京都府内の石造物㊽:若宮八幡宮宝篋印塔(伝・大津皇子、粟津王供養塔)
名称:若宮八幡宮宝篋印塔
伝承など:大津皇子、粟津王供養塔
所在地:京都府京都市山科区音羽森廻り町 若宮八幡宮
京都市山科区の京阪四宮駅から南方に十分ほど歩いた所にある若宮八幡宮(音羽小学校向かい)は、天智天皇が八幡宮を勧進したと伝承される神社である。
拝殿に向かって右側には二基の宝篋印塔が建っており、大津皇子(天武天皇の第三皇子)とその子の粟津王の供養塔と伝承されている。
大津皇子は文武に優れた人物であったが、父の天武天皇の没後に謀反の疑いをかけられて処刑され、その子であった粟津王は流刑になった。
後に粟津王は許されて音羽の地を領したとされ、そのためこの地には王の末裔を称する粟津姓の者が多く、八幡宮の氏子にも粟津姓が多数いると言う。
宝篋印塔も王の子孫達によって造立された供養塔とされるが、石塔は無銘であるためにあくまで伝承の域を出ない。
宝篋印塔はどちらも南北朝時代の作で、現在は向かって右塔(標柱の名が石塔の位置と対応しているとすれば、大津皇子の供養塔か)の方がやや大きいが、左塔(粟津王の供養塔か)は基礎が欠損しているため、元来は同じ法量で、同時期に造立されたものと考えられる。
左塔の欠損した基礎の代わりに、現在は別の宝篋印塔の笠が挿入されているが、この笠もほぼ同時期の石塔のものと思われるため、元来宝篋印塔は三基あったのかも知れない。
強いて伝承に合わせれば、この三基目の宝篋印塔も粟津氏関連の石塔であろうか。
いづれにせよ、非常に端正な美しい塔で、無銘ながら南北朝時代の宝篋印塔の基準塔と言える。