雑記:東京都内の史跡、その三(将門塚)
東京都千代田区大手町、東京駅から十分ほど歩いた丸の内のオフィス街に、平将門の首塚として知られる「将門塚」がある。
伝承によれば、京都で梟首された平将門の首が胴体を求めて坂東まで飛んでいったが、胴体にたどり着く前に力尽きて落ちた場所がこの首塚と言う。
実際には石室を備えた古墳であったと見られるが、早くも鎌倉時代にはこの地が将門の首塚であると言う伝承はあったようで、時宗の僧・他阿が鎌倉時代後期の徳治二年に将門の怨霊を供養した板碑を造立しており(首塚の傍らにあった日輪寺は、他阿が時宗改宗して神田明神の別当として将門信仰を支えてきたが現在は浅草に移転している)、現在もその板碑を復元したものが将門塚に建っている(下の写真二枚目)。
板碑の後方には石灯籠があり、これは中世まで遡るものと言うが、複数の石塔を組み合わせた乱積みで、当時のままではないため詳細はよくわからない。
なお、将門塚のある場所は江戸時代には前橋藩主(後姫路藩主)だった酒井雅楽頭家の屋敷があり、酒井忠清の時代に所謂「伊達騒動」の審問が行われて乱心した原田甲斐が伊達安芸らを刺殺した場所でもある。