雑記:笑い閻魔の寺
焼物で有名な栃木県芳賀郡の益子町にある西明寺は、行基が開いたと言う伝承のある古刹で、所有する文化財も多く、坂東三十三観音の二十番札所でもある。
石段を登った先には、楼門、本堂が建ち並び、楼門は室町後期の明応年間に建てられたもので、楼門の隣に建つ三重塔は戦国時代の天文七年の建立で、楼門と合わせて重要文化財に指定されている。
本堂も栃木県の文化財に指定されており、内部には八体の仏像が安置されており、希望すれば拝観も可能である。
本堂のその隣に建つ閻魔堂は江戸時代の正徳年間の建立で、中には閻魔大王を始めとする五体の像が安置されている。
いづれも江戸時代の作で像時代は新しいが、皆大型で、かつ堂内で間近に見られることもあってかなりの迫力がある。
中央に鎮座する閻魔大王(下の写真二枚目、三枚目)は、「笑い閻魔」と通称され、その名の通り笑っているように見え、冥界の判事にしてはどこかギャグな顔立ちである。
閻魔の前に立つのは冥界の書記官と言うべき司録・司命で、向かって左側が司録(下の写真四枚目)で、向かって右側が司命(下の写真五枚目)である。
どちらかと言えば、閻魔よりも両脇の二像の方が怖い顔立ちをしており、特に司命はうっすら笑っている表情がどこか不気味である。
司録の後ろにあり、堂内で左端にいるのが、司録・司命と並んで閻魔大王にはつきものの三途の川の奪衣婆(下の写真六枚目)で、堂内では最も迫力がある像である。
江戸時代の仏像と言うのは、彫刻史上はあまり顧みられることがないが、彫刻としての巧拙はともかく、この閻魔堂の諸像のように面白い作品も多々ある。