三九章 Trofeo Bufforni
朝、目が覚め五十嵐さんの訃報を受け取った。
明日はレースだったが気が乗らなかった。
自転車競技を始めて、五十嵐さんの走る姿を見て憧れを持った。いつだっただろうか。確か3年ほど前の大磯(クリテリウム)だったと思う。その時、自分は大磯のピュアビギナーで2個歳下の三浦と戦ってた。勝率は五分五分だったと思う。
やがて国内最高レベルと呼ばれるJPRO Tourで走るようになった。ただチーム外で知っている選手と言えば五十嵐さんだけだった。Jrで最年少な自分は五十嵐さんを頼りに走っていた節がある。頼もしかった。同年冬には国体に出れるようになり、その頃には五十嵐さんに冗談を言えるようになっていた。
初めはパッとしない性格だと思ったけど、どこかしっかりと芯を持っていて頼もしかった。本当にかっこよかった。
五十嵐さんと同じ夢を追いかけている以上、自分がすべきことレースに全てを捧げることだけだった。
何も考えずにお米を炊きお弁当を作る支度をした。
マルセイユからイタリアMassaへ向かう。美しい地中海を見ながら始めて死に対して怖さを知った。そして恐ろしい競技だとも自覚した。
7時間くらいかけてMassaについた。夜は砂混じりな刑務所のようなホテルに泊まり、一晩が明けた。ピクニック会場で朝食を食べる。イタリアのペンネは美味しい。また素晴らしい世界を知った。
レースがスタートした。
チームから最初の逃げ(平坦周回)は乗らなくて良いと言われていたが、レース当日の朝に落車の危険があるから乗っても良いと言われた。しかし大きな逃げは決まらずレースは進んだ。平坦周回は50km/h近くでレースが進む。中央分離帯、ロータリーのあるところは注意しなければいけない。魚の群れのように決して逸れてはいけない。一瞬で判断して一瞬で行動する。
気がつけばレースの後半になっていた。後半は山岳周回である。なるべく前々で位置取り3周、4周とこなしていった。トップ集団は自分含めた30人〜40人くらいだったと思う。チームメイトはニースから来たSoloanと自分だけだった。その後、ダウンヒルで前輪が滑り落車した。全く滑る気配はなかった。力んでいたのか油断していたのかそのどちらかの原因だろう。
痛みを堪えて集団を追いかけるがハンドルを直していたロスもあり追いつく気配はなかった。やがてグルペットに追いつかれてしまった。しかしグルペットも次第に遅くなり遂には足切りで終わった。チームメイトは全員DNFで終わり激しいレースが終わった。
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