雑記:長林寺の足利長尾氏墓所
足利長尾氏は、元来は長尾氏宗家の鎌倉長尾氏であり、長尾景人が享徳の乱の最中に関東管領上杉房顕から古河公方への抑えとして足利庄を与えられたことに始まり、以降戦国時代を通じて六代に渡って足利を本拠とした。
最後の当主長尾顕長は刀工の堀川国広を庇護したことで知られるが、彼は小田原の北条氏と運命をともにして浪人となり、大名としての足利長尾氏は断絶した。
足利市西宮町の長林寺は、景人の孫・景長が開いた菩提寺で、景長から遡って長尾景直(景人の曽祖父)から歴代当主の墓所が営まれた。
現在も景直以下十九基の墓塔が建ち並び、墓所は室町時代中期から江戸時代の五輪塔と宝篋印塔で構成されている。
戦国期以前の当主の墓は墓所の上段に並ぶが、一部の墓石は2011年の東日本大震災で崩れてしまい、復元の際に当初の状態から組み変わってしまっている。
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特にそれが顕著なのは長尾実景(景人の父)の墓(下の写真一枚目)で、現在は元の塔身に代わって別の宝篋印塔の基礎が混入され、当初の塔身は向かって左隣の長尾景長の墓である五輪塔(下の写真二枚目)の水輪と火輪の間に混入されてしまっているが、当初の形は七枚目の写真(震災前に訪れた際に撮影)のようなものである。
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なお、それぞれの石塔には銘文が刻まれているが、これは後世に墓塔の比定をした際に刻んだものであろう。
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