきた。だけど喜ぶにはまだ早い。自分のチームカーまでは距離がある。呼んでいるのに全く来なかった。結局、別のチームカーに交渉してボトルをもらうことができたのだが、水が半分入った不完全なボトルしかもらえなかった。
 水が半分入った不完全なボトルをチームメイトに渡しにいく。ボトルを渡すと死ねと言ってきた。

 そんな訳で死ねと言ってきたチームメイト含めリタイヤに終わった。
フランスの家に帰ると、何事もなかったように便秘が治っていた。この時、不可抗力には敵わないと学んだ。

胸糞悪い。悔しい。やりきれないな。と思う。

続く。(続かせたい。)




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